ラスコーリニコフは・・・、

 題:ラスコーリニコフは・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教には・・、
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」
という教え・考え方がある。
 (キリスト教の)神の義という正義があればという免罪
符を得て、その義を得ていれば、人を誅する事も正義なの
だという教え・考え方である。
 非常に独善的で、勝手な教義・教えである。
 キリスト教、および、キリスト教徒には、その逆を、少
しでも考えてみなさいと言いたい。
 される身となって、される側の事を思ってみなさいと言
いたい。
 しかし、歴史は、その様なことは微塵もなかった。
 卑劣な、キリスト教側の蛮行・行為が、歴史に連綿と続
いて存在している。唾棄すべき歴史の事実だ。
 これは、『キリスト教は神を敬いながらも、神の中へ、
神の義の中へ逃げ込んでいる』と、言える。
 神を悪の権化としている。
 キリスト教の神へ『罪をなすり付けている』。
 神の義があればとか、または、神の義があるから・・と、
相手を勝手に不正義な人にして、その人を誅しても良いと
するキリスト教は、キリスト教の教義ゆえに、自分を悪だ
と考えていないし、考えられないし、その様な立場にもな
れなし、不感症な人間に洗脳され、作られて来ている。
 キリスト教の教義・考え方・教えには、この悪の教えが
あり、キリスト教は『罪悪の宗教である』と言える。
 次世代に残してはいけない宗教である。
 神の義を感じた「罪と罰」のラスコーリニコフ・主人公
は、高利貸しのばあさんを殺すのを正義とした。その様に
感じた。高利貸しだし・・、
 また、その神の正義に逃げ込んで、高利貸しとは言え、
また、人生を生き通して来た老人とは言え、まだ、温かい
血が流れているばあさんを、ラスコーリニコフは殺した。
 キリスト教という宗教は、この行為を、キリスト教の神
の義があればという錯覚を与え『是だ』としている宗教。
 この様な考え方で、歴史に、キリスト教の悪行はごまん
と一杯ある。悪の宗教だと言える。
 そこには、ばあさん側に立っての理解が、皆無だった。
 キリスト教はその様な宗教なのだ。自分側の神の義の思
考ばかりの宗教なのだ。神が主体だからだ・・、常に・・、
 ばあさんは、もし、ばあさんに問うたとき、ばあさんは
「そうだね、そうしていいよ、キリスト教の神の義がある
からね、殺しておくれ」・・とでも言うと思うのか? 
 言う訳がない。また、是とする理由もない。
 ばあさん側への配慮、優しさが、まったく無い宗教。
 キリスト教の神を主体として考える宗教だから故、相手
側に立てないという思考の弱点・欠点を持っている宗教な
のだ。まったく不完全さを形成している宗教だ。
 キリスト教は、この様な宗教なのだ。次世代に残しては
いけない宗教だ。
 ラスコーリニコフの小説を書いたドストエフスキーは、
罰を受けてシベリア送りとなった。体制に抗したという理
由から。
 その時、ドストエフスキーは、考えただろう、このロシ
アの判決は、判断は正しい・・と。
 やはり、神の義に逃げ込んで人を殺す様などんな理由も
存在しないし、正義の理由もない・・と。
 キリスト教は、神を敬うと言いながら、結局、神のせい
にして、神に罪をおっかぶせて、悪さをするという宗教。
 故に、キリスト教の歴史には悪行が連綿と続いている。
 その歴史が証明している。次世代には残していけない宗
教なのだ。キリスト教は、社会に残さない行為が正しい。
 ドストエフスキーが最後に至ったのが、万民への思いや
りを配する佛の教えと同じ境地に至った。
 佛教の菩薩は、佛教の菩薩界は、一人でも救えない人が
居たならば佛になれない、佛にならないという、佛の一歩
手前のステージ・段階であるが・・、
 その定義、故に、世の救われない人々は、皆、救いきっ
てこそ佛になれるとする。
 逆に言えば、世の人々は皆、佛に至る手前の菩薩に救わ
れきっていく、故に、菩薩に一人残らず救われて行く、救
われない人は居ないとする。皆が皆、救われるとなる。こ
れが、佛の教えの一端。 
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(追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /