(増補版)475E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年1月〜1889年1月)

題:(増補版)475E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年1月〜1889年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1889年(明治22年)、出来事:
憲法発布:2月11日、大日本帝国憲法が発布された。
  天皇陛下が定める欽定憲法
内閣総理大臣
 黒田清隆明治21年4月30日〜明治22年10月25日
 三条実美明治22年10月25日〜明治22年12月24日(内大
      臣兼任)
 山県有朋明治22年12月24日〜明治24年5月6日
森有礼文相暗殺:2月11日、東京・麹町区(現=千代田区
 永田町の文部大臣官邸で森有礼文相が国粋主義者に刺さ
 れ、2月12日に死亡した。
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1889年、内閣・行政:
・市の成立:2月、内務省が36の市を告示。
・特別市制:3月23日、東京・京都・大阪を特別市制とする
 ことが公布。
・市制:4月1日、日本に初めて31の市が誕生した。
 江戸御府内を基礎とした15区により東京市が成立。
 年内に計40の市ができた。
・第1次山県有朋内閣(12月24日〜)
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1889年、皇室:
・新宮殿:1月11日、天皇陛下が赤坂の仮皇居から新宮殿に
 移られた。
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1889年、国際・国際会議:
エッフェル塔完成:3月31日、[フランス]パリのシャン・
 ド・マルス広場に建設されたエッフェル塔の落成式が行
 われた。
  フランス革命100周年を記念して開催されたパリ万博の
 シンボルとして建てられた。
  高さは312.3mで、当時、世界一高い建造物。  
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1889年、防衛・軍事:
・徴兵令改正(一年志願兵制度)公布:1月22日。
 1年志願兵の制が始まった。
憲兵条例を改正公布(憲兵):3月。
陸軍省 「陸軍歴史」(全30巻)出版
海軍省 「海軍歴史」(全25巻)出版
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1889年、経済・金融・貿易:
日本生命保険会社開業:9月20日
・ビール工場建設:日本麦酒目黒工場(現恵比寿)完成
  日本麦酒醸造会社(現=サッポロビール)が東京・下
 目黒村(現=渋谷区恵比寿)にビール醸造所を建設。
  煉瓦造りの3階建ての工場を建て、ドイツ人技術者を招
 き、ドイツ産の麦芽を使用してドイツ製醸造機械で生産
 を始めた。  
  1888年、工場地購入
  1890年、恵比寿麦酒発売
  1899年、ビヤホール
・年末、神奈川県、石油貯蔵規則を発布し、石油小売商人
 困難となる。
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1889年、物価:
・物価:氷、1貫目:8銭。
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1889年、交通・運輸:
東海道鉄道全通:
・鉄道一千哩記念祝賀会
・九州鉄道開業
横須賀線開通
国府津〜静岡間開通:2月1日、東海道線国府津〜静岡
 間が開通。国府津〜沼津間は箱根の山の北側を回るルー
 トで現在の御殿場線
東海道線の静岡〜浜松間が開通し新橋〜長浜間が全通し
 た:4月16日。
・中央線開業:4月11日、甲武鉄道の新宿−立川間が開業。
甲武鉄道の立川〜八王子間が開業:8月11日、新宿−八王
 子間は1時間17分。中央線の前身。
・東京乗合馬車会社が開業:5月11日、
東海道線の車両に便所が設置:5月、
・丸亀〜琴平間開通:6月23日、讃岐鉄道の丸亀〜琴平間が
 開通した。
  現在の予讃線土讃線の一部で、四国の鉄道の始まり。
横須賀線の大船〜横須賀間が全通:6月16日、
東海道線全通、湖上連絡船廃止:7月1日、馬場(のち=
 大津、現=膳所)〜米原関ヶ原が開通し、新橋〜神戸
 間を結ぶ鉄道の東海道本線が全線開通した。
  直通列車は、1日1往復で所要時間は約20時間。
 運賃が改定され、新橋−神戸間は下等で3円73銭。
 長浜〜大津間の琵琶湖の湖上連絡船は廃止:初の鉄道連
 絡船(1883年)
東京湾汽船(現=東海汽船)が開業:11月11日、
・博多〜千歳川間開通:12月11日、九州鉄道の博多〜千歳
 川(久留米近くの筑後川の右岸にあった)間が開通した。
  現在の鹿児島本線の一部で、九州の鉄道の始まり。
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1889年、衣:
・警察官・消防官の帯剣が制定された。
・服飾に復古的な傾向強く現れ始め、日本髪用品の売れゆ
 きが良くなる。
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1889年、食:
・フランスの万国博覧会に上菱ビール出品される。
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1889年、住:
・凾館水道竣工
・東京石工組合認可
木挽町歌舞伎座建つ
・大阪電燈、京都電燈、名古屋電燈、それぞれ開業
福島県郡山水道会社開業
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  (今日の言葉)
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  題:次期アメリカ大統領のトランプ氏で、この様な筋の通
    らない話は変わると考えるが・・
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1905年、アメリカは、日露戦争によって、アメリカが目指
 した「日本の勝利」「ロシアの敗北」の目標が達成され
 た結果、
  「中国市場を獲得したい」というアメリカの目的や、
  「ロシアの満州支配の強まり除去」(ロシアの市場化
 の動きを除きたい)のアメリカの目的が達成され、そし
 て、そうなると感じた。
  しかし、実際にその様になってみると、そこに、用済
 みとなった日本が居て、今度は、中国(清)のアメリ
 の市場化の対抗軸に日露戦争に勝利した日本が居た。
  この時点が・・、この日露戦争の後こそが・・、
  「アメリカが、日本を叩きたいとした出発点」だった、
 「日米対立の序曲」だった。
  今までのアメリカの行動の原点には・・「自分たちの
 利益を追求したい」だけがあった・・、
  そこには、常に、戦争を介在していた・・、
  今度は、その日本を除きたいとする・・その様なアメ
 リカが居て・・、
  アメリカは、日本をその様な位置に位置づけた。
  ここに日本の悲劇があった。
  (アメリカは、共に進むかたちを、常に、取ろうとし
 て来なかった)。
  この翌年の1906年セオドア・ルーズベルト大統領(
 第26代アメリカ大統領、在任期間:1901年9月14日〜1909
 年3月4日)は・・、
  「日本との将来の対決を予想した」。
  そして、愚かにも「対日戦争計画(オレンジ計画)」
 の準備を命じた。
  それは、日露戦争における、日本の見事な勝ちっぷり
 にあった。
  日本の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊に、見事
 な完勝をした。
  それは、「新たなアメリカの脅威」だった。
  アメリカのセオドア・ルーズベルトは、日本の勝利に
 よって満州アメリカの市場化への道・通商の道が開か
 れると期待した。
  つまり、日本が、ドアボーイの様に演じると思った。
  しかし、日本の一級の軍事力がそこに見えた、見てし
 まった。
  アメリカは、むしろ逆に、「アメリカが、うまい汁と
 吸っているフィリピン」が奪われるという恐怖・脅威を
 感じた。
  そして、さらに日本にとって、日米にとって、悲劇な
 事は、この脅威論を背景に、アメリカ西海岸に広がった
 「黄禍論(黄色人種の日本人が、禍(わざわい)を起こ
 すという論理)」だった。
  (これは、低級なマスメディアによってあおられた)。
  さらにまた、「アメリカ西海岸に、日本が攻めて来る」
 という、まったく根も葉もないことを、アメリカで言い
 ふらされた。
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  そして、
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1906年、この年から、卑劣な事だが、アメリカでは、日本
 との『戦争の仮想シミュレーション』が、毎年、なされ
 た。
  セオドア・ルーズベルト大統領(第26代アメリカ大統
 領、在任期間:1901年9月14日〜1909年3月4日)が、命じ
 て始められた『対日戦争計画』である。
  「オレンジ計画」と名付けられたこの計画は、具体的
 な戦争シミュレーションで、
  毎年、日本を仮想敵国として実施され、戦争のやり方
 が検討され、見直された。
  もう、日本との「戦争ありき」の、「対日戦はやるの
 だ」の頭しかないアメリカだった。
  戦争回避の話はなされず、回避策が皆無のアメリカだ
 った。
  アメリ海軍省戦争研究所は、対日戦争に、凝り固ま
 っていた。
  好戦的なアメリカだった。
  真珠湾で日本が攻撃する筋へ持って行かれた。
  真珠湾の日本の奇襲の作り話は、本当に「ちゃんちゃ
 らおかしい作り話」なのだ。
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  そして、
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1913年5月19日、排日土地法
  この年に、アメリカのカリフォルニア州は、日本人移
 民の農地所有を禁じる法律を制定した。
  日本政府は、当然、抗議した。
  アメリカは、日本を逆恨みした。
  これを利用した「日本を悪者に貶(おとし)める組織」
 が、ウォー・スケア(戦争騒ぎ)を煽(あお)り、高ま
 らせられた。
  「日本軍が、攻めて来る」のではないかという病的な
 危機感に覆われた。
  海軍次官補だったフランクリン・ルーズベルト(1933
 年に、第32代アメリカ大統領になる)は、この様なカリ
 フォルニアに、1914年に訪れ、
  元中国軍の顧問だったホーマー・リーが書いた本「サ
 クソンのH」が送られている。
  その本は、「イギリスが、アジア系民族によって亡ぼ
 されそうになる」という予言的に書かれた刺激的内容に
 なっている。
  この様な本を、フランクリン・ルーズベルトは読んで
 いる。
  この元中国軍顧問の男が、中国、もしくは、共産・コ
 ミンテルンの工作員の可能性は否定できない。
  また、今・現在でも、この類の様な工作が、アメリ
 や日本などの「特に、マスコミや官僚」に、なされてい
 るという可能性が否定が出来ないという。
  それは、マスコミや官僚をターゲットにするのが、「
 効率が良い」からである。
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  そして、
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1915年、日本を貶(おとし)める工作がなされた二十一ヵ
 条要求。
  これは、日本がはめられた事件だった。
  今、新事実が、次々に明らかになって来ているが、
 そして、歴史的事項が、あらゆる年代で書き換えられて
 いるが・・、
  この事件でも、新事実がが明らかとなった。
  当時、中華民国大統領の袁世凱(えんせいがい)が、
 中国国民を納得させるために、この二十一ヶ条を、日本
 に書いてくれと、『日本側へ頼んでいた』ということが
 明らかとなった。
  これは、当時の日本の外務大臣である加藤高明の自伝
 にも書かれているが、
  また、東郷茂徳元外相が、巣鴨プリズン(刑務所)に
 入っている時に記した回顧録にも出て来る。
  中国の「引っ掛け外交」だった。
  日本に「エサ」を撒(ま)いて、日本の失策を作ると
 いう作戦だった。
  世界へ、「日本は武力を背景に、不当極まる要求を、
 押し付けて来た」と宣伝された。
  あえて、日本へ「最後通牒」を出してくれと頼んだと
 いうことは、おくびにも出さなかった。
  日本は、完全に嵌(は)められて悪者にされてしまっ
 た。
  これは、中国の狙い通りに展開した。
  以後、日本の立場は急速に悪くなった。
  日本への世界の圧力は、急拡大して行った。
  この様な裏まで知って、そして、判断する国などなか
 った。
  日本は、悪者にされ、「武力で脅されたので無効だ」
 の論理が出てきた。
  正式に交換された条約までが無効という話になった。
  近年も、韓国が、この論調を主張するという臆面ない
 行動をとり、また、不正義な行動をしている。
  信頼などあったもんじゃない状態。
  この頃の話に、「田中上奏文」という日本が、引っ掛
 けにかかった「引っ掛け話」がある。
  これは、日本を引っ掛かけていたという事が、2005年
 に明らかになった。
  「日本の悪玉化」=「ディーモナイゼーション(悪魔
 化論)」で、日本は、どうしようもない「悪玉」にされ
 た。
  今・現代、「靖国神社参拝」が、中国によって「ディ
 ーモナイゼーション」されている。
  そして、アメリカが、中国と同じ論調となっている。
  しかし、次期アメリカ大統領のトランプ氏で、この様
 な筋の通らない話は変わると考えるが・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive