(増補版)54B:気になった事柄を集めた年表(1416年〜1431年)

 題:(増補版)54B:気になった事柄を集めた年表(1416年〜1431年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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1418年、世阿弥が「花伝書」を著し、能を大成した。
1419年、クリスマスツリーは、キリスト教とはまったく関
 係ない。
  ゲルマン民族の「御神木信仰」に由来している。
  何でも他宗教の事を持ってくるキリスト教が取り入れ
 ただけ。
  また、クリスマス自体が、他宗教の祭りだ(冬至の祭
 り)。
  他宗教のそのお祭りが、あまりにも盛大に行われてい
 るので、キリスト教も、その日に乗っかった。
  イエスの誕生日は全く不明なのであり、イエスの「存
 在自体」も立証できない状況。
  キリスト教での、クリスマスツリーの初めは、記録に
 残っているのは、この年に、ドイツのフライブルクでパ
 ン職人がキリスト教施設にツリーを飾ったというのが最
 初とされている。
1420年、雪舟(せっしゅう、禅僧、水墨画家)が生まれた
 (1420年〜1506年)、
  現存する作品のうち6点が国宝に指定されている。
  周防に、1454年に移り、守護大名大内氏の庇護を受
 けている。
  遣明船で1468年に明へ渡航し、政府の建物の壁画を描
 いている。評判になったという。
  また、雪舟の描いた風景の写生画が中国各地に残って
 いるという。
1428年8月〜9月、正長の土一揆(しょうちょうのどいっ
 き)が起こった。
  農民が起こした初めての一揆
  天候不順からの凶作や流行病、そして、政治の不安な
 どから社会不安が高まり、徳政を求めた。
  その一揆が、畿内一帯に波及し、各地で借金に苦しん
 でいた農民たちが、酒屋・土倉などを襲い、私徳政が行
 われた。
  京都から奈良へ波及した。
  土倉が持っていた借金の証文が破棄された(私徳政)。
  興福寺が徳政令を認めたので、公式な拘束力を持った
 ものとして施行された。
  この碑があり、その碑には、「正長元年より以前の、
 神戸(かんべ)四箇郷における負債は一切消滅した」の
 意が刻まれている。
  この碑は、国指定史跡になっている。
1430年、細川勝元が生まれた(1430年〜1473年)。
  3度、管領になる。
  細川勝元山名宗全とで争い、ついに応仁の乱になる。
  細川勝元は、畠山持国の養子と実子の問題が発生点。
  持国に子が無かったので甥の政長を養子とした、後に、
 実子・義就が生まれたので政長を退け、義就をたてた。
1430年、アステカ王国:1430年頃にメキシコ盆地の覇者
 となった。
  王国の経済は、徴税によって成り立ち、都・テイチテ
 ィランの市場は、納税品と公益品とで活況を呈し、人口
 も10万人を越えた。
  アステカ族は征服を、度々、行い、捕虜を大量に生贄
 (いけにえ)とした。
  王を頂点とする成層複合社会を造り上げたが、スペイ
 ン人コルテスの滅ぼされた。
1430年5月23日、ジャンヌ・ダルクが捕縛された。
  イギリスとイギリスに味方するフランス軍の一部の策
 略があった。
  また、このジャンヌ・ダルクが活躍したイギリスとフ
 ランスが戦った百年戦争には「戦地を連れ歩く娼婦(従
 軍慰安婦)」が居た。
  ジャンヌ・ダルクを告発したのはキリスト教の異端審
 問所にいるキリスト教司祭(ピエール・コーション)だ
 った。
  このキリスト教司教は、非人道的方法でジャンヌ・ダ
 ルクを責めた。
  また、罠(わな)を仕掛けた卑劣な糾弾の仕方をした。
  また、ジャンヌ・ダルクを罵(ののし)りもした。
1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクが、火刑(焚刑)に処
 せられた。19歳の若さだった。
  キリスト教会の異端審問所が彼女に下した罪状は「悪
 魔の喚起(かんき)、様々な異端行為、様々な過(あや
 ま)ち、偶像崇拝、その他」という、多くの罪状を付け
 た。卑劣そのものだった。
  彼女は、北フランスのルーアンという所の広場で公開
 処刑された。
  処刑される時、彼女は泣いていたという。
  キリスト教の聖職者の司祭が取り囲んでいたという。
  また、観衆が大勢の見物人の中だったという。
  焼かれる前に、彼女は、「異教徒で、異端で、偶像崇
 拝者である」と書かれた帽子をかぶせられ、また、杭に
 縛(しば)られていた。
  1412年生まれの彼女のはかない一生だった。
  悪の宗教=キリスト教には救いがなかった。
  城に立て籠るフランス軍は、積極的に攻めるという姿
 勢も無く、また、取り囲むイギリス軍も、積極的に攻め
 るというわけでなく、
  兵糧攻めの状態だった。
  そこに、ジャンヌ・ダルクの援軍で、フランス軍は活
 気づき、積極的に攻めて勝ち戦となった。
  この北フランス生まれの彼女の功績は何だったのか?
  ジャンヌ・ダルクは、男装をしたのを「異端」とされ
 た。
  キリスト教の聖書に「女は男の服装をしてはならない」
 とあるからである。
  今、キリスト教は隠しているが・・、
15世紀、キリスト教に、悪魔と結託してキリスト教社会の
 破壊をもくろむ背教者という新種の魔女概念が生まれた。
  そして、キリスト教裁判所で行われる大規模な魔女裁
 判が興った。
  キリスト教は、キリスト教会内に、キリスト教裁判所
 を作り、キリスト教聖職者が異端審問をした。
  魔女裁判も行った。
  下記は、その裁判の様子を詳細に書いた記録が残って
 いる、その資料。
  (資料) : 女性の悲劇:ヨーロッパのキリスト教国の
 女性には、拷問を伴う魔女裁判という悲しい歴史がある。
  今、日本では「美魔女」など安易に魔女という言葉を
 使っているが・・、
  キリスト教による魔女裁判記録の1例・・、
  16世紀のなかばのトレドのキリスト教の異端審問で、
 エルヴィラ という人妻に対して行われた「尋問」の経過
 を、忍耐強い書記が被告の悲鳴や絶叫にいたるまで、細
 大洩らさず書きとめた長文記録。
  裁判には、拷問が、必ず行われた。
  ・・(エルヴィラの両腕を縛った綱がさらに締め付け
 られ、捻じられる。悲鳴。)
  「裁判官さま。何を申し上げたらいいか、言ってくだ
 さい。私がどんなことをしたのか私にはわからないので
 す。綱をゆるめてください、本当のことを申しますから。
 何を言えとお望みなのか、私には分かりません。おっし
 ゃってください。その通りに申します。」
 (さらに綱が締められる。「真実を言え」と迫られる。
 「どう言ったらいいか教えてください。何でも申し上げ
 ますから」と彼女は繰り返す。)
  (「おまえは豚肉を食べただろう」と誘導される。)
  「いいえ、食べた事はありません。豚肉を食べると私
 は気持ちが悪くなるのです。豚肉は好きじゃないんです。
 私は何も悪い事はしていないんです。どうぞ放して下さ
 い。何でも申しますから。何を申し上げれば宜しいので
 すか。何を言ったらいいのか分からないんです。言って
 下さい。何でも申します。放して下さい。何でも申しま
 す。・・・言って下さい、言って下さい。」
 (綱はゆるめられず、「カトリック教会にそむく事を
 しただろう」と尋ねられる。)
 「放して下さい。・・(うめき声)・・ここからおろし
 て下さい。何を言ったらいいか、言ってください。ああ
 ・・苦しい。お望み通りのことをみんな申し上げますか
 ら・・。裁判官さま、もう腕が砕けます・・。ゆるめて
 ください・・」
  (「お前がした事を詳しく言え」と迫られる。)
  「何を申し上げたらいいのか・・・。そうです、いた
 しました。なんでもいたしました。・・ああ、ゆるめて
 下さい。申し上げねばならない事が、私には思い出せな
 いんです。弱い女の身です。腕が砕けそうです。弱い女
 に、憐れみをお持ちではないのでしょうか。・・」
  (裁判官は、「本当の事を言えば憐れみを持つであろ
 う」という。)
  「裁判官さま、言って下さい。本当の事というのを教
 えて下さい・・。(泣きむせぶ)・・分からい・・何を
 言ったらいいのか・・。」
  (同じ言葉の繰り返しと拷問が続いたのち、「おまえ
 は土曜日に麻の着物を着替えただろう」と尋ねられる)
  「はい、着替えました。着替える時が来ていたからで
 す。悪意があっての事ではありません。何をお考えにな
 っているのでしょう。・・」
  (裸にして拷問台に寝かされる。四肢は四方に、綱で
 引っ張られる。口に水管が差し込まれ、水差しから水が
 注がれる。その合間合間に彼女は前と同じことを繰り返
 えす。ここで、拷問は一時「中断」。)
  それから4日後、拷問は再開された。              
    岩波新書魔女狩り」より
..
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