転悪成善(悪を転じて善と成す)・・初めて他者への憎悪や責める心から解放される 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

 題 : 転悪成善(悪を転じて善と成す)・・
           初めて他者への憎悪や責める心から解放される 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

ナレーション: 霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。
      仏陀は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていました。
五木さん: ナマステー。
ナレーション: 当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていました。
      持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダ。
      以前、仏陀が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な信者
     です。
      チュンダは、仏陀を歓迎するために、貧しいながらもできるだ
     けの準備をととのえ、首を長くして待っていました。
五木さん: 燃料に使う、牛糞ですか?
      あれなんか、積み重ねているところなんかも、何千年も同じ
     様に、燃料に使っているわけなんですね。
案内の方: 牛糞に、藁を混ぜて・・・。
五木さん: あっ、そのままでなくてね。
      あ、そうか、そのままでは燃えないのだ。やっぱり。
      あーそれじゃー、一応加工している訳なんだね。
      えー、だけど、昔の村らしい村ですねー。
      ナマステー。
      (加治屋さんのところに来て)
      あー、ふいごですね、昔のねー。
      あのー、なんか、鍛冶屋さんと言うにはあまりに素朴なー。
      でも、こんな風にして、農機具とか色々を作るのでしょうねー。
      (あるインドの方へ)ナマステジー
      あのー、仏陀が最後の旅の中で、この村で病気をしたと、聞
     いたのですが?
インドの人: この村で言い伝えられてきた話によると、仏陀は、仙人
     に姿を変えて南から 来たそうです。
      日が暮れ始めていたので、仏陀は、この村に泊まることに
     しました。
      村の誰かが、夕飯を用意したそうです。
      いろんな言い伝えがありますが、豚肉料理を出したという説
     と、ククルムタと呼ばれるキノコ料理を出したという話がありま
     す。
五木さん:(手を合わせて)ナマステジー。(お礼を言って立ち去る、五
     木さん)
     (鍛冶屋さんの映像、鞴・フイゴを手でこいで風を送っている)
ナレーション: 仏陀は、チュンダが用意してくれた食事を、快く受け入
     れました。
      しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけないものだ
     と分かりました。
      ここで、仏陀は、チュンダにこう告げます。
        チュンダよ、
        残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。
        神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、
        また、神々・人間を含む生き物の間でも、
        世の中で修行完成者(=仏陀)のほかでは、
        それを食して完全に消化し得る人は見出せません
        ・・・と。
        「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊師に
       答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近づい
       た・・・。
       近づいて尊師に敬礼し、一方に座した。
       チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・諭し・
      励まし・喜ばせて、出て行かれた。
ナレーション: その時、仏陀は、激しい腹痛に見舞われていました。
      仏典には、こう記されています。

        さて、尊師が、
        鍛冶工・チュンダの料理を食べられた時
        激しい病が起こり
        赤い血がほとばしり出る
        死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
        尊師は、
        実に、正しく思い
        良く気を落ち着けて
        悩まされる事無く
        その苦痛を堪え忍んでいた。
        さて、尊師は、
        若き人・アーナンダに告げられた
        『さー、アーナンダよ、
        我々は、クシナーラーに赴こう』・・・と。

ナレーション: 80歳の老いた身に、血が出るほどの激しい下痢。
      立っていることさえままならない身体を、引きずるようにして、
     仏陀は、自ら終焉の地と思い定めた、クシナガラを目指しまし
     た。
      パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道のりです。 
                                     (つづく)
(参 考): クシナーラー = クシナガラ
(解 説):チュンダは、釈尊への尊崇の念で食事の供養をしようとして
     珍味のキノコ料理をさし上げたが、結果、釈尊の死を早めるに
     至った。
       釈尊は、チュンダが後悔して嘆くであろうし、また、まわりの
     者たちがチュンダを責めるようになるであろうと、チュンダに
     同悲され、「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。
      その供養は、ひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた
     功徳がある。
      一つは、スジャータの供養の食物で、それによって私は無上
     の悟りを達成した。
      そして、この度のチュンダの供養である。
      この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
      チュンダは善き行いを積んだ」と仰せになった。
      最初のスジャータの供養とは、釈尊がさとりを開かれる前、
     極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟
     りへの益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のス
     ジャータから乳粥の供養を受けられた。
      それによって体力を回復し、菩提樹の下に座り、「悟りを開
     くまではこの座を決してはなれない」という決意でもって坐禅
     瞑想に入られた。
      そして、この上ない悟りを開かれたと伝えられている。
      スジャータの供養は、悟りに至る尊い縁になったのである。
      そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびの
     チュンダの供養は、大いなる涅槃に至る尊い縁となると、釈尊
     は、チュンダの食物の供養を讃えておられる。
      チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さな
     かったようある。
      しかし、チュンダは自分のせいで釈尊を死に至らしめたとい
     う後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュンダを責めるで
     あろうと釈尊は思われ、チュンダの嘆きに寄り添って、「チュン
     ダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。
      チュンダの供養で、私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入
     ることになった。
      「チュンダは善いことをした」と、チュンダの供養をほめ、起こ
     るであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り
     除かれたのである。
      ここに釈尊の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われる。
     仏教で言われる慈悲の行いとは、具体的にどういうものなの
     かがよく示されている。
      しかも釈尊のチュンダへの言葉は、無理にチュンダを慰めて
     いるというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」
     と見られてのものである。
      ご自分の死んでいくことに対して、不幸ともいわず、嘆きもせ
     ず、静かに受け止められるばかりではなく、煩悩が全く消滅す
     る大涅槃に入る尊い縁として見ておられるのである。
      そういう背景があってチュンダの供養を讃えておられるので
     あって無理にチュンダを慰めているのではなかろう。
      このことによって教えられることは、自分にふりかかるどのよ
     うな〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善き縁で
     あると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や責め
     る心から解放されるのであろう。
      もし、自分は内心で嘆いているけど、人を悲しませてはいけ
     ないという愛情であれば、それはそれで尊いとしてもなお暗い
     ものがある。
      このように釈尊は、ご自分の死を大涅槃の悟りに至る機縁と
     見られたが、この釈尊の死の意味は、浄土の教えを信じる者
     における死の意味と重なるものであろう。
      自らの死を大涅槃界である浄土に生まれる縁といただいて
     いる念仏の信心と、釈尊における死への智見とは、内面的に
     連なるものがある。
      真実の信心は、死をも浄土へ生まれる縁であるとの智見を
     生むのである。
                    (寺報「草菴仏教」より)