泰緬鉄道のできごと

 題 : 泰緬鉄道のできごと

 泰緬鉄道(たいめん)の工事で、多くの方が亡くなった。
 この鉄道は、日本の作戦上重要な鉄道だった(下記の「参考」を
ご覧ください)。
 早く作る必要があった。
 日本からの補給もままならない中で、日本人や現地人に加え、イ
ギリス人捕虜も工事に加えねばならない理由・大義があった。
 しかし、過酷な状況下の工事により、戦時であり、また、戦闘の
最前線の地でもあり、この環境下でイギリス人捕虜に限らずに多く
の死者が出た。
 しかし、イギリスは、このイギリス人捕虜の死に対する仕返し・
復讐をした。
 この工事にかかわった、戦争が終わって捕虜となった「日本人捕
虜」に仕返しがなされた。
 卑劣なやり方で、この泰緬鉄道に関係する日本人捕虜は全滅させ
られた。
 日本人は、イギリス人捕虜に対する怨恨はなく、ただ過酷な工事
からイギリス人捕虜の死があっただけであるが(イギリス人捕虜に
限らず多くの死があったわけだが・・・)、
 イギリス人の日本人捕虜に対して、完全に怨恨の心情からの復讐
がなされた。
 また、その復讐の全滅のさせ方が、卑劣な非人道的軽蔑行為だっ
た。
 キリスト教の「目には目を」の卑劣教義そのままの復讐行為だっ
た。
 以下、本「アーロン収容所」の抜書きです。
・・・しかし、とうとう一人の人と話す様になった。
 関東の人で、名も所属も言わない。
 歯切れのよい東京弁で素直な感じである。
 「私はミッチーナで重傷を負い、倒れていて英軍に収容されまし
た。
 意識を失っていて収容されたのです。
 でも、それはどうでもよいのです。
 私たちは(日本へ)帰れないかもしれません。
 ですから、この話だけはしておきたい。
 日本の人に知らせて下さい」

 「英軍はひどいことをします。
 私たちは、イワラジ河のずっと河下の方に一時いました。
 その中洲に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が百何十人か入っていま
した。
 泰緬国境でイギリス人捕虜を虐待して大勢を殺したという疑いで
す。
 その人たちが本当にやったのかどうか知りません。
 イギリス人は、あの人たちは裁判を待っているのだと言ってまし
た。
 狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収
容したのだそうです。
 でもその必要はありませんでした。
 私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。
 ああ、やはりあなたたちもそうでしたか。
 あの人たちも苦しみました。
 あそこには「毛ガニ」がたくさんいます。
 うまい奴です。
 それをとって食べたのです。
 あなたもあのカニがアミーバ赤痢の巣だということを知っていま
すね。
 あの中洲は潮がさしてくると全部水に没し、1尺(30センチメー
トル)ぐらいの深さになります。
 みんな背嚢(はいのう)を頭に乗せて潮がひくまで何時間もしゃ
がんでいるのです。
 そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。
 みんな生のままたべました。
 英軍はカニには病原菌がいるから生食いしてはいめないという命
令を出していました。
 兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。
 でも食べないではいられなかったのです。
 そして、みんな赤痢にやられ、血便を出し血へどをはいて死にま
した。
 水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ、あの例の死
に方です。
 看視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎
日観測していました。
 全部死んだのを見とどけて、『日本兵は衛生観念不足で、自制心
も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを捕食し、
疫病にかかって全滅した。
 まことに遺憾である』と上司に報告したそうです。
 何もかも英軍の計算どおりにいったというわけです」・・・

 イギリスは、表面的な残虐行為はしないが、深い復讐欲でなされ
た行為を加えた。
 表面的にははなはだ合理的。
 非難に対してうまく言い抜け出来る様にしていた。
 冷静に冷酷に事をした。
 表面的には残虐ではなく様に見えても、人間が人間に対してなし
うる最も残忍な行為をした。
 同じことを相手に加えて、与えて良いとするキリスト教の教義が
心底にある。

 (参考)たいめん‐てつどう【泰緬鉄道】 《「泰」はタイ、「緬」
ビルマのこと》太平洋戦争中、日本軍がインパール作戦の物資輸
送のため、タイ・ビルマ間に建設した鉄道。タイ側はクワイ川に沿
う。連合国捕虜や現地人が動員され、数万の死者を出し、...
 (参考文献)「アーロン収容所」会田雄次