自分の都合を優先することを許す宗教

 題:自分の都合を優先することを許す宗教
 ...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教が守るべき律法。その中で、食べて良い動物
は、「蹄(ひづめ)が割れていて、反芻(はんすう)する
動物」のみ。
 故に、蹄が割れていない馬は、食べてはならない。
 また、豚は、蹄が割れているが、反芻しないので食べて
はならない。
 故に、魔女事件で、魔女にされた女性を陰湿に虐(いじ)
めるキリスト教聖職者は言う・・、
 「ブタを食べただろう」・・と。
 可哀想なその魔女にされた女性は、「食べてません」「
食べてません、豚は食べると気持ち悪くなるから、食べら
れないのです」と一生懸命に言うが、イジメ抜かれた女性
は、命を落としめられる。
 この様に、キリスト教には食べてはならない食物がある。
 この事例の様に、動物の豚もその様な食べてはならない
動物。
 また、海や川にいるものの中では、食べて良いものは、
ヒレと鱗(うろこ)のあるものだけ。
 イカやタコや海老もそうだ。食べてはいけないのだ。
 また、貝やウナギも、当然、食べてはいけない食物とな
っている。
 また、食べて良いことになっている牛肉は、しっかり血
抜きをしなければならない。
 (肉汁たっぷりのステーキは駄目)。
 キリスト教の一派:「エホバの証人の」は、輸血も駄目
としている。
 幼い子が、この医学の発達した現代、立派な病院で「輸
血」を拒否され、尊い幼い子の命を落とし、救えなかった。
 また、「肉を乳で煮てはならない」という戒もある。
 別々に煮ても、同時に食べてはいけない。
 皿に盛る時も、同じ皿に盛ってはならない。
 キッチンの流しも別にするとよい。
 (こんな時代錯誤な教え、信徒はほとんどが馬鹿にして
守らないと、適当にやっている。『自分の御都合』を優先
しているのだ。元々、キリスト教は低劣な教義に満ちてい
る。勝手に皆で破って平然としている宗教なのだ。一面で
は「神だ」「神だ」と言い、別の面では『自分の御都合を
優先する』。それを組織的にキリスト教は目をづぶってや
っている。組織自体が御都合主義にどっぷり漬(つか)っ
た宗教なのだ。くだらないの一言。こんな宗教を信じて、
皆様が幸せになれるはずがない)。
 着るものも、「男は女の着るものを着てはならない」と
なっている。そしてまた、反対に「女は男の着るものを着
てはならない」となっている。だから、女が「ネクタイ」
をする事が出来ない。
 また、2階にバルコニーを設ける時には、「手摺をちゃ
んと設けるようにしなさい」というのもある。これは当た
り前。言われなくても。落ちてしまうではないか。
 マニュアル宗教のレベルなのである。
 そして、『ユダヤ教徒の意識で死んだイエス』を供犠(
くぎ)として利用したパウロキリスト教の宗教企画(現
在のキリスト教)をキリスト教の宗教教義とした。
 そして、今では、多くのキリスト教聖職者でさえ信じて
いない「復活」を、「イエスの復活はあった」とパウロ
宗教企画に決めた。
 しかし、パウロは、肝心な「イエスの行動や言葉」はい
りませんと、必要ありませんと、捨ててしまった。そのこ
とを文にしてまでして残した。パウロの都合、お好み。
 そして、キリスト教は、ユダヤ教正典を「旧なる神との
契約の書」の地位に貶(おとし)めた。
 「神の子」を勝手に作ったキリスト教は、良かれと思っ
てやったのだろうが、神を『神の地位』からも貶(おとし)
めた。
 神に、「時間に捉われる」という行為をさせている。こ
の様な「大失態」をもしている。
 また、名も呼んではならないという神概念を崩す行為を
している。
 神を、「ある空間」の中に置くという行為もキリスト教
はしている。
 これでは、まったく、「人間と同じではないか」。
 この事例の様に、キリスト教は、神に良かれとやったが、
「神への大冒瀆(ぼうとく)」をしている。
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  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/