『無気力人間』にされるのが・・心配・・、

 題:『無気力人間』にされるのが・・心配・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の根本にあるのは・・性悪説
 その説によって・・悲惨な事態が、生まれている。
 キリスト教の論理、勝手な説を擁護するために、必死に
キリスト教は、『人間を悪く』言う。
 卑劣な行為をする・・キリスト教の姿となっている。
 例えば・・、
 「人間は、結局、最後は死んでしまう。どうせ死んでし
まうのなら、真面目に一生懸命に生きても意味がない。良
い事をしても、結局は空しさが残るばかり。あくせく汗水
流して働いても、目に見える形で生活は変化する訳でも無
い。年老いて身体の自由が聞かなくなる前に、やりたい事
を存分にやって楽しむべきだ。自分が精一杯努力した所で、
今の世の中が変わる訳では無いし、やるだけ損。難しい事
は考えずに、気の向くままに生きているのが一番良い」と
言い、洗脳をする。
 結局、キリスト教の神に頼れと言いたいだけなのだ。
 こんなキリスト教は、社会から糾弾されねばならない。
 キリスト教は、「努力をするな」のキャンペーンをする
が・・? まったく、反社会的宗教だ!!
 キリスト教は言う、「究極的に人間に価値を与えるのは、
キリスト教の神である。人間ではない。キリスト教の神が
価値の与えるのである」と。人間は無能だと言いつのる。
 そして、「人間は何も成し得ない」と洗脳するキリスト
教なのである。無気力人間製造宗教となっている。
 「人間は努力し、その努力は、当然、報われるのですよ」
と教え、説かなければならないのであるが・・、
 その様な事は、おくびにも説かない。
 「頑張れば、必ず報われ、努力すれば、その努力のしが
いがあるのです」と説かなければならないのに・・、
 キリスト教は、まったく説かず、「社会悪」を作ってい
る宗教となっている。
 努力をする人を讃(たた)え、感謝する社会であり、宗
教であらねばならないのに・・、
 この様なキリスト教の教義、および、説教は、『犯罪』
である。
 (「申命記」8・9)に・・、
 「人はパンのみにて生きるにあらず、神の口から出るす
べての言葉によって生きる」とあるが・・、
 変なキリスト教の神の言葉は、無い方が、世の中のため
になるのだ。
 キリスト教系の学校で、子供たちが、「無気力人間」に
洗脳されているのが、本当に、心配である。
 そして、キリスト教系学校の教科書の、次のページに、
書かれているのが、次の文である。
 「人間の命は、はかなくて、脆(もろ)く、いずれ朽ち
果てて行くものである。そんな人間が存在する価値などあ
るのだろうか。その事を考えて行くと、人間には空しさだ
けが募(つの)って来てしまう」と書き洗脳する。
 そしてまたまた、この教科書は書き、そして、教える、
 「その空しさを無視すると、実はもっと、空しい、とい
う事に気付いて行く必要がある」と、執拗(しつよう)に
洗脳する。
 キリスト教が、子供たちへ、ここまで言って、貶(おと
し)めて、そして、言いたかった事は、賢明な方々は、既
に、御推察でしょうが、『キリスト教の神が救うのだ』の、
当然の一点。
 ここまで、子供たちを、傷つけて、キリスト教の神への
信仰を得ようという破廉恥な魂胆(こんたん)、筋書きと
なっている。
 そこには、何ら、建設的で、ためになる話は・・無い。
 傷つけられた、傷ついた心が、子供たちに残るだけ・・、
 これは・・犯罪である。
 キリスト教系の学校で、子供たちに、この様な犯罪的な
洗脳教育が行われている。
 この様な授業を聞く辛(つら)さを、訴える子供たちが
来る。そして、言う、「週に2時限もある」のだと、辛(
つら)いと訴えて来る。
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