こわい数字『301』と『29』

題: 怖い数字「301」と「29」 
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 ある言葉・数字「怖い301」である。
 これは、
 民主主義的に『 恫喝する方法 』である。
 強い国・アメリカが、
 対象国・日本に
 「不公正な貿易慣行や輸入障壁」があると
 判定すると、
 その対象国・日本に
 改善しなさいと勧告し(実態は一方的に強要し)、
 自分の言う通りにならないと(自分の判断尺度で)判定すると、
 (仕返しとしか表現できない)大幅な報復関税をかけるという
 強烈なやり方である。
 これは国際的に強国の強権発動で『公正ではない』と失効して
いるが、
 この様な事を、『民主主義だ』『大義だ』と錦の御旗として
やってくる国。
 後記の(参考)を参照下さい。
 これは怖かった。
 アメリカは、これはうまいやり方だ、効果のある方法だと思
っただろう。
 なにしろ、アメリカが「おかしいと思えば」やられてしまう
のである。
 相手の言い分や価値観や昔からの伝統的やり方など、まったく
お構いなし、
 自分たちだけの価値観、判断だけで決め付けてダメ出しする。
 また、アメリカ政府に泣きついて来た自国業界だけの意見を
取り入れてやって来る。
 「これが民主主義的なのだ」が大義で錦の御旗だった。
 先達に聞いたB29という「29」の数字も怖かったが、
 「301」も怖い数字だ。
 リンチ(私刑)のような印象がある。
 TPPもこの流れの中にあるのだろう。
 そして、
 近所のレストランがアメリカ系資本の外資系レストランとな
ったのを知ったが、
 これから、日本も外資系に席巻されていくのだろう。
 また、
 外資系エレベーターの事故の新聞記事が目に留まったが、
 金沢で女性が挟まれて死亡したのに続き、
 事故が多発しているとの事。
 規制緩和とリスク増大、
 そして、それに外資系企業が絡むという図だ。
 安い機器が、研ぎ澄まされてコストダウンされた良品だと、
 最初は、錯覚されたようだ。
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(参考)スーパー301条とは、
 1988年に施行されたアメリカ合衆国の「包括通商・競争力強
化法」(Omnibus Foreign Trade and Competitiveness Act) の
対外制裁に関する条項の一つ。
 通商法301条(貿易相手国の不公正な取引慣行に対して当該国
と協議することを義務づけ、
 問題が解決しない場合の制裁について定めた条項)の強化版
である。
 不公正な貿易慣行や輸入障壁がある、もしくはあると疑われる
国を特定して「優先交渉国」とし、
 アメリカ通商代表部 (USTR) に交渉させて改善を要求し、
 3年以内に改善されない場合は報復として関税引き上げを実施
するという内容であり、
 非常に強い力を持った条項である。
 しかし、「GATT(関税および貿易に関する一般協定)に違反して
いるのではないか」という疑いが持たれており、何度か失効して
いる。
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(参考)B-29は、
 その卓越した能力により、147,000トンに上る爆弾を日本国内
に投下した。
 日本の継戦能力を喪失させた大きな原因の1つとされ、
 太平洋戦争における戦略爆撃機の代表である。
 1944年11月以降は、マリアナ諸島サイパン島テニアン島
およびグアム島から日本本土のほぼ全域に対する戦略爆撃を開
始した。
 当初は、爆撃対象を軍施設や軍需工場に限定して高高度からの
精密レーダー照準爆撃を行なったが、
 1944年11月29日には、ハロルド・M・ハンセン少佐の指揮する
1機が初めて東京市街地への『 無差別爆撃 』を行った。
 ルメイは、「日本の継戦能力を根本から絶つ」として、
 爆撃対象を軍事施設だけでなく、
 焼夷弾を使用して民間施設にも拡大した。
 このことについては当初『 民間人攻撃は国際法に反する 』
と反対の声があったが、
 低高度からの夜間無差別絨毯爆撃を開始した。
 総計14万から17万トンの爆弾を東京・名古屋・大阪をはじめ、
日本各地の都市に対して絨毯的に投下し、
 主要都市を焦土化した。
 一般市民8万人以上が焼死、100万人以上が被災した東京大空
襲や、
 1万人が焼死したとされる大阪大空襲は、
 B-29の重要な「戦果」とされる。
 さらに、
 日本各地の港湾・航路に空中投下機雷を散布して海上封鎖を
行い、
 国内航路に大打撃を与えた(飢餓作戦)。
 同年8月、広島市長崎市に、『 原子爆弾(新型爆弾)を投下
 』し、
 広島・長崎あわせて30万人以上の市民を殺戮した。
 広島市原子爆弾を投下したB-29は、エノラ・ゲイ
 長崎市原子爆弾を投下した機は、ボックスカーと呼ばれる。
 広島には、ウラン型の「リトルボーイ」が、
 長崎には、プルトニウム型の「ファットマン」が投下された。
 アメリカでは、これらの戦果により、日本の終戦を早め「本土
決戦」(日本上陸戦・オリンピック作戦)という大きな被害が
予想される戦いを避けることができたと評価している。
 原爆機の搭乗員は、「ヒーロー」として戦後各地で公演を行い、
 広島市原子爆弾を投下したエノラ・ゲイは、退役後、分解
されて保存されていたが復元されスミソニアン博物館に展示さ
れることとなった。
 また、ボックスカーは国立アメリカ空軍博物館に実機が保管
されている。