「隠れキリシタン」と言われる人たちがいた・・

題: 「隠れキリシタン」と言われる人たちがいた・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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隠れキリシタン」と言われる人たちがいました(過去形)。
 今はいません。
 その、過去に居た「隠れキリシタン」は、江戸時代に、禁止
されればされるほど、独特の宗教の形に変えてまでして宗教を
持ち続けました。
 しかし、その変え方が、本質を損なうものでした。そして、
変えた先が本物と化しました。
 元のキリスト教がだんだん霞(かすみ)とともに、それこそ
「隠れてしまったキリスト教」となって行きました。
 悲しいかな、孤立した状態の中では、宗教は本質を維持でき
ず、変質に変質を重ねて行った。
 長い年月、あらぬ方向へたどり着いた。聖書は、キリスト教
の宗教から離れてしまっていた。
 もうキリスト教と呼べない宗教の形へと変化して行った。
 聖書というものには、新旧の聖書に記紀神話や仏教説話・民
話の考え方などが入ってもいた。
 混合型佛教キリスト教である。キリスト教とは違う独特の宗
教が形成された。
 例えば、キリスト教の宗教教義の中で大切な根本教義である
『贖罪』の教義はまったく無くなっていた。
 根本教義が跡形もない状態なら宗教を形成していないし、信
仰は成立していない、もはやキリスト教とは呼べない。
 イエスの受難は、イエスが今生で犯した罪によって磔刑にあ
ったというものだった。ゴルゴダの丘の隣に居た強盗と同じ種
類と見なされた。
 宗教としてキリスト教と離れて維持されていたこのキリシタ
ンの宗教(名ばかりのキリシタンも、もはやキリシタンなどと
言えない)も、「非キリスト教隠れキリシタン(元キリシタ
ン・かつてキリシタン)」ではあったが、禁止されれば、心理
学的にも説明できる事であるが、その心理作用によって宗教は
形として守られた。
 しかし、信教の自由が認められる状況となった明治の時代に
なると、そのキリシタンの宗教は消えて行った。名実ともに消え
去った。
 これも心理学的に説明できる事柄である。
(追記):
 「隠れキリシタン」の方達は、以下の経緯の中で、やむを得
ず誕生した。
 日本に来たキリスト教宣教師の方たちは、
 日本は最初は受け入れていた。
 信長・秀吉・家康は忌憚なく謁見したりした。
 活動も許し、教会も建てることなどを許可した。
 しかし、その後において、
 キリシタン大名へ「死の商人」的行為があったり、
 日本への攻撃の恐れがあり、秀吉はフィリピンへ使いを出し
 たり、また、違う事件で日本占領の意思を確認したり、
 日本人(女性)を奴隷として売買する行為があったり、
 だんだんとキリスト教に対する見方が変わっていった経緯が
 ある。