聖遺物など信仰対象は多様化へ・・

 題:聖遺物など信仰対象は多様化へ・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 ヨーロッパでは、キリスト教の『聖遺物信仰』が盛んだ
った。
 キリスト教会には、露骨にも頭蓋骨が並べられたりして
いた。
 また、えげつない行為であるが、血の付いた布とかも並
べ、その俗信ぶりは、卑俗化・迷信行為はエスカレートし
ていた。
 聖母マリアの母乳まで出現した。
 日本でも、ほんの短期間だが一時期に、キリスト教宣教
師が日本人に教えて、お守りを手に入れるという感覚の行
為が起きた。
 処刑されたキリスト教徒のものがありがたがられた。
 その時期が過ぎ、キリスト教宣教師は嘆息する「この国
の者たちが、あの頃、信じたものは、我々の神では無かっ
たのか。彼らの神々だったのだ。それを長い間知らず、日
本人が基督教徒になったと思いこんでいた」・・と。
 今、世界的にキリスト教多神教化している。
 そして、当時、ヨーロッパや世界において、キリスト教
や布教される側などに、多くの無益な血が流されたが、こ
れ等を仕組んでいたのは「国家的な戦略と、キリスト教
思惑に基づいて行なわれていた」。その行為という事は
事実である。真の犯人はここにいた。
 今現代も、貴重な人生を、無益な行為に注ぐ人たちが居
る。
 結婚もせずにいる多くの女性が、特に、痛ましい。
 (参考)
 本「中世の秋」に、ある一つの例であるが、紀元約1000
年頃、ウンブリア山村の民衆は、キリスト教隠者の聖ロム
アルドゥスを危うく撲殺しかけた。
 誠に愚かなことだが、それは、彼を失いたくなかったた
めの行為だった。
 1274年に、トマス・アクィナス・フォッサ・ヌォヴァの
僧院で没すると、そこの修道士たちは、貴重な遺物が彼ら
の手から失われるのを恐れ、気高き師の遺体を文字通り漬
け込んでしまった。
 つまり、頭を切り離し、煮て、調理してしまったのだ。
 テューリンゲンの聖エリザベートの遺体が、まだ埋葬さ
れなかった時、善男善女の一群が、彼女の顔を、巻き付け
てあった布片を切り取ったり引き裂いたりして持ち帰った。
 彼女の髪や爪を切り取り、果ては耳や乳房までもちぎり
去った。
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