人には皆、『出世の本懐』がある。

 題:人には皆、『出世の本懐』がある。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教の聖書の『サムエル記』などを読むと、
 村の人たちを皆、殺してしまうという、話が出て来るが
・・、
 キリスト教の聖書には、この様な、悲惨な話に満ち々々
ている。
 本当に、軽蔑するぐらい、この様な話の連続のキリスト
教聖書だ。
 聖なる書などと、到底、言えないしろもの、実態なのだ。
 そして、何と、聖所の村でも、皆殺しに合うなどの記述
に、
 神も何もない話に、
 びっくりすると共に、更なる、軽蔑心が湧く。
 そしてまた、アメリカのベトナム戦争の蛮行が思い出さ
れる。
 この様な卑劣な行為は、キリスト教に感化されたもので、
 この様なキリスト教に、未来ある人生を断ち切られ、踏
みにじられた人々があまたいる事に心が痛む。
 そしてまた、キリスト教に、貴重な人生を投じる人たち。
 掛け替えのない人生を投じる人が、あまた居る。
 おしい事だ。
 そしてまた、考えてみると、一例、土の事を言語で「ア
ダーマー」と言う、そして、
 その土から造られたものであるから「アーダーム」とな
った・・などと、優秀な頭を、こんな事に使って、言葉の
『語呂合わせ』に興じている人たちも、あまた居る。
 勿体ない限りだ。
 そしてまた、一例、人類の始祖について、人類の数を少
なくして行く考え方・思考を思いつく、そしてその中で、
 始めは「一組の夫婦だったのだ」と思い至る。
 そして、それを教義にする。
 思考方法は間違っていなかったとしても、結論は間違っ
ていた。
 間違ったキリスト教が出来あがってしまった。
 一組の夫婦からは、人類は繁栄しえないのだ。
 『遺伝子の劣化』が起き、増えないのだ。
 そして、絶滅が起きてしまうのだ。
 こんな事に気付いても、何だかんだと言って、キリスト
教を讃美しなければならないのだから。
 結局、信徒の方たちを裏切り続けるという職業の人たち。
 人には皆、生まれ出ずる、そして来た意味、生まれて成
すべき事があるだろうに、そして、
 人には皆、「出世の本懐」というものがあるのだろうに。
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