先住民・インディアンの方々の意志は無視され、そして、戦争に

題:先住民・インディアンの方々の意思は無視され、そして、戦争に
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 アメリカの独立戦争・・・。
 この話の背景を、まず、お話しますと、インディアンの先住民の
方々は、17世紀の末にはアメリカ大西洋岸(アメリカの東海岸)か
ら駆逐され、そして一掃させられて居りました。
 そして、イギリス国王は、『7年戦争後のアパラチア山脈以西へ
のイギリス人植民者の入植を禁止した宣言』を出していました(7年
戦争については後記を参照下さい)。
 先住民のインディアンの方たちは、この宣言が「7年戦争の後には、
イギリス人の入植がない」ということで、「自分たちの土地が守ら
れている」と解釈しました。
 そのため、アメリカのイギリスからの独立を目指す独立戦争にお
いて、インディアンの方たちはイギリス側について戦いました。
 しかし、独立戦争後、アメリカは「アパラチア山脈からミシシッ
ピー川に至る広大な土地をイギリスから得た(先住民に関する話は
無し)」。
 この事に対する先住民のインディアンの方たちの落胆は大きかっ
た。
 インディアンの方たちの意思は、まったく無視され、理解されず、
そして、インディアンの先住民の権利へも、まったく配慮されない、
理解も示されないこれ等・土地に関する取り決めでした。
 インディアンの方たちは、この事について抗議の行動を起こしま
した。
 これ等の土地でのアメリカとインディアン先住民の方たちとの戦
争が激化することになりました。
 1787年の『北西部条例』で、ミシシッピー川以東の土地がアメリ
カ人に開放されました。
 その間、この件に関し、インディアンの方達への説得や相談など
の意思の疎通の機会はありませんでした。
 事は必然的に紛糾しました。また、紛争は激増しました。
 アメリカは、戦い方において残虐さが増しました。
 先住民の女性や子供にも多数の犠牲者が出ました。
 無限定戦争です(東京大空襲も無限定戦争です。無差別に東京の
住民を焼き殺しました)。
 悲惨さが、より大きいこの無限定戦争が繰り返されました。
 イギリス人との白人間の独立戦争では、戦争の自制観が見られま
したが、インディアンの方たちに対する対先住民戦争では『無限定
戦争観』による戦闘でした。
 (限定戦争については、後述を参照下さい)
 それは、戦争にまったく関係のない方々(女性や子供たちなど)
への悲惨な多くの犠牲者を生みました。
 (「野蛮」視した異人種に対するという態度です)。
 キリスト教の原住民蔑視の思想・考え方は、南米・中米・北米メ
キシコ及びその離島などでも見られましたが、また、アフリカの方
々への『人間ではない』との発言などもキリスト教聖職者の発言と
して記録されて居りますが、アメリカのこの戦いにおいてもその状
況でした。
 (異人種・先住民への蔑視)。
 (アフリカの方々の奴隷の歴史も悲惨)。
 この時代、戦争で決着させる傾向がありました。
 キリスト教の生まれた地、及び、その時も、錯綜する人種・民族
間で富の奪い合いの戦いは繰り返されていました。
 このDNAをキリスト教は持っています。
 (参考)アパラチア山脈(Appalachian Mountains)は、カナダ
及び、アメリカ合衆国東北部に位置し、北東から南西方向に全長約
2,600kmにわたって延びる丘陵・山脈。
 (参考)七年戦争(しちねんせんそう、英: Seven Years' War、
独: Siebenjähriger Krieg、1756年-1763年)は、プロイセン
及びそれを支援するグレートブリテン王国(イギリス)と、オース
トリア・ロシア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた
戦争である。七年戦争は、ヨーロッパにおいては、イギリスの財政
支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・ス
ウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で戦い
が行われた。並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、
インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。
 (参考)アメリカ独立戦争アメリカどくりつせんそう, 英: Am
erican War of Independence)は、 1775年4月19日から1783年7月3
日までのイギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿
岸のイギリス領の13の植民地との戦争である。現在のアメリカでは
アメリカ独立革命(英: The American Revolution)もしくは革命戦
争(英: the Revolutionary War)と呼ばれ、主にイギリスではアメ
リカ独立戦争と呼ばれている。なお、日本の歴史教科書では、「ア
メリカ独立戦争」と表記することもあれば、単に「独立戦争」と表
記することもある。
 (参考)ディー‐エヌ‐エー【DNA】 《deoxyribonucleic acid》
1 ⇒デオキシリボ核酸 2 俗に、遺伝子のこと。また、先祖から
子孫へ連綿と伝わるもの。「父の―を受け継ぐ」「歴代モデルの―
を引き継いだ新車」「ジャ...
 (参考)く‐ちく【駆逐】 [名](スル) 1 追い払うこと。「悪
貨は良貨を―する」「私は此不安を―するために書物に溺れようと
力(つと)めました」〈漱石こゝろ〉 2 馬や車などで追いかける
こと。「馬車相(あい)―して進み...
 (参考)限定戦争はその定義に基づけば敵の殲滅によって戦争を
終わらせる戦争ではなく、より限定的な目標を達成することを勝利
とした戦争である。限定戦争ではその目的を制限することによって、
戦争に投入する軍事的手段を制限し、かつ可能な限り少ない費用で
平和を達成するよう努力しなければならない。戦略理論において、
この限定戦争の原理は目的と手段の適合として説明されている。リ
デル・ハートは戦争状態にある国家の目的とは可能な限り少ない人
的、経済的な損失で敵の抵抗する意思を屈服させることであると論
じている。つまり、敵に対する作戦を考える上では敵の意思を打ち
砕くことと損失を最小化することが重要であり、無闇に敵の軍事能
力を破壊するために犠牲を増やしてはならない。