それを、宣教と称した。

 題:それを、宣教と称した。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 朝鮮へ軍隊を派遣するぐらい「充実した軍隊を持っていた豊
臣秀吉」。
 この様な、強大な軍事国家だった日本だからこそ・・、
 殺戮と占領の「キリスト教徒およびキリスト教聖職者たち」
の蛮行を受けずに済んだ。
 織田信長という不出生の戦略家は、宣教師たちと積極的に接
触した。
 そして、進んだヨーロッパ・キリスト教国の「先進的な武器」
を手に入れ、使いこなすこと」に専念した。
 先進的な知識摂取を優先した彼は、宣教師たちと積極的に接
した。
 有名な戦いであった「勇猛な武田軍に対した戦い」、不利な
立場だった中小企業軍団の織田軍が、勝利し・破った「長篠の
戦い」。
 キリスト教宣教師たちと接して得た先進的武器の鉄砲を、
「鉄砲隊」として使うというアイデア
 そして、「弾込め」に時間がかかると思えば、複数の隊列を
時間差をもって用いるという戦術・戦略家が、キリスト教宣教
師たちを驚かせた。
 これらの行為・状況が、日本をキリスト教徒とキリスト教
教師たちの蛮行から、日本を救い、そして、蛮行を起こすこと
を防いだ。
 南蛮人キリスト教宣教師たちに、その偉大さを示していた
からこそ、南蛮人に南米の様な殺戮と占領を起こさせなくて済
んだ。
 殺戮を受けた南米・中米・北米メキシコ、及び、その離島の
人たち・インディオの方たちは、
 「武器らしい武器を持たない平和な民」だった。
 持っていると言えば、木製の「投げ槍」程度で、
 コロンブス達が初めて上陸した時、かれらが武器を持ってい
なくて、また当然、武器らしい武器が無いから、攻めることも
しないことにびっくりしている。
 また、彼らの信仰が、運悪く、「天から素晴らしい人が来る」
という信仰であった。
 そして、この純心な、そして、純真無垢な人たちは、「南蛮
人を歓迎する心をもって、警戒心の欠片(かけら)も持ってい
ない、今で言うリスクを感じない対応をした。
 逃げることは逃げるが、すぐ、人なつこく寄って行った。
 外敵の経験がまったくなかったからで、(ある戦闘的な部族
は居たらしいが)、そして、幸い、コロンブス達が、「物を交
換するという態度」で接し、国へ帰って行ったから良かったが、
 彼らは結局、このコロンブスの後に、この地へ来たキリスト
教徒とキリスト教聖職者たちに、このインディオの方達は、殺
され、駆逐されてしまった。
 その悲惨な行為は、筆舌につくせぬ状況で、本『インディア
スの破壊についての簡潔な報告』に記されている。
 欲の塊(かたまり)のキリスト教徒とキリスト教聖職者たちは
黄金を手に入れたいという本心に猛進し、(キリスト教聖職者も
積極的にこの行為をしている、また、王へ献上すべき黄金を渡さ
ず、私腹を肥やしたとの事)、
 そして、誰も居なくなった地に教会を建てた。それを宣教と
称した。