聖骸布について・・誰でもわかる事が

 題:聖骸布について・・誰でもわかる事が
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教は嘘が多いが、程度の悪い嘘は、『考古学的
発見の嘘』である。
 21世紀に入る少し前、『イエスの巻き物』が発見された
と騒がれた。
 これには、学者も騙された。
 新聞・雑誌も大々的に報じた。
 また、21世紀に入って、間もなく、イエスの弟・『ヤコ
ブの骨壷』が発見されたと騒がれた。
 『イエスの巻き物』は、現代科学の力で、捏造(ねつぞ
う)が証明された。
 「ヤコブの骨壷」も、専門家たちは、やはり偽物とみて
いる。
 キリスト教は、キリスト教も嘘が多いが、その嘘が伝染
したのか、キリスト教の周りも嘘が多い状態。
 キリスト教は、自分に嘘が多いし、その嘘を言い張って
いるから、他を批判できない。
 この様な事で権威が落ちている事を自覚していない。
 特に、「聖骸布」の嘘はまったく改めようとしない。
 イエスが刑での死後、十字架から下ろされたイエスに、
布が被(かぶ)せられた。
 また、布なら、軟らかで、しなって、イエスの顔は、横
幅が広くなり、太っている様に見えるわけだが、
 まったくその様ではなく、
 正面からの正常な写真の様に描かれている。
 その布に、イエスの顔や体が、さも、プリントされた様
に描かれているというものである。
 化学分析の結果、中世のころのもの(布)と判明してい
るが、キリスト教は認めようとはしない。
 また、近年、キリスト教会は、この布を修復したという
(人間が修復したらいけません)、また、複数あるという
ことが何か変な感じがする。
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 (参考)ねつ‐ぞう【捏造】 [名](スル)《「でつぞう
(捏造)」の慣用読み》事実でないことを事実のようにこ
しらえること。でっちあげること。「記事を―する」
 (参考)wikipediaには、以下の記述がある(抜書き)。
  聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、キリスト教
でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死
んだ後、その遺体を包んだとされる布。イエス・キリスト
の風貌を写したという布には、聖ベロニカのベール、自印
聖像など、複数あったといわれるが、ここではただ一つ現
存するトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノ
聖骸布」(Shroud of Turin)を解説する。
 通常は一般に向けて常時公開されてはいない。カトリッ
ク教会の大聖年にあたる2000年に一般公開され、その後
2002年に修復作業が施された。2010年には修復後初めて
一般公開された。
 イギリスのサリー州ギルフォードで開業していた医師の
デイヴィッド・ウィリス博士が写真を元にした検討をした。
それによると、聖骸布の像の人物の背中には多数の鞭打た
れた後があり、3本の皮ひもの先に2つの小さな金属球がつ
いた「フラグム」という鞭で打たれたと考えられる。放射
線状についた傷の跡から、二人の執行者によって鞭打たれ、
右にいた人間の方が若干背が高かったとされる。
 聖ヨセフ病院の外科医長ピエール・バルベは実験を行い、
聖骸布で示される位置に釘を打つと手首の骨の隙間を押し
広げてとおり、簡単に貫通した。また神経の損傷により親
指が内側に曲がることを発見し、聖骸布の状態を確認する
と親指が隠されて陰影は写っていなかった。また、イエス
の磔の絵はほとんどの場合手のひらに釘が打たれて描かれ
ており、これらのことは聖骸布の陰影は誰かによって人為
的に描かれたのではなく、(イエス本人であるかは別とし
て)実際に磔刑にされた人物によるものであるという強い
医学的証拠である。
 「律法」によって死者は日没までに埋葬しなければなら
なかったため、ユダヤ人の受刑者は日没少し前までに死亡
しない場合、脚を折って死を早められた。聖骸布の人物の
脚が折られていないことは明瞭である。また、右脇に楕円
状の傷がある。ここから流れる血による陰影には、色の濃
い部分と薄い部分とがあり、血液と透明な液体とが混ざっ
ていたと考えられている(ウィリス博士)。
 これまでの調査では、その信憑性について支持的なもの
から懐疑的なものまで、結果は多岐に渉る。あるときは顔
料で描かれた絵であると推定されたり、後年の創作物であ
ると結論づけられたこともあった。
 1988年の調査では、オックスフォード大学、アリゾナ
学、スイス連邦工科大学の3機関において、考古学などで
資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定(炭素14
年代測定)が行われた。その結果、この布自体の織布期は
1260年から1390年の間の中世である、と推定された。
 1973年にスイス警察犯罪科学班のフライ博士によって行
われた聖骸布の花粉調査によって、レバノン杉をはじめ、
49種類の花粉粒が発見された。その中の13種類については
死海周辺にしか群生していない植物のものであった。しか
し、これはあくまでそう言う花粉粒が発見されたというだ
けであり、聖骸布が中東方面から来たとする絶対的な証拠
となるわけではない。
 また、ネガ状の全身像についても、どのような過程でそ
こに付着したのか、もし後年作成されたものであったとし
てもどのような材料や方法でそれを作成したのか、などま
だ不明な点が多い。
 カトリック教会は布の真偽に関係なく、信仰のための重
要な道具であるとの立場である。
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 (?の追記)この文に記した様に、『布は被せられた』
のではなく、『巻かれた』のだとされている。
 この文に、『被せられた』と記した理由は、巻かれたの
であれば、1例として、耳などが、耳の正面から描かれてい
る様に写っているわけですが、
 聖骸布は、カメラで正面から移したようにプリントされ
ている。
 つまり、正面から見た耳となっている。
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 (追伸の追伸)
 『神の御業(みわざ)』が、この様な聖骸布をなしたと、
主張するキリスト教が、
 何故、修復しなければならなかったのですか?
 神のなせる御業(わざ)は、完全ではないのですか? 
 神の御業が完全であるなら、修復は不要なはず、
 必要ないわけではないのすか? 
 それが、修復が必要だったということは、『神は完全な
事はなされなかった』ということなのですか?
 キリスト教が、修復したと発表したのは、「神の御業は
不完全なのだ」と発表したようなものではないですか。
 さらに、『神の御業がなしたものを、人間の手で修復し
た』とは? おかしいのではないですか?
 神が不完全だから人間が修復しましたと言っている様な
ものです。疑問です。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/