TPP、日本の農業は潰されるのか?(その2)

 題:TPP、日本の農業は潰されるのか?(その2)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 最初の1年目は減反ができない、しない人も居た。
 しかし、既に、米は、消費者離れが起きていた。
 コメの消費量は、昭和28年(1953年)がピークだった。
 これにも、アメリカの思惑が働いていた。
 アメリカは余った小麦を日本に売りたかった。
 小麦を消費するよう、パン食を、日本人に慣れて貰おう
という思惑で種々の策が採られた。
 制度的には、日本政府のコメの全量買い取りであった。
 しかし、先に記したアメリカのパン食の事もあり、米の
消費が減り、日本政府が買い取ったコメの在庫は積み上が
った。
 粒状のコメは、粉状のパンより健康的との話もあるが、
 そこでの減反政策であった。
 農家の方々は、政府の農業政策に不信感を抱いた。
 畜産の方向へ向かう方々もいた。
 しかし、5年後(1973年)、オイルショックが襲う。
 大きな壁に当たる。家畜のえさが高騰した。
 輸入品のすべてが、そして、飼料が値上がった。
 牛を売る時は安く、買うものはすべて高かったと、ため
息をつく、当時を思い出しての農家の方だった。
 『牛に万円札を貼って売るような感じだった』と辛い当
時を語った。
 また、殺虫剤の有機銀が問題となった。
 農薬で体を壊す農家の方々が多発した。
 生産性は向上したが、農家の方々の体が壊れたと言われ
た。
 その様な時、「有機農業にするべきだ】との声をあげる
方が現われた。
 今の農業は、「健康を忘れた農業だ」、また「地力を忘
れた農業だ」と説く方だった。
 農家の方々の中にも、「今までは、国に振り回された形
であったが、自主的に、自分たちの考えで働こう」と言う
人たちが現われた。
 視点が変わり、消費者の方々の姿が見えてきた。
 化学肥料を使わず、除草剤も使わなかった。
 しかし、過酷な除草作業が必要となった。
 その行動を見た親たちには、『近代化を、息子たちは否
定している』・・と、映った。
 また、『頭が変になったと思った』と当時を振り返って
語る。
 有機農業を目指す方々に、圧力もかかった。
 村八分状態にもなった。
 有機農業に踏み出すと、雑草がびっくりするぐらい、た
くさん生えた。
 初めは、堆肥(たいひ)が入って無いので、雑草がいっ
ぱい生えるという状態になった。
 結果、その雑草に敗北した。
 雑草にやられた。
 収量は、半作(半分)の散々だった。
 出来るという自信が消失した。
 まず、農家の方は、実りが悪いと駄目となるのだった。
 1年目は、10倍の労力をかけたが、その努力も水泡に帰
した。
 収量は半分の収穫だった。
 2年目は堆肥を多くした。多く入れた。
 3年目にやっと、順調になった。
 しかし、梅雨明けに低温状態に襲われた。
 「やませ」に会った。大冷害だった。
 夏、気温が上がらず、稲の穂は出なかった。
 『いもち病』で田圃(たんぼ)の稲は茶褐色になった。
 しかし、その様な田圃の中に、ポツン・ポツンと緑で実
った田圃があった。
 それが有機田圃だった。
 有機栽培は、冷害に強いと分かった。
 根が太く長く育っていた。
 また、堆肥が地温を上げ、丈夫に育った。
 複合汚染の取材で、有吉佐和子さんが来た。
 その取材の時に出た農家の方のふとした言葉が、「ミミ
ズの居ない田は、土がかたくなって駄目だ」だった。
 『化学肥料でミミズが死ぬんです』と、取材時に、声と
して聞こえた。
 有機農業の本は売れ、話題になった。
 消費者の方々が、有機米を買いたいと言い出した。
 また、農家の方々を応援しようと、「援農」しようとい
うボランティアの、消費者の方々も出だした。
 ある朝、ご飯のときに、消費者の方が、「朝採り野菜で、
炊きたてご飯、こんな贅沢はありません」と言われた。
 この様な生活は、都会ではできないとの話が出た。
 また、その経験が、かけがえのない体験となって消費者
の方々に印象的に残った。
 おいしい味が脳裏に残った。
 産直の話が広がった。
 自主流通米の話が始まった。
 価格は、消費者と農家とで決めた。
 この頃、農薬の空中散布が始まった。
 農薬の濃度は、『30倍』という高濃度だった。
 動・植物が大量に死んだり、枯れたりした。
 農薬は、住宅地にも飛んで行った。
 畑の作物も枯れるなどという被害が出た。
 田圃に白旗と赤旗を立てて、『散布する』か、『散布し
ない』かの『意思表示』をした。
 その様な形で『散布拒否』を、空中散布のパイロットに
知らせたが、その様な散布はできなかった。難しかった。
 消費者は、不安の声を上げた。
 この様な方法による、大量の化学薬剤散布は、危険を感
じさせた。(その3へ つづく)
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