古代人は何を食べていたか・・・と・・・今日の言葉

☆1、今日の 言葉 
以下は、本日(2010・10・5)コメント送信したものです。
             (TwitterおよびラジオNIKKEI)
 ダライラマの言葉 :

  『私たちは誰もが皆、お互いの必要性を感じ、
  必要性を共有しています。
  私は、如何なる人であろうと、またいかなる事情があっても、
  必要性を共有している人々を兄弟姉妹のように感じます。
  そして、
  会う人・すべての人々を愛しています。
  この様に感じることは、
  どなたであろうと可能なことです』
  (2010・10・4、pm17:30頃のダライラマ氏のTwitterでの
  言葉です。私なりの訳です)。

☆2、あるアンケート(日本に未来はあるか?)に答えたもの。

  日本に未来はある。
  長い歴史の中で培った日本人の資質を信じます。
  幕末・明治維新・第二次大戦後など・・大いにその資質が
 発揮された結果と思っております。
  日本人の持っている「智恵を生み出す素質」もあると信じて
 います。
  現状は一つの試練の時とも見え、
  長い歴史を見れば「波だとか、底だとか」と
  現状を分析するほどのレベルにはないとも思えます。

  本日、10月5日(PM14:01)にラジオで放送されたコメン
 トです。
  (『日本人のDNAは信じたいですよね』との
 アナウンサーの声もあり)

☆3、《古人骨と食べ物》 
  米田穣氏(東京大学大学院新領域創成学研究科准教授):

  縄文や弥生の時代の人骨を分析して、
  当時の日本人が何を食べていたかを探る研究が
  進んでいる。
  ・・同位体生態学
  ・・骨を分析すれば、そこから食べていたものを突き止め
   られる。
  ・・古人骨に含まれる元素の重い同位体や軽い同位体の比率
   を調べます。
   およそ1万6千年前に始まる縄文時代の人骨
  ・・亜寒帯の北海道、温帯の本州、亜熱帯の沖縄
  ・・北海道では、オットセイの様な海生哺乳類、鮭などの
   魚を主なタンパク源とエネルギー源にしていました。
    本州は氷河期が終わって森で覆われ、クリなどの木の
   実を主食にしてエネルギー源にし、魚をタンパク源とし
   ていました。
    これに対し沖縄では、サンゴ礁で採れる小魚や貝類が
   主体で、これをタンパク源としていたようです。

    紀元前800年に始まる弥生時代は、稲作が伝わる。
    「縄文時代の後期に、本州の人口が減少します。
    森で何かが起きて、木の実が採りにくくなったのが原
   因と思われます。
    そこで弥生時代には稲を積極的に導入し、タンパク源は
   従来同様、魚に求めていたようです。
    米と魚に象徴されるスシ文化は
   弥生時代に確立されたといわれます。
    でも
   植物のデンプンをエネルギー源に、魚をタンパク源にする
   伝統的な日本食文化の起源は縄文時代に確立していた。

  ・・私たちの祖先が、
   アフリカのジャングルで暮らしていた頃は、
   果実など植物質の食べ物で胃袋を満たしていた。
   サバンナに出てくると、肉食に転換する。
   初めは猛獣が食べ残した動物の骨を石器で砕き、
   骨髄などを食べていたのでしょう。

    アフリカを出て欧州で進化したネアンデルタール人の骨を
   分析した結果、
    大型の哺乳類を主に食べていた事が分かっています。

    これに対し、
    人類学の分類上、人と直接つながるクロマニヨン人が、
   魚や小型の動物を食べていたようで、
  ・・最終氷期(8万〜2万年前)の終わり頃、
   温暖化に向かう中で、植物を食事に取り込むようになる。
  ・・火で加熱して糖分に替えたりして、
   植物のデンプンを食べるようになりました。
                 (日経2010・9・18)