題:キリスト教の「愛の宗教だ」は・・嘘です・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、『愛の宗教』ではありません。
 キリスト教は「愛の宗教なのだ」と言いますが、嘘です。
 そして、本質は『殺戮の宗教』です。
 我が民族・・『だけ』が・・生きて行けます様に・・
 ・・の、宗教です。
 だから、愛の宗教は、付け焼刃・・です、
 衣の下には、他民族から『富を奪う』という心底が相変
わらず流れ・・存在しています。
 これに・・洗脳されるから・・怖いのです。
 今でも、この心底の本質が・・、
 国際社会に横行しています。
 日本は、『御人好し(おひとよし)の国』だから、骨ま
で・・良くしゃぶられています。
 皆様が、勤勉に働いて得た『貴重な利益』が、流出して
行ってしまっています。
 かつては、欧米が、世界の富を略奪しました。
 その時代のやり方で・・卑劣な野蛮なやり方で・・、
 卑劣なその行為が伴(ともな)った・・人々の命を奪う
という行為とともに・・、
 そして、それは、今でも、特に、アメリカが、怪(あや)
しい限りです。今の時代に即したやり方で・・、
 キリスト教の『愛の宗教』のプロパガンダ・嘘宣伝は、
 その本質を隠そうとの・・
 後から付けて、作っただけ・・、
 だから、人を欺(あざむ)くだけで・・
 何の深みなんかはない。本質は変わってない。
 深く見せようとしているのは・・、
 聖職者の勝手な作りごと・・、
 キリスト教の「隣人愛」にしたって・・、
 同じ宗教を信じる者で・・同民族であること・・
 同民族の者達への・・もので・・、
 まったく、偏狭(へんきょう)な・・
 狭い愛と・・なっている。
 しかし、ここを、キリスト教は・・嘘宣伝・プロパガン
ダして、嘘を・・世に言いふらしている。
 キリスト教の・・聖書の英語版を調べて見ても・・、
 『愛』は・・『Love』しかない・・、
 薄っぺらな・・愛の形しか・・見えない・・、
 すべてが・・『Love』で・・書かれている。
 ギリシャの哲学には・・深い愛が示されている。
 「フィリア」「ストルゲー」「エロース」「アガペー
・・と・・、
 この4つの愛を示すギリシャの哲学を、
 キリスト教は・・いつもやる様に・・
 あたかも・・キリスト教が生んだ様に・・見せかけて・・
盗んでいる・・、
 キリスト教の・・自分たちの宗教理念のように・・見せ
かけている・・、
 汚ないやり口・・根性なのだ。
 そして、人々を誤魔化す。
 その癖、自分たちの『悪い宗教理念』は、いっこうに直
そうとはしない。その本質は残ったまま・・、
 それ故、キリスト教は、他人の利益を盗んだり・・女性
を魔女だと殺したり、「魔女は生かしておいてはならない」
の教義が生きていて、そして、
 南米やアフリカやユダヤの方々や、オーストラリアのア
ボリジニの方々や、アメリカのインディアンの方々や、等
などを、他民族の方々を・・殺してばかりいる、
 戦争ばかりを起こしている・・、
 何処が・・『愛の宗教』と言えるのだ・・(怒り)。
 そして、ギリシャ哲学から盗んだ愛の哲学を・・麗々し
く話して回る。
 「フィリア」は、師弟愛を示します・・と、
 教師と学生との間の信頼関係です・・と、
 師と弟子や、上司と部下の強い信頼関係などです・・と、
 などなど・・と、我がものの様に・・話す。
 そして、「ストルゲー」は、親子の愛だ・・、
 「エロース」は、エロス、エロチックなど人間の欲望だ、
などと・・せいしょくしゃのかたはのたまわる・・
 「アガペー」は、キリスト教の愛だ・・と、とうとう嘘
の本番が出る・・人間の愛慾と正反対の性質を持つんだ・・
と、聖職者はわがもの顔に・・説教する・・、
 これは嘘・嘘・嘘・・うそ・・盗んで出来た考え、盗ん
だ説教だ・・、
 ギリシャの考えを・・盗んだのだ・・、
 だから、本当は・・キリスト教が・・他の哲学に降伏し
た結果を示している・・形なのだ・・、
 パウロは・・ギリシャへ伝道に行ったので・・逆に、教
えを受けたのだ・・、
 逆に、ギリシャで・・知らされたのだ・・、
 伝道を受けたのだ・・、
 愛を・・言う・・必要に迫られたキリスト教・・悲惨過
ぎるキリスト教の教義・・だからだ・・
 取って付けた愛だけを語ったキリスト教は・・ここだけ
が浮き上がって、他を読んだって・・相変わらず殺戮の、
他民族の撲滅の教義、考え方に満ち満ちている・・変わっ
てなんかいない・・なにもかわってなんかいません・・
 日本語俗語辞書に・・、
 『盗人猛々しい』という言葉があり・・、
 その意味は・・、
 盗人猛々しいとは、『盗人』と、『猛々しい』から成る、
合成語で、盗みや悪事をしながら、平然としていたり、そ
れを咎め(とがめ)られると開き直ったりする者を罵(の
のし)る、江戸時代から使われた言葉である。
 『猛々しい』とは・・本来「ひどく勇敢である」や「い
かにも強い」という意味だったが、ここから「図太い」と
いう意味を持ち、更に盗人猛々しいに使われる「図々しい」
という意味を持った。
 また、盗人猛々しいは『ぬすっとたけだけしい』の他に
『ぬすびとたけだけしい』とも読まれる・・とある。
 キリスト教が愛の話を始めたら、この言葉の意味を説明
する必要があります。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/