イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、

 題:イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
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 キリスト教のイエスの最後の1週間は、
 「受難週」とよばれる。
 この最後の1週間のイエスの行動を決めたのは、
 「イエスの心が終末意識で、頭が一杯だった」からと判
断できる。
 シュバイツァー博士も、その様に判断している。
 博士は、
 「イエスの自意識の中に終末思想があった」と主張した。
 また、当時は、終末思想の全盛期であった。
 イエスも、この終末思想全盛期の中で生きて来た。
 そして、その思想に大いに影響され、
 洗脳されて来た。
 その様な、イエスの心の状態の中から、
 「絶対あって貰いたくないこと。
 それは、神殿の崩壊が頭に満ちて来るイエスだった」。
 そして、イエスは、神殿が崩壊すると口にして、言い、
 そして、その事を、預言する。
 イエスは、その様な、切迫する心の状態の中に居た。
 切迫する危機感の中で、
 口にせざるを得ない心の状態の中に居た。
 イエスの脳裏は、
 終末の光景に満ちていた。
 世相も、これと同様、まったく暗い、
 夢も無い、また、乱れ、倫理も最悪の中、
 戦乱に明け暮れる世の中だった。
 このイエスの受難週の、
 「イエスの行動も乱れていた」。
 エルサレム神殿で、弟子達をつれ、そして、大暴れした。
 この様な事が予感したのか、
 弟子たちは、「イエスエルサレム行きに反対した」。
 イエスは激怒した。
 そして、「サタンよ、引き下がれ」と怒鳴った。
 弟子たちの考えと、イエスの考えは、
 完全に食い違いを起こしていた。
 キリスト教聖書は、ここの所を、
 主人公のイエスを悪く書く訳にはいかないので、
 すべて、「弟子たちが悪い」と書いてはいるが、
 例えば、
 ペテロがイエスを諌(いさ)めたとある。
 諌めるというのは尋常では無い。
 異常である。
 イエスと弟子たちは、
 完全に意識の食い違いの中に居た。
 イエスの刑死の時に、
 弟子たちが一人も居ないというのは、
 イエスと弟子たちが、完全に理解し合う間柄では無かっ
た事に原因がある。
 だから、行動を共にしてない女性たちが、
 イエスとの意見のぶつかり合いも起きえない女性方だけ
が、刑の執行に立ち会う事になってしまう。
 当然、弟子たちだけが、
 『逃げた』と悪者にされてしまう。
 イエスは、少なくとも、弟子を掌握していなかったと言
える。
 理解し合えていなかった。
 その様な状態で、エルサレムに入ったイエスは、エルサ
レムの庶民を敵に回す。
 エルサレム庶民が、生活のために商う店に対して、暴力
をふるう限りの事を、イエスはする。
 エルサレムの人たちのイエスの評判は、更に一層下がり、
最悪に。
 律法学者やパリサイ派の人々をはじめ、手当たり次第に、
エスは、口汚く攻撃した。
 尋常ではない行動をした。
 冷静さを失って居た。
 自暴自棄的であった。
 人生を、世を、あたかも、儚(はかな)んでいるが如く
であった。
 少なくとも、絶対に、理知的な行動とは、爪の先ほども
言えない状態だった。
 イエスは、口汚く罵った。
 『ベビよ、マムシの子らよ』。
 『偽善者どもよ』。
 イエスが捕えられるのは、完全に、イエスに原因がある。
 それは、さも、イエスが誘っている様でもあった。
 明らかに、イエスは、現代社会でも、現代の法律でも、
 警察署に連行される様な事を、イエスは行なっている。
 また、エルサレムの人々を怒らす事をしている。
 イエスも、捕縛されると思ったのだろう。
 ここまでしてしまったと思っただろう。
 その様な、予測をしていた。
 それにしても、世の中を覆う終末観の中、
 希望や夢の無い、悲惨な社会であった。
 それにしても弟子たちは、ボロクソに言われる。
 「イエスを理解しない、鈍い弟子たちだ」
 「苦しむイエスをよそに、高いびきで眠りこく」
 「調子よく生きる人間だ」
 「自分が不利になると逃げ出す人間だ」・・などと、
 サンザン言われる弟子たちが居た。
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 (参考)いさ・める【諫める】[動マ下一][文]いさ
・む[マ下二]1 主に目上の人に対して、その過ちや悪い
点を指摘し、改めるように忠告する。諫言(かんげん)する。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /