各国は、「ユダヤ人追放令」を出した。

 題:各国は、「ユダヤ人追放令」を出した。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、ローマ帝国の国教となった以降、「虎の
衣を借る狐」のごとく、卑劣な『振る舞い』をした。
 ローマ帝国の権力をかさに、錦の御旗を立てて、ユダヤ
の方々へ、『やりたい放題』の悪行為をした。
 事例をあげれば、
 「ユダヤの方々とキリスト教徒が、一緒の家に住むと、
ユダヤの方々は死刑とされた」。この様な破廉恥な規則を
作った。
 また、ユダヤの方々は、「キリスト教徒の奴隷を使って
はならない」とされ、
 また、ユダヤ教に入ったキリスト教徒は殺された。
 また、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)は作ってはならな
いとされ、
 また、ユダヤ教の布教活動は禁止され、違反をすると死
刑となって、殺された。
 また、ユダヤ教を「邪悪な宗教(セクタ・ネツアリア)
と呼ばせ、強制した。
 また何と、ユダヤの方々の「公民権を剥奪」し、人間で
は無いという取り扱いをした。卑劣極まりない。
 また、キリスト教会は、ユダヤの方々を「悪魔の子だ」
と言い、思わせ、そして、「ユダヤ人は、悪魔の助けで金
を儲けているという妄想」を吹聴した。
 そして、善良な人々は、キリスト教会によって、怨みと、
嫉妬(しっと)を掻(か)き立てられた。
 そしてまた、ユダヤの方々を一定の区域だけに住むよう
に強制した。
 「ゲットー」という一定区画への閉じ込め策である。
 また、キリスト教は、執拗に「ユダヤの方々が、過ぎ越
しの祭りのために、キリスト教徒を殺している」と、流言
飛語をまき散らした。
 そして、「殺したキリスト教徒を、祭壇に捧(ささ)げ
ている」と尾ひれはひれを付けて、キリスト教の得意なプ
ロパガンダ(嘘宣伝)をした。
 このプロパガンダ(嘘宣伝)は、執拗で酷(ひど)かっ
た。
 「ユダヤ人は、キリスト教徒の子供を殺し、その血をパ
ンに塗って食べている」。「ユダヤ人は、毎年、何処かに
集まって、次の犠牲者を誰にするか、くじを引いて決めて
いる」などと、ありもしない事を言いふらした。
 人々は、キリスト教会の言う事を、本当の事だと信じた。
 キリスト教の聖職者のアゴバールは、ヒステリックに叫
んだ。「ユダヤ教の迷信と、ユダヤ人商人の悪がしこさは、
がまんがならない」・・と。
 ユダヤ人の方々の商いの上手さに、市民は妬(ねた)ん
でいたが、このことを、キリスト教聖職者は利用した。
 ユダヤ人の方々は、『キリスト教会の煽動』によって、
また、煽られた住民の凶暴化した暴力・蛮行によって、ま
た、領主の欲バリ観念によって、また、気まぐれとしか言
いようの無い行動から、事あるごとに『虐殺』の対象とさ
れた。
 キリスト教会の思惑どおりに世の中は展開して行った。
 ユダヤ教は、キリスト教に先行し、ヨーロッパ社会に広
まっていたので、キリスト教会は、特に、その面からも、
ユダヤ教に対し卑劣な行為を繰り返した。
 また、根強く『キリスト殺し』の観念が、怨念となって
行動の底流に存在していた。そして、十字軍である。
 この十字軍と共にこの怨念は、更に激しくユダヤの方々
へ降り注いだ。
 第二回十字軍の時は、「北フランスの地は、ユダヤ人の
方々の血の海となった」。
 また、第三回十字軍の時は、イギリスのヨーク地方の虐
殺と、十字軍の度ごとに、何処かで、悲惨なユダヤ人の方
々の虐殺が起きた。
 無数のユダヤ人の方々が、キリスト教会の煽動と、『キ
リスト教徒の子供の血をすすった』という有りもしない流
言飛語で、
 パリや、ブロアや、リンカーンや、ヴォルフスハイムで、
火を噴き、焚刑の煙に満ちた。
 第4回キリスト教宗教会議では、「ユダヤ人は悔悛(かい
しゅん)する事を知らぬ輩だ」と卑劣な決議がなされた。
 そして、「ユダヤ人は、キリスト教の聖なるサクラメン
トのキリストの肉である聖パンを、今も拷問し、苦しめて
いる」と決議した。
 悪意のキリスト教の圧力で、各国は「ユダユア人追放令」
を出した。
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 (参考)かい‐しゅん【悔悛】 [名](スル) 1 犯した罪
を悔い改めること。改悛。 2 過去の罪を悔いて、神の赦し
を請うこと。
 (参考)サクラメント【sacrament】 キリストによって
定められた神の恩恵にあずかる儀式。カトリック教会では
秘跡といい、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙
階・婚姻の七つ。プロテスタント諸教派では聖礼典(礼典)
と称し、洗礼と聖餐(...
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(追伸)
 12世紀には、ユダヤ人の方々は、150万人いたが、
 そのユダヤ人の方々が、キリスト教の煽動で殺され、その
人数がわずかな数になった。
 何と、『80%のユダヤの方々が殺された』のである。
 20%の人しか生き残れなかった。
 15世紀には、ユダヤ人の方々は、30万人に激減した。
 悲惨な事である。
 絶滅寸前にまで追い込まれたのである。
 それでも、18世紀には、250万人に回復することができた。
 そして、19世紀には、1000万人に増えることができた。
 生活の改善もあったのだろうが、何よりキリスト教による
虐殺が少なくなったことが、この人口の伸びを可能にした。
 そして、20世紀、悪夢が再来した。
 キリスト教にかぶれた「ナチスによる大虐殺」が起きて
しまった。
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  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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