毎晩・・母にぬくめられていた石・・・

☆題 : 《毎晩・・母にぬくめられていた石・・・
               思わず涙した記事・・・》:

 どんな薬より母の「手当て」の効く時期が、わが娘たちにも
あった。
 手当とは文字通り手を当てるだけのこと。
 ただ、はああっと息であたためてから「治る治る」とおまじ
ないをして当てるところがミソであった。
 夜中にせき込んだときには、抱き寄せて胸と背中を挟んで擦
った。
 体温を移すようにゆっくりと。
 静かに呪文を唱えながら。
 娘の小さな体がぽおーっつとあたたまっていく。
 私も少しずつ汗ばんでいく。
 母娘の体温が同じになるころ、娘は再びくったりと寝入って
いる。
 朝まで様子をみて、寝起きが悪いようなら医者へ。
 だが、そのままけろりとしてしまうこともまた多かった。
    (中略)。

 『 神棚に ははの抱寝(だきね)の 小石凍(い)つ 
               小原啄葉(たくよう) 』。

 この句は句集「不動」所収。
 「戦地の兄の姿に似た石を川原から拾つてきて、母は毎晩抱
寝してゐた」と添え書きがある。

 毎晩母にぬくめられていた石。
 兄の姿に似ていても石なのだから、一晩中ぬくもらなかった
日もあったろう。
 石を懐に母は何を思っていたか。
 その石が、母亡き今もこの世にあって、氷より冷えているの
だ。

 「不動」は作者の第8句集である。
 あとがきに「戦争体験の作品も若干加えた。・・・、事実は
事実として百年先のためにも遺しておきたいと思った」とある
ように、
 「初夢や自決の弾をひとりづつ」をはじめ、思わず姿勢を正
す句があまた収められている。

 母の祈りは届かず、兄は遺骨となって還った。

 「かぶさりて母が骨抱く稲埃(いなぼこり)」
 遺骨が石よりあたたかかったということはあるまい。

 「兄嫁がまた藁塚へ泣きに行く」
 えにしで結ばれた人が血縁以外にいたのは、幸いであったと
も言えようが。

 「咳止めと母に抱き締められしこと」
 生身の子を抱き締めた母と、抱き締められた子。

 いにしえから繰り返されてきた母と子の至福のときが、この
母にあったことをなによりと思いたい。
                  俳人・高田正子氏 
                   (日経2011・1・22)

   (「静かに呪文を唱えながら」
   ・・娘の体温を感じながら、
     小さくせき込む娘の動きまでも、
     敏感に思いやりの心で感じながら、
     ただただ母は
     娘の平癒を祈っていたのだろう。

   ・・静かな夜のしじまの中を
     母の体温以外の
   ・・心からの温かさも
   ・・娘に伝わって行った
             のだろう。

    また、その様にして
     成人した子が
   ・・兵となって
     寒い中にいると
     心を痛めた母は
   ・・何も子に
     起こらないようにと
         祈った。
         祈り続けた。

     かつての時の中に「今は亡き母」も居た。
     母の祈りは通じず、
     胸で温めてきた子は
     兵として 逝ってしまった )。