供養の食べ物を食べて・・ニルヴァーナの境地に入られた 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

 題 : 供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像:  水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕:  カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッター川
     のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え切れなくなり
     ます。
      ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲んで来
     るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があります。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんですけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、そのことで
     自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、問われる様
     なことになりはしないか、彼はけっして悪くないんだと、彼が
     その事で自戒の念に悩まされ、自分に悪徳がないのではない
     のかと、こういう風に考えない様に、彼によく言って聞かせて
     くれと、当時の鍛冶屋と言いますと、芸能人とかその他の職業
     と同じ様に、いわば当時は、カーストの外にあった、大変こう、
     大きな差別を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に心を配る
     という、そういう遊女だ、あるいはアウト・カーストの人だという
     人々にも、全く平等に、自分の思いを伝え、接することを、日常
     の事としていた、仏陀の偉大さというものを、今の、近代を超え
     て来た私達、人権なんていう事をですね、改めて学んでいる
     私達以前に、仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたよ
     うな気がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある2本並
     んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言をしました。
      そして、こう続けました。

        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。

ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の食事が
     きっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに劣らない
     ほどの功徳があると、仏陀は言います。

        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。

ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くこともままなら
     ず、頭が北向きになるように、床をしつらえさせ、病み、疲れた
     身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹に変化
     が現れたとしています。

        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。

ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えません。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てられて
     おります。                    (つづく)

(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力によって
     恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益する
     のを利益という。