自分以外の生命への思いやりを・・

 題:自分以外の生命への思いやりを・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 『里山・資本主義』という言葉がある。
 里山の自然をうまく生かして、
 日本人は『里山と共に』生きて来た。
 里山には、人と自然が『共生』していた。
 人が育み、自然が恵みのお返しをしてくれる。
 人は自然を必要とし、自然も人を必要とする。
 人があってこそ、自然の健全な姿を保った。
 そこでは、自然のサイクルの中で、経済的にも成立って
いた。
 サイクルは永遠に、自然に負担をかけずに、巡(めぐ)
った。輪廻した。
 永遠に続く優しい継続する姿だった。
 しかし、古来から育み育てて来た里山と生きる経済シス
テムは、
 例えば1例だが、
 安い外来木材で、里山経済は、大打撃を受けた。
 里山経済は、優しく、微妙なバランスの上に、成立して
いる。
 長い期間、辿(たど)り、至った、輪廻の状態だった。
 外国の場合、
 大きな面積の森林は、
 木々は、すべてを皆、伐採される。
 見はるかす彼方(かなた)まで、畑とし、
 大きなトラクターでの農業をやるシステムだ。
 そこには、
 一面に単一作物があるという農業だ。
 あまりにも広大な、大きな畑に働く農家の人たちは、
 あまりに広大な故に、農地であるため、
 何処にいるかが、分からない。
 日本の場合、里山を生かし、自然を壊さず、『利用させ
て戴いています』の精神で、自然の中に人の所在も分かり、
 里山も人格があれば『お礼を言うでしょう』と感じる。
 その中で、時が流れて行く。
 世界で、『サトヤマ』という日本語が、世界語になって
いるという。
 その様に、注目を集めている日本の里山の成り立ち。
 キリスト教には、「地を従えよ」と説く、教義がある。
 『自然の征服』を教義としている。
 仏教は、地には仏があちこちに居られるという教え。
 キリスト教の教えから出る結果は、総べて地にある木々
は伐採である。征服の教えから当然の姿なのだ。
 萌映ずる草草はトラクターで踏みにじり、そこに生きて
居た生き物へは目が届かず、
 鳥や獣、虫たちの生きる姿も踏みにじる。
 キリスト教は、それが教義なのだ、「これでよいのだ」
という。
 「神の居る天のみ清浄」。「地は汚(けが)れている」
キリスト教は教える。
 「自分さえよければ良い」のキリスト教なのである。
 自分以外の生命への思いやりの教えを説かなければいけ
ない今なのである。
.
 (追伸)
 本「(株)貧困大国・アメリカ」の著者・堤未里氏が
言う。
 「アメリカでは驚愕(きょうがく)の事態が進行中。
 それは人々の食、街、政治、司法、メディア、暮らし
そのものが、じわじわ蝕(むしば)まれていく。
 あらゆるものが、巨大企業に飲まれ、
 株式会社化が加速する世界。
 果たして国民は、主権を取り戻せるのかが疑問になっ
ている」。
 キリスト教国・アメリカの実態・姿を言っている。
 征服する強いものが良い、
 勝って取れれば自分のものにする、
 それが神の義なのだという、
 自分さえよければいいというキリスト教の根底に流れ
る教えが、この様な形になって現われている。
 TPPもこの形だ。流れだ。
.
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/