神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに

 題:神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の根幹の「キリスト教の聖書」・・、
 ここに記されている事は、キリスト教は「史実だ」と言
います。ここに問題が発生しています。
 日本神道は神の実在を漂(ただよ)わせながら、それを
記す古代の文書は神話だという態度を明示しています。
 この態度の違いが大きいのです。
 キリスト教は、おとぎ話の様な話の連なりでできていま
す。実は・・。
 「神話」ですよねと言えば、神話ではない、実話ですと
キリスト教は言う。
 そう言いたいのでしょうが、どう見ても神話ですから、
神話として、信徒の方々への「話の基本姿勢とされたら」
と言っても、そうはできないという。
 実話だとして話を進め、説くところに、『キリスト教
罪がある』ということを、キリスト教は認めません、認識
もしていません。目をつむる・・。
 その罪を、「犯し続けている」というキリスト教です。
 古事記日本書紀は神話とされ、それに連なる宗教も、
キリスト教の様な『かたくなな嘘』は言っていません。
 ここは大切な立脚点の基本です、根本です。
 だから、キリスト教は、説かれた内容の受け取り方から、
殺戮行為へ繋(つな)がって行く道が濃いのです。
 武力を是認する教義の実力行使事例が多いのです。
 これが、キリスト教の問題の1つです。
 キリスト教関係者が、「パウロはイエスの弟子だ」とい
う嘘を言う。この様な嘘が、また、実に多いキリスト教
ある。キリスト教は簡単に嘘を言う宗教という態を示して
いる。
 パウロはイエスの弟子ではない。イエスたちを捕まえて
殺していた人である。
 ペトロはイエスの弟子である。
 ペトロは、イエスが生まれ育ったガリラヤの地の、イエ
スと初期からの知り合いである。ペトロはガリラヤ湖で漁
師をしていた。
 だから、狭い村のガリラヤの地の、イエスと同年代の幼
なじみという関係。遊び仲間でもあったと言える。
 イエスは救世主だと言いたい人たちによって、ユダヤ教
正典(キリスト教旧約聖書)にある言い伝えなどを守りた
いと、その様に事は進んだのだと言いたいと、イエス
ベツレヘム生まれだ」と言いたがっている・・が。
 救世主はベツレヘム生まれでなければならないという決
めがあるからだ。その様なキリスト教の決め・約束事・律
法にもなっている。キリスト教の立派な『律法』。律法を
棄てたというが、律法を捨てきれないキリスト教。嘘の態。
 ペトロはイエスの弟子だと言われている。一番最初の一
番の親友なんだろう。何でも子供の頃から言い合ってきた
仲間なんだろう。
 だから、キリスト教の聖書にも、ペトロはイエスを馬鹿
にしている言い方をしている。そんな仲なんだろう。イエ
スを批難をしている。
 ペトロは、イエスの死後、エルサレムを中心に宣教した。
 一方、パウロはサウロと称した。パウロ(サウロ)は、
宣教者・ステファノの刑の執行に賛成した。
 パウロ(サウロ)は、離散したユダヤ人で、トルコで生
まれた。
 そして、ローマの市民権を持つテント職人だった。
 ヘブライ語ギリシャ語に堪能で、ユダヤ教正典(キリ
スト教旧約聖書)に精通していた。
 熱烈なユダヤ教徒で、ファリサイ派に所属した。
 キリスト教徒の迫害を率先してやっていた。
 パウロは、イエスの弟子たちを脅迫した。殺そうとした。
 ある時、その事についての「大司祭の許可」を得るため
にダマスコへ向かった。
 その途中、突然、天から彼に光が射し(言い伝え、これ
は眉唾話)、パウロ(サウロ)は地に倒れた。
 声がした、
 「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と。
 「誰ですか?」
 「わたしは、あなたが迫害しているイエスです」と。
 その時から、パウロ(サウロ)は、3日間、目が見えなか
ったという。
 盲目状態のパウロ(サウロ)が、ダマスコに来れたのも、
その『イエスだという声に導いて貰(もら)った』からと
言うことだった。
 「そこを右」「もう10m行ったら左に」
 「石があるからつまずくなよ」
 「ロバを連れた人が来たよ、ぶつかるなよ」・・などと
の道案内の声が聞こえたということだ。
 「おい、行き過ぎてしまったではないか、少し戻って、
そして、右だ」・・とかとか・・なんて・・。
 イエスも盲目の人への道案内、大変だったと思う。
 そして、行き違った人たちも、誰も、パウロ(サウロ)
を助けなかったのだろうか? 平気かな? 何してんのか
な?・・などと思ったりもしても、見ているだけだったの
か??
 急に盲目になったら、慣(な)れのある人と違い、一歩
も歩けないわけだから、声だけで導くとしても、頻繁(ひ
んぱん)に、常に、声をかけていなくてはならなかっただ
ろうから・・、
 イエスをねぎらいたい。
 そして、3日間、パウロ(サウロ)は飲食もできなかった
ということも紹介されている。
 何しろ、パウロ(サウロ)は嘘付きなのだ。前科がある
のだ。イエスに会ったこともないのに、会ったことがある
と言ったり、これは研究者の功績だ。パウロが嘘をついて
いると指摘した。
 パウロ(サウロ)は、声がしたとき、「誰ですか?」と
聞いている。イエスの声を忘れたのか?
 会ったこともないので知らなかったのか?
 多分、後者であろう。研究者の言う通り、イエスに会っ
てもいないし、イエスの声も知らなかったのだろう。
 パウロ(サウロ)は、ダマスコに居たアナニアと言う人
が、イエスの命令でパウロ(サウロ)に会いに来て・・、
 (アナニアが、イエスからどのように命令されたのか?
の具体的記述は、まったくない。イエスもいろいろと大変
だ)、
 その人が、パウロ(サウロ)に会うと、パウロ(サウロ)
目から鱗(うろこ)が落ちて、目が見える様になったと
いう。
 そして、洗礼を受け、食事もし、元気を取り戻したとい
う、そして、それから、パウロ(サウロ)はキリスト教
になったというパウロ(サウロ)の話だ。
 パウロ(サウロ)が、予測も予想もしない、突然、不意
打ちでイエスの光が射し、そのイエスの光の衝撃で(そん
な強い光を出すなよとパウロ(サウロ)は怒りたかっただ
ろうが・・)被害を受けたパウロ(サウロ)が、イエス
命令で来た人に目が見えるようにされたという話。そして、
キリスト教徒になりましたという話。
 キリスト教は神話にしたくないという話。
 真実との感覚との落差に心を痛める人も多いだろう・・、
 また、
 この事例の様な類いの話で、戦争につながる話も実話だ
キリスト教は言う。
 この様なキリスト教から離れなさい。
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