キリスト教の・・奇跡・奇蹟・きせき・・、

 題:キリスト教の・・奇跡・奇蹟・きせき・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教ほど「奇跡・奇蹟」の多い宗教はない。
 誉めて言っているのではない。
 「それだけ適当なのだ」と言いたいのである。
 人を驚かすのは、その奇跡の数で、それほど、奇跡だら
けで、奇跡ばかりなので、その多さに・・驚く。
 キリスト教の聖書は、その様な書物、奇蹟の百貨店なの
だ。
 学者のブルトマンは、そのすべてを、「すぱっ」と、切
り捨てた。
 イエスの誕生・天使のお告げ・・などなどを・・そのす
べてを・・事実ではない、嘘だと・・切り捨てた。
 強いキリスト教信仰を持つ作家氏も・・、
 少々、食傷気味の・・様だ。
 それでも誉めた言葉を言わなければと・・口を開く・・
そして、「(キリスト教の)聖書に厚みが増す」・・と、
 この言葉は、もうすでに、キリスト教の奇蹟を『正面か
ら見ていない』。
 心の中では・・半分嘘だ・・というものがある・・その
ことがはっきり見える・・分かる。
 そして、「あってもいいんじゃない」・・と、
 これも、実質「聖書の奇蹟は・・嘘記述」の・・信用し
ていませんの態度となっている。
 キリスト教を信仰している人でさえ、信用をしていない
という代物の・・キリスト教の奇蹟。
 その嘘話を、いくら読んで、ああだ・こうだ・・と言っ
ても・・出てきた結果は、砂上に築かれた楼閣の様なもの
で、土台がこれだから・・傾き、倒れてしまいます。
 裏付け話が・・このレベルなのが・・キリスト教なので
す。
 事実ではない・・嘘話なら、いくら読んでも、積み上げ
ても、何ら益になる話は出ない・・出て来ない。
 どこかに・・「嘘から出た真」なんて・・馬鹿にした言
葉があるが・・。
 「暖簾(のれん)に腕押し」と、こんな土台の話から・・
いくら押しても・・益になる話は出て来ません。
 それにしても、キリスト教のほとんどが、この奇跡話に
よる説教である。
 奇跡話=作り話で・・説得できる訳がない。
 あなたがたが、子供達を導くにしても・・、
 「これは、こうだから、こうしなさい」・・と、言われ
ると思います。
 理由を言って・・子供を納得させて、良い新たな行動を
させる・・です。
 奇跡などの・・あり得ない話などで・・驚かせて・・行
動させることは・・ないでしょう。
 キリスト教の奇跡話で・・凄いだろうという言い方では
駄目なことがお分かりと思います。
 奇蹟の話で凄いだろうという言い方で、実際は眉唾話で、
事を従わせようとする。
 「子供だまし的」なやり方である。
 心霊商法が「この壺を買うと奇蹟が起き、あなたの希望
が叶(かな)う」・・と、奇跡話に驚かせて事を行う、行
なわされるという・・破廉恥な話と・・話は同じ。
 古代なら、この様な話で・・人々も・・引っ掛かったで
しょうが?・・現代社会では「もう、お止め下さい」。
 そういう意味で、聖なる書と言う名ではあるが、奇跡話
などの話を抜いて、驚かし話を抜いて、実質的な話をみる
と、極めて少ない。
 その多くが、受難の物語であるし、だから、哲学的にも
感心すると言う話は・・ほとんどない。
 毎日、読む様なものではない。
 イエスの活動期間が1年〜2年という「非常に短期間」で
あるので、やむを得ない面もあるのだが・・、
 薄っぺらなもの、大騒ぎだけするものの話になっている。
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 そして、次の話・・、
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 題:偉大なる思い込まされ・・錯覚の元凶・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵は・・、
 余りにも有名であるが・・、
 あの絵によって・・世界の方々は・・大きな誤解を・・
 与えられている・・
 錯覚を与えられている・・、
 あの絵の様な・・情景・状況の中に・・、
 イエスたちは生き・・、そして、
 生活していたのだろう・・と、思い込まされている。
 イエスは・・『あの様な生活』をしていたのでは・・、
 なかった。
 イエスの生まれた地・ナザレにある『受胎告知教会』・・、
 このナザレに・・イエス一家が住んで居ただろうという
場所が発見された。
 ナザレは、イエスが生きていた当時は・・当然、現代と
はまったく違う片田舎の小さな村落だった。
 ナザレのその教会近くに発見された、イエス一家が住ん
でいただろうという場所は、斜面を彫った『洞窟だった』。
 イエスたち・・イエス一家は洞窟住まいだったという。
 このほど左様に・・キリスト教会の「お抱え(おかかえ)
画家たち」は、真実のイエスたちを描けなかった。
 キリスト教会の「お抱え画家たちの絵」は・・、
 すべて美しく・・真実からかけ離れた絵を描かされ・・
 真実から書け離れた絵となっている。
 キリスト教の教義と・・まったく同じ・・『虚の状態』
となっている。
 イエス一家たちは・・この様な場所・洞窟に住んでいた
と推測されている。
 イエスの生まれたナザレは・・今は、土産物屋が軒をな
らべ、大きな建物が建ち、完全に観光化して、にぎわって
いるが・・。
 2000年以上も前の・・イエスの生きた時代の実際と・・、
 レオナルド・ダ・ヴィンチの絵から想像される状況には、
大きな差異・大きな乖離(かいり)がある。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、依頼者のキリスト教会の
手前、イエスの生きた時代の実際を描く事はできなかった
だろう。
 最後の晩餐の様なテーブルに・・美しく料理を並べての
食事はなされていなかった。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、依頼人キリスト教会の
手前と教会の指示により、イエスの生きた頃の実際では描
けなかったため、最後の晩餐の様なテーブルに料理を並べ
ての食事という絵とした。
 レオナルド・ダ・ヴィンチが生きた時代に、イエスが居
るように描いた。
 その様に描かれなければ、依頼主のキリスト教界は納得
しなかった。
 逆に言えば、場所と費用を費やして、時代遅れのイエス
の時代の実際を描けるわけがない。
 ダ・ヴィンチは承知した、そして、ダ・ヴィンチには分
かっていた、そして、絵を描いた。
 古代人の人・イエス、貧しい小村落・ナザレの人・イエ
スは、ダ・ヴィンチが生きた中世の人になった。
 その様な『偉大なる誤解』が、世界に流布された。
 そして、その作られた「奇蹟」が、世界に定着した。
 キリスト教の思惑通りに進んだ。
 キリスト教キリスト教聖職者は、「恰好な攻撃対象で
しょうね」とは言うが、その奇蹟自体をとやかく言ってい
るのではなく・・、
 キリスト教は、この件に限らず・・、
 聖書の中身も含めて・・、
 あらゆる面で、その様な方法で・・キリスト教徒の方々
を繰っているからだ・・そして、世界の方々をも繰ってい
るのだ。そこが悪なのです。
 キリスト教は、「10年1日の如き」という言葉があるが、
 キリスト教は、「2000年1日の如く」・・と、なってい
る。
 現代は、もっと理知的な仕方で、キリスト教徒の方々な
どを納得させて戴きたいのです。古代のままです。
 キリスト教学者の・・ルドルフ・ブルトマンは、
 すべての奇跡・奇蹟を、全面的に否定した。
 そして、ほとんどの聖書学者や神学者は、キリスト教
奇跡・奇蹟を、非科学的現象と言い、
 福音書に・・伝承が取り込まれただけだ・・それだけの
ものだと言っている・・事実では無いと言っている。
 奇跡・奇蹟を否定する学者で満ちている。
 イエスの実像に迫り、嘘の虚飾から脱却してこそ宗教と
して改めて立てられるのだ・・、
 キリスト教は、余りにも嘘・虚飾が多く、その様な宗教
を信じなさいと迫る宗教の態から抜け出なくてはならない。
 嘘を言われて、信じる者のみが救われるの実体は成立し
ない。
 結局、この様な嘘の類いで繰られたキリスト教徒の方々、
 虚飾のキリスト教の論理を振り回している聖職者。
 延々と・・過去だけでなく、今・現代においても・・
 『2000年1日の如く』のキリスト教となっている。
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(追伸)「国境なき医師団」が、
 最近、エボラ出血熱、緊急事態、皆様のご支援が必要で
す・・と、新聞で公表していた・・
 西アフリカで、エボラ出血熱(ウイルス性の感染症)の
流行が過去に例を見ない規模となっています。
 国境なき医師団は、流行当初から現地で患者の治療にあ
たっている医療援助団体として、現在も、治療と感染拡大
防止に全力を尽くしています・・とあった。
 そして、国境なき医師団(MSF)は、1971年に設立され
た非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体です。命の
危機に瀕した人々の緊急医療援助を主な目的とし、世界約
70の国と地域で活動しています・・とあった。
 そして、標語として『一刻も早く、エボラ出血熱に苦し
む人々への治療を拡大するために、緊急援助活動をご支援
ください』・・とあった。
 エボラ出血熱に貢献する「国境なき医師団」。
 この「国境なき医師団」へ、応援を、賜ります様、お願
い申し上げます。
 寄金をするなら・・、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:00190−6−566468 特定
非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。税優遇措置
の対象となります。
 また、電話は 0120−999−199
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、寄付をしてくれ
た方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出す組織から脱
皮して下さい、
 そして、最近は、
 キリスト教を隠しているから注意をしよう。
 また、最近は、『NHKや放送大学』を巧妙に利用して
宣伝しているから注意しよう。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /