大きい世界観から活動を開始したという訳では、まったくなかった。

 題:大きい世界観から活動を開始したという訳では、まったくなかった。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の、イエスの家庭は、子沢山な家庭だった。
 イエスの家族は、9人か、または、それ以上と考えられ
る。
 当時、半分の子供が、15歳までに死ぬ・・という、社会
だった。悲惨な社会だった。
 日本でも・・昔はそうだったが・・、その様な社会は、
悲しい事だが・・その対策として、多くの子供を持つもの
だ。
 古代の時代に生きたイエスの家庭も・・その様に・・子
沢山の家庭だった。
 イエスには、7人の兄弟姉妹、または、それ以上の兄弟
姉妹たちがいた。
 イエスが長男ではないという事は、既に、書かせて戴き
ましたが、
 故に、処女マリアは『嘘だ』と、既に、書かせて戴きま
したが・・、(単なる翻訳ミスで処女となっただけで、イ
エスの生誕は処女マリアからではない・・と)、
 イエスは『次男』か、『三男』だと見られている。
 また、子供の死亡率が高い事も、既に、述べたが、平均
寿命は、『30歳未満だった』と言われている。
 イエスの経歴は、あまり詳しく分かっていないが、
 34歳か、36歳の頃の歳に、刑になったと見られている。
 イエスが、実際に居た、存在したという『存在証明』は
出来ない状態となっている。
 イエスは『居なかったかもしれない人』となっている。
 この原因を作ったのは、『キリスト教会』だ。
 イエスに都合の悪い事を書いた書類(当時のキリスト教
会が都合が悪いと、当時のキリスト教会の判断で、焼いて
しまったのだ。焼却処分。馬鹿な事をしたものだ)。
 イエスの存在証明が出来なくなってしまったのだ。
 イエスの生きた時代は、平均寿命が30歳以下だったとい
う。その様な、平均寿命が短い当時なので、イエスは長生
きの部類に入る。
 そのイエスが、活動を始めたのも30歳を過ぎており、
 イエスは、晩年になって・・その活動を始めたと言える。
 活動期間も『1年』か、長くても『2年』と見られている。
 そして、それまで、イエスが活動していたという記録は、
一切ない、書かれていない。
 父・ヨセフの職業の大工を継いでいる事が分かっている
ので、多分、大工仕事だけをしていたのだと考えられる。
 多分、推測だが、父・ヨセフの死が切っ掛けなのだろう、
その大工仕事を止めて、突然、イエスは、洗礼者ヨハネ
所に現れた。
 この洗礼者ヨハネは、イエスの従兄弟であり、つまり、
親戚筋の人なのである。
 洗礼者ヨハネは、当時、有名な活動家だった。
 イエスの親戚筋でも、評判になっていたと考えられる。
 イエスは、この有名な従兄弟の洗礼者ヨハネに、是非、
洗礼して貰いたいと、洗礼者ヨハネの所に現れたのであっ
た。
 そして、イエスは、この従兄弟の所に入門した。
 しかし、謙遜深い洗礼者ヨハネは、イエスを立てた。
 人物的にも、出来た人だったと思われる。
 イエスは、この洗礼者ヨハネに付いて、修業を教えてもら
い、一緒に修行した。
 当時、イスラエルには、多くの預言者が居り・・、
 公的機関は、この預言者たちを処刑していた。
 このことが、洗礼者ヨハネにも訪れた。
 洗礼者ヨハネは、処刑された。
 この時に、イエスではなく、洗礼者ヨハネが処刑された
という事は、まだまだ、イエスの『表立った存在』は無か
ったと言える。
 また、洗礼者ヨハネの活動が、公権力の目ざわりとなり、
処刑の対象にしたと言える。
 イエスは、陰に隠れる存在だった。
 洗礼者ヨハネの居なくなったイエスは、自主的に活動を
始めた。
 その活動は、洗礼者ヨハネとまったく同じだった。
 それ故に、それまでのイエスは、「神の子」という状態
とは、まったく無縁だった。
 また、超能力や奇蹟をおこすという人とは、まったく、
違った、無縁だった。
 当然、イエスが、評判になったなどという話もない。文
献などにも、まったくと言ってない。
 イエスの生まれ育った地元・故郷の人も・・、
 「この人は、この様な事を何処で知ったのだろう」と、
驚いているくらいなのだ。
 「この人は大工では無いか」と(「マタイによる福音書
6・1〜3)参照。
 でも、イエスも、故郷では奇蹟などがやりにくいと、本
音を吐露(とろ)している。
 また、『活動を開始したイエス』と言ったって、大きい
世界観から活動を開始したという訳では、まったくなかっ
た。
 狭い、ある一時代に、また、ある一地方に、生きた人が、
活動を開始したという活動だった。
 当然、現在では過去のものとされるもの。
 また、イエスに、ある理念に基づいて『立宗をしよう』
などという理念なども、まったくといってなかった。
 当然、また、イエスには、キリスト教の「キの字」も無
かった。
 キリスト教の立宗など、私には『関係ない』という御仁
だった。
 イエスは、ユダヤ教で満足していた。
 ただ、ある『狭いユダヤ教の理念だけ』を主張するという
御仁だった。
 イエスは、ユダヤ教の枠内だけで、思考を展開するという
御仁だった。
 ユダヤ教のある一つの宗派の「エッセネ派」の主張をとな
える御仁なだけだった。
 イエスの多くが、洗礼者ヨハネの影響を受けた枠内にあ
った。
 洗礼者ヨハネは、禁欲的で、ラクダの毛皮を着て、腰に
皮の帯を締めて、荒れ野で修行し、イナゴとか、蜜を食べ、
戒律を守り、沐浴(もくよく)をし、農耕をし、手工芸を
し、財産の私有はせず、菜食の生活という状態だった。
 イエスは、洗礼者ヨハネに影響されたとは言え、エルサレ
ムの人から、「大酒、飲み」とか、「大飯(おおめし)食
(く)らい」と、そのイエスの贅沢の生活を、半分、羨む
意味を含みながら、揶揄(やゆ)されていた。
 結構、イエスは、贅沢をしていたと言える。
 研究者も、十字架像(あの偶像崇拝の十字架に付いてい
る像)のイエス像と違い、実際のイエスは、かなり太って
いたとしている。
 キリスト教の大きな基本・根本としている福音書は、大
きな間違いをしている。
 新しい出現として「イエス」を扱っているが、そのイエ
スが信奉していた「父なる神」をないがしろにしている。
 イエスが、この事を知ったら大いに怒るだろう。
 山から降りて来て、怒りに怒った「モーゼ」の様に、イ
エスも、現在のキリスト教を見て、怒りに怒るであろう。
 信仰が成立していない・・と。
 キリスト教は、その事が分かっていたって、イエスの死
後、何百年も経った後に、人間様たちが集まって、公会議
と称して、イエス聖霊も、みな、神にしてしまった。
 しかし、神が増えたと言う訳ではなく、「マジック」を
掛けた様に『一神だ』と称した。それで安心している。
 キリスト教は神をいじくり過ぎている。
 節操が無いことを、人間様が、やり過ぎる。
 信じるに足る・・宗教ではない。
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