罪の話に・・心を病む・・、

 題:罪の話に・・心を病む・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、まず最初に言う・・、
 「あなたには罪があります」・・と、
 有罪宣告である。
 しかし、次に
 「罪からの救済を『罪のゆるし』と言う」・・と、
 「ゆるし」の話に、ありがたさを感じさせながら入って
いく、
 そしてまた、キリスト教は言う・・、
 「すでに罪はゆるされている」・・と、
 そしてそして、言う・・、
 「これを『ゆるしの先行性』・・と、
 あなたは、心の中で、「もっと早くから、最初から、ゆ
るしてしまって、何もないにしろ」と叫んでいるでしょう。
 そしてさらに、言う・・、
 「人は、責められるよりもゆるされる経験によって成長
する」・・と、
 そしてそしてまた、言う・・、
 「ゆるされる、受容される事は人を生かす力になる」・
・と、(我田引水論理・・)
 そして、キリスト教は言う・・、
 「『ゆるしの先行性』で、すでにゆるされているという
事実は、人々を安心させ、生きる喜びを与える」・・と、
 そして、「否定される自己を回復するほど大きな希望は
ありません」・・と。
 以上の、このキリスト教の論理は、何をか況(いわん)
やです。
(参考)何(なに)をか言わんや  なにを言おうか、言うこ
とがなにもない。あきれてなにも言えない。
 例えば、あなたが、無実なのに、急に、「泥棒」と言わ
れた場合、まず、「びっくり」するでしょう。
 キリスト教の「突然の有罪宣告」はこの様なもの。
 この様に、キリスト教の教義・考え方・論理は、まず、
無実の方々を罪人にするところから始まる。
 そして、あなたは、「何も泥棒なんてしていない事を説
明するでしょう」。
 しかし、キリスト教は「無実の人」にはしてくれません。
 キリスト教の教義がそうなっているからです、有無を言
わさず、あなたは罪人にされて、そして、話が始まる。
 逆に言うと、「あなたには罪がない」としたらキリスト
教の教義の展開が始まらないし、宗教の成立の大原則が大
崩れを起こしてしまいます。ここは、ゆずれないのがキリ
スト教の事情なのです。
 そして、キリスト教の人は、あなたに言うでしょう、
「あなたは、ご存知ないかもしれませんが、あなたは生ま
れながらの『泥棒だった』のです」・・と。
 この泥棒の事をキリスト教は「原罪」と言っている。
 この論理展開のスタートに、あなたはびっくりすると同
時に、続けて、あなたは言われます、キリスト教には「罪
からの救済」という「罪のゆるし」があります・・と。
 無理やり罪があると有罪にして、「ゆるしの教義の存在」
キリスト教にあるとの話になる。ありがたさの押し売り
をしながら・・。
 ここであなたは「ならば、最初から『ない』と言えばい
いでしょう」というか? さすが、キリスト教、ありがと
うと言うか? 「上げたり、下げたり、なんだこの宗教」
と心の中で思うか?・・とかとか・・でしょう。
 キリスト教は、この様な教義で、
 「あなたの泥棒の罪は、すでにゆるされているのです」
・・と来たら、次に、あなたは言われるでしょう、
 このキリスト教の教義は「ゆるしの先行性」と言います
・・と、そしてさらに、追い打ちをかける様に、キリスト
教の人から言われるでしょう・・、
 「人は責められるよりも、ゆるされている経験によって
成長するものです」・・と。
 そして、あなたは思う「だから、キリスト教は『罪があ
る』『罪がある』と、無いと思った罪をでっち上げたんだ
な・・と。そうして、ありがたがらせるのかー・・と、
 そしてさらに、「受容は人を生かす力となるのですよ」
・・と、効果の話がキリスト教の人から続く・・が、
 医者が「癌だ」「癌だ」と言って、「癌ではありません
でした」と言ったら、生かす力となるのだろうか? キリ
スト教のやり方はこれと同じ、
 ほとんどの人が頭に来てしまうだろう。怒るだろう。キ
リスト教はこの様な説明をしている事になっている。だか
ら、正しいのだとキリスト教は言うが・・、
 そしてさらに、「すでにゆるされているという事実は、
人々をどれほど安心させ、生きる喜びを与える事でしょう」
・・と、キリスト教は言う・・が、
 違うって、怒ってますと言いたい。口から出まかせの類
いだろうが・・と、
 さらにさらにそして、「否定されるべき自己、泥棒だっ
た自己が回復するほど大きな希望はないでしょう」・・と、
キリスト教から言われ、
 あなたは呆れて無口になっているでしょう。言わせてお
きましょう・・と。
 そして、あなたは言われる、「これがキリスト教の神の
愛です」・・と。オメデトウ・・キリスト教
 「これがキリストの愛の教えです」と更に念を押される。
 この様な話の展開のキリスト教。心をもてあそぶ宗教。
論理展開に誠実さが感じられない。幼稚な作り話的展開。
しかし、この様な話で、このキリスト教の無実の罪の話と
心をもてあそぶ話に心を痛める方が何人居られるというの
か、この事を思うと怒りが涌く、心を病む人は何人居ると
思っているというのか・・・・っ、
次の世代に伝えてはいけない宗教なのだ。
 仏教は、あなたにも「佛になり得る『佛性』があります」
と、希望と誠実な努力を教えている。
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 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA