イエスの疑似「心療内科モドキ」

 題: イエスの疑似「心療内科モドキ」
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 イエスは、ユダヤ教徒だった。そして、意識は、ユダヤ教徒
の意識だった。ただ、イエスは、その律法を無批判に受け入れ
ていたのではなく、「正さねばならない」と考えていた。
 故に、イエスには、次の言葉がある、「(ユダヤ教の律法を)
捨てなくて良い。だが、正さねばならない。私は、そのために
来た」・・と。
 そして、(「マルコによる福音書』2・1〜12)に、「(イエ
スが)『子よ、あなたの罪は赦(ゆる)される』と言った、そ
こに(ユダヤ教の)律法学者が数人座っていて、・・心の中で
考えた。
 『この人は、何故こういうことを口にするのか。神を冒瀆し
ている。神・お一人の他に、一体誰が、罪を赦す事が出来るの
だろうか』」・・と。
 ここで分かる事は、ユダヤ教の律法学者は、「イエスもユダ
ヤ教徒だ」と見ているという事、そして、当然であるが、その
前提で、イエスの行為に、「あれやこれや」と言っている。
 そして、ユダヤ教律法学者は、ユダヤ教一神教と見ている。
 現代のイスラエルエルサレム大学の教授は「一神教になっ
た歴史は浅い」と言っているが、イエス在世の頃は、「一神教
観念が定着していたことが分かる」。
 因(ちな)みに、イエスの神観念に関し、色々な言葉が残さ
れているが、「天の父(神)の一神教的観念」と、「神々の存
在を信じる多神教的観念」がある。
 また、この文で、一神教概念の律法学者は、神一人が占有す
る『罪を赦(ゆる)す行為を、イエスは侵害している』と見た。
 イエスは、元々「ユダヤ教の律法」を捨てはしないが、律法
規定とおり拘束はされたくないという立場なので、その点はお
構い無しの考えで、ここは立場の違い、考え方の違いである。
 そして、イエスは、律法学者が、いつも言っているの事なの
で、彼らが「何を考えているかが分かっている」。
 ここを聖書は、もったいぶって「イエスが霊の力があるから
分かったのだ」と、イエスを美化する。
 そして、イエスは、律法学者たちに言う。
 「(神で無く)人の子が、罪を許せる事を知らせよう」と。
 そして、「中風の人に『起き上って、家に帰りなさい』と言
う。そしたら、その人は、起き上って、家に帰った。
 それを見ていた皆は驚いた。そして、神を賞賛した・・と言
う記述である。
 これは、現代科学でも認められている。ある程度のステータ
スのある人が、この様な『暗示』を掛けて起きる事とされてい
る。
 何も、聖書が言う様な「イエスの神通力ではない」。
 故に、ある程度の誰でもが出来る事なのである。古代の人々
は驚いたのだろうが、その様な事。
 だから、人々は『神を賞賛した』と言うのは『オーバー』な
書き方・聖書的な記述となっている。神と言っても「ユダヤ教
の神」なのだろうが。
 イエスは「ユダヤ教の会堂」で講演を良くし、また、ユダヤ
教側も、イエスの講演を『ユダヤ教の宣教』と見ていたから、
会堂使用も許した。
 中風になったのは、宗教と、まったく関係が無い事で、こぞ
って、宗教と関連して宣伝し、考えている。
 確かに、現代では普通にに行なわれている療法を、古代にお
いて、イエスは、一種の疑似「心療内科モドキ」で行為し、い
くばくかの効果を見たら、人々は驚くだろう。
 しかし、現代では一般的な事、何ら驚くには当たらない事な
のである。
 今・現代においても、キリスト教聖書は、この古代の物語を
化石のように記述し、「奇跡をしているイエス」のように感じ
させている。そして、神の讃美に帰結させている。神のなせる
「ワザ」の様に見せている
 キリスト教は、律法学者を口汚く罵(ののし)るが、ただ宗
教観が違うだけで、その様に嫌ってはいけない、愛すべき人た
ちなのである。
 あまりにも、キリスト教は偏狭(へんきょう)に、自分たち
だけを讃美し、相手を異常に敵対して、虐(しいた)げる。
 キリスト教の宗教的な狭さの一つとなっており、また、敵対
側の殺戮へと、最終的につながって行く。
 そして、根本原因は、イエスの「病気は罪のせい」という遅
れた観念である。
 この様な遅れた観念の書・聖書を、いくら読んでも幸せにな
れない。そして、彼は神でも何でもない、ただ、普通の一般的
な古代人だった。この様な古代の認識を、いくら読んで進歩は
できない。
 (参考)ちゅう‐ふう【中風】 《「ちゅうぶう」とも。悪風
に中(あた)る意》脳卒中の発作の後遺症として主に半身不随と
なる状態。中気。ちゅうぶ。
 (参考)心療内科:心身医学(しんしんいがく、英語:psyc
hosomatic medicine)は、患者の身体面だけではなく心理・社
会面を含めて、人間を統合的に診ていこうとする全人的医療を
目指す医学の一分野である。心身医学を実践している診療科が
心療内科(しんりょうないか)である。
 (参考) へんきょう【偏狭】 [共通する意味] ★心が狭いさ
ま。[英] narrow-mindedness
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp