キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。

題:キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、馬鹿な宗教だなと思う。
 殉教を、ひたすら、大きく大きく、見せたいとしている。
 銅版画「雲仙の拷問画」(日本二十六聖人記念館蔵)は、
想像して描いた想像図である。
 真実ではない。
 この図は、想像図と公的に確認されている。
 キリスト教は、ひたすら殉教を悲惨なものへ、悲惨なも
のへと、より悲惨さへプロパガンダ(嘘宣伝)して来た。
 本図も、キリスト教系記念館(カトリック教会の設立)
の所蔵で、想像図ということからキリスト教のいつも良く
やる針小棒大に描いている。
 キリスト教は、教義から殉教を美化し、「殉教を求めて
行くべきもの」としている。
 また、殉教される時には、喜びを現(あら)わし、苦痛
を現わしてはいけないとしている。
 殉教の姿が厳しければ厳しいほど、その苦痛をさりげな
く処す事を良しとしている(苦しくても体をよじらないと
か)。
 そのキリスト教の説く殉教の姿を現わした想像図である。
 しかし、日本の取り締まりは、この殉教の図とはまった
く逆であった。
 秀吉が「バテレン追放令」を出した後に、キリスト教
数が逆に増えているのを見ても分かる。
 また、徳川時代においても、なるべくキリシタンを捕縛
しない様にした。
 たとえ、キリシタンだと分かってしまわれても、友人・
知人や親戚にでも、「キリスト教を捨てたと一言」、仮に
でも言えば捕縛には来なかった。
 キリスト教は、凄惨さをひたすらプロパガンダ(嘘宣伝)
する。
 キリスト教の悪行の一例の「魔女事件」一つをとっても、
村ごと全滅などという例の様に、キリスト教は想像を絶す
る殺戮をしたが、
 この日本の場合は、キリスト教が「大殉教」と称する犠
牲者数が最大でも55人とか50人というオーダーとは比較ど
ころではない。
 キリスト教の行った殺戮は、オーダーの違う人数の多さ
なのである。
 キリスト教アメリカ大陸で行った殺戮は、何と1000万
人に届くかという悲惨さなのだ。何という数なのだ。
 キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。
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