繰られている・・その結果は。

 題:繰られている・・その結果は。
...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
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 アメリカの方々は、繰られている。
 そのアメリカの方々を繰っているもの、その1つが
 『映画』に見られる。
 また、その映画を見る世界の人々も繰られている。その
繰られた結果は・・。
 1例、1984年に作られた『インデアナ・ジョーンズ、
魔宮の伝説』。スティーブン・スピリバーグ監督の作品。
 この映画は、作為的にアメリカを『英雄視』し、英雄に
仕立て上げている。
 対するのは東洋。この映画の場合は「インド」。
 東洋は、『遅れている』、『劣っている』としている。
 そして、邪悪な間違った考え方をする国としている。
 この映画は、復活作品であるが、最初の作品は、第二次
世界大戦前に作られている。
 大いに、アメリカ国民を鼓舞し、『世界を救う救世主』
と錯覚させた。・・効果は大きかったと思われる。
 アメリカ国民を、第二次世界大戦に駆り立てる『戦意高
揚』もあったと思われる。
 キリスト教の『選民思想』による、『救世主』を意識さ
せ、正しいのだから宣教せよとの、その『宣教行為』によ
って、民が救われるのだという。それは『正義』なのだと、
掲げ、錯覚し、逆に、結果的に『虐殺行為』を多く行うと
いう歴史の事例が多くある『悪魔行為』の結果と同じ様な
経過をたどる。
 インデアナ・ジョーンズの映画を見たアメリカの方々は、
娯楽の面もあっただろうが、『洗脳された面』も大いにあ
ったのだろうと想像される。
 『世界の救世主』と錯覚し、高揚させられただろう。
 キリスト教は、イエスを救世主とし、キリスト教を宣教
する事で目的が達すると錯覚し、その実は、実に多くの人
々を殺し、絶滅をもある死に人々を至らしめて来た。
 また、数多(あまた)な数の戦争の数々が、キリスト教
の歴史、過去に累々と存在する。
 救世主の意識により宣教の意識が強く、宣教のためには
人を殺しても良いになっている。
 アメリカは、警察行為と言いながら、警察行為ではなく
軍行為をしている。影響されている。
 この映画の、インドの村人は、何者かに虐げられていて、
 天から降りて来るジョーンズに、痩せ細った手を、次々
に出して、助けを・救いを求める。
 そして、天からの主人公は悪の宮廷に乗り込み、一旦は
敵に囚(とら)われるが見事に脱出し、悪の祭司をやっけ
て、邪悪なものから村人たちを解放する。
 そして、村人が、その結果に喜び、感謝の中、名残を惜
しまれる中を、村を去って行く。
 第二次世界大戦前に大量生産されて、アメリカ中に公開
された作品だという。
 映画は、インド各地方のもの事がごちゃごちゃに入って
いて学術的な整合性はないという作品。アメリカの観客に
は、「インド的、東洋的」に見えるだけという作品。
 主人公・ジョーンズは、知性と体力と意思をそなえる紳
士に描かれ、
 対する東洋の民は、古い理念にとらわれ、自由な行動も
取れず、
 運命を切り開く事も出来ず、ただただ災厄におののき、
 無力な存在に過ぎない・・と、描かれている。
 それに対し、主人公は、科学的に進んだ利器を駆使し、
どこでも自由に動ける。
 対する村人は土地に縛られ、動く事はできない。
 主人公は、天から降りて来るが、村人は地を這うしかな
い。
 主人公は活動域が広く、知性や判断力に優れ、
 さらに自由に、主体的に、自分の行動が選ぶ事ができる
と描く、
 対象的に、東洋の村人はそのことごとくが、その様にで
きないと描く。
 村人たちは、邪教のために貧困に追いやられ、そればか
りか、その邪教に精神が繰られ、ある者は奴隷となり、ま
た、ある者は供犠(くぎ)とされる。
 悪に虐げられた民に、自分たちを救う力などは無く、
 放っておけば邪悪な力によって滅びるほかはない。
 邪悪な力を取り除くためには、『外からの光』が必要だ
と主張し洗脳する。
 国境を乗り越えて主人公は活動し、その知性が、土地と
伝統に縛られた人々を救っていくと主張し洗脳する。
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