・・そして、キリスト教となった。

題:・・そして、キリスト教となった。
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 「・・必ず不義の者」が居る。
 イエスの説く愛は、この形の中で説かれている。
 イエスの愛は、絶対の愛の中では説かれていない。
 キリスト教は、呪いの中で説く宗教である。
 「絶対の愛」という形は、存在し得ない環境の中にあった宗
教である。
 そして、愛を説いたイエスが、汚(けが)らわしい者たちと
罵(ののし)りながら、
 神殿で商売をしていた物売りの人たちの店を叩(たた)き潰
す。
 「金利を取ってはならない」との宗教理念があるからといっ
て、両替の店を叩き潰すことはないだろう。
 鳩屋の店も、滅茶苦茶にすることはないだろう。
 イエスの愛の実践なんて、こんな浅はかレベルなのだ。
 愛想よく隣の店の人と語らいながら、商(あきな)いをして
いた町の人々の中に、
 自分の宗教理念を揚げて、
 何の権利を持たないイエスが、
 暴力三昧をふるう。
 「お前達は強盗だ・強盗の巣だ」と蔑(さげす)み叫びなが
ら。
 似た様なことが、最近でも起きている。
 「世界の警察官だ」と。
 「イエスの夢を見た。決断した」と。
 最新兵器で、イラクを攻撃したキリスト教徒の大統領。
 アメリカの多くの若者が死に、
 また、まったく戦争と関係の無いイラクの多くの方達が亡く
なった。
 戦争を、やっと、生きて帰れたアメリカの若者も心を病み、
 ニューヨークのホームレスの5人に1人は、
 この戦争で心を病んだ若い者だと、報道で知る。
 罪深いキリスト教の宗教理念、
 そして、自分が信じているのだと、
 キリスト教の理念で戦争をやり始めたキリスト教徒の大統領。
 キリスト教の聖書、申命記7・1に
 「ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ぺリジ人、ヒ
ビ人、エブス人を貴方の前から追い払い、
 貴方の意のままにあしらわせ、
 貴方が彼らを撃つ時は、
 彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。
 彼らと協定を結んではならず、
 彼らを憐れんではならない。
 (「詩篇」137・8)には、
 「いかに幸いなことか・・(バビロンの)幼子を捕えて岩に
たたきつける者は」。
 これと同じことを、南米・中米・北米メキシコ、及び、その
離島で、インディオを全滅・殺戮したキリスト教徒と同行した
キリスト教聖職者たちは、
 このキリスト教の聖書が説き知らせることと同じこと「幼子
を岩に叩きつけ殺しをしている」。
 それも面白半分に。
 本「インディオスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサ
ス著をお読みください。
 キリスト教聖職者のラス・カサスは、「このままでは、天に
召されない」と、本国の王へ報告し、
 この本を書いた。
 もう悪行のし放題を、50年した後だった。
 「この馬鹿聖職者め」と言いたい。
 殺す前に気付け・・と。
 殺した人は生き返ってこないではないか・・と。
 (「詩篇」139・19〜22)「どうか神よ、逆らう者を討ち滅
ぼして下さい。
 ・・主よ、貴方を憎む者を、私も憎み、貴方に立ち向かう者
を忌むべき者とし、
 激しい憎しみをもって彼らを憎み、
 彼らを私の敵とします」。馬鹿聖書め!
 キリスト教には、自分たち信仰者を「正義とし」、
 その信仰を受け入れない者を「不義とし、敵視し」、
 愛の対象より駆逐するものとの考え方・教義がある。
 イエスも、この二律背反の思考形態となっている。
 というより、イエスにあったが故、キリスト教が、この様な
宗教の形となった。
 歴史に多くの殺戮の影を重ね、戦争の歴史を刻んだキリスト教
となった。