(増補版)519E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年9月〜1890年10月)

題:(増補版)519E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年9月〜1890年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1890年9月21日、日本法律学校が開校した。
  日本法律学校日本大学の前身)が開校式をした。
  この学校は、日本の法律を研究し、国運の増進をはか
 ること目的として設置された私立の法律学校で・・、
  大日本帝国憲法が公布され、皇典講究所所長・山田顕
 義が、同じ趣旨で学校設立計画を進める法律学者らを全
 面的に支援し、設立された。
1890年9月29日、逓信省が、女性電話交換手を募集した。
  応募資格は、小学校高等科修了。
  応募資格に於いて・・、
  品行方正・言語明瞭・・さらに、
  「夫ナク家事ニ関係ヲ有セザルモノ」、
  「日常ノ算筆ヲ能クスルモノ」・・という条件も付い
 ていた。
  採用されたのは、14歳〜25歳までの9人の「教養ある
 良家の子女」だった。
  この頃の女性の仕事といえば、女工か看護婦という、
 ごくわずかなものしかなく、
  電話交換手は、女性に開かれた数少ない仕事の一つだ
 った。
  この電話交換手には、男性もいたようで、電話創業に
 備えて・・女性を募集したものだった。
  当時、使われていたのは、ベルギー製の単線式単式交
 換機だった。
  加入者からの通話表示があると、交換手は、そのジャ
 ックにプラグを差し込み、加入者の告げた通話相手のジ
 ャックに、もう一方のプラグを差し込んで接続するとい
 うものだった。
  こうした交換機は、1979年の全国完全自動即時化まで、
 農村や山村の小さな局で使われていた。
  日本では、東京と横浜の間で、市外電話の通話試験を
 行って成功したのが1885年(明治18年)で、この年に、
 逓信省が創設された。
  初代大臣は榎本武揚、取り扱う業務は、電信事業・郵
 便事業、そして、灯台業務だった。
  この時から5年もかかって、電話事業がはじめられたの
 は、国営にするか、民営にするかで、政府内部で意見が
 大きく割れ、
  民営を強く主張する実業界も加わり、その調整に時間
 がかかった。
  逓信省は、試験をかねて、東京〜熱海間に電話線を一
 回線引いて、1889年(明治22年)1月1日から1年間、一
 般公衆の通話を取り扱った。
  この試験通話は成功したが、用件のために電話すると
 いうより、好奇心から利用した人が多かったという。
1890年10月7日、岡倉天心が、東京美術学校の校長に就任し
 た。
  副校長はフェノロサが務めた。
  1886年〜1887年に、文部省図画取調掛委員として岡倉
 覚三(天心)とフェノロサは、欧米の調査旅行を行った。
  この旅行は、美術教育全般に関わる調査を目的とした
 ものだった。
  そして、2人の報告に基いて、1887年10月、勅令によっ
 て図画取調掛、および、工部大学校内「工部美術部」を
 統合・改編し、東京美術学校が設立された。
  開校は、1889年2月。
1890年10月7日、民法財産取得編を公布した。
  明治23年法律28号 (財産編、財産取得編〈非相続〉、
 債権担保編、証拠編) 、同年法律 98号 (財産取得編〈相
 続〉、人事編) 。
  民法典(旧民法)が公布された。
  明治政府が、フランスから招いたG・ボアソナードが、
 中心となって編纂した。
  1893年1月1日に、施行される予定になっていたが、日
 本の習慣を顧慮していないということなどから、その施
 行について、断行論者と、施行延期論者との間に、激烈
 な論争が行われた (→民法典論争 ) 。
  (ボアソナードを主任としてフランス民法を範として
 作られていたため、日本になじめないところがあった)
  結局、延期派が勝って、1892年の帝国議会で、修正の
 ため、1896年まで、その施行が延期された。
  また、法典調査会によって新たな体系による民法典 (
 →民法) の編纂が進められて、1898年に施行された。
  この1896年に公布された民法(総則・物権・債権の3編)と、
 1898年に公布された民法(親族・相続の2編)によって、そ
 の公布とともに廃止となった。
  そのため、旧民法はついに実施されずに終った。
  旧民法は、全体としてフランス民法に近く、ボアソナ
 ードが関与しなかったといわれる親族相続に関する部分
 も原案は進歩的であったが、法律取調委員会、および、
 元老院の審議の過程で改正されていった。
1890年10月7日、刑事訴訟法が公布された。
  (明治23年法律第96号)
  この年に、フランス法にならって制定された日本初の
 近代的刑事訴訟法典は、治罪法と呼ばれたが、
  1890年に、それが改正され、刑事訴訟法と称されるよ
 うになった。
   1922年になって制定された刑事訴訟法 (旧刑事訴訟法)
 は,ドイツ法の影響を強く受けたものになった。
1890年10月9日、初めての電話帳である「電話加入者人名表」
 が発行された。たった1枚の紙だった。
  電話交換業務が始まった時点で、開通していた東京と
 横浜の加入者は、197名だった。
  そして、この電話帳は、1番が東京府庁で、番号順に縦
 書きに記され、
  官公庁や新聞社、銀行に交じって渋沢栄一大隈重信
 などだった。
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  (今日の言葉)
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  題:日本の大発明・・ノーベル賞ものの光ファイバー大発明は・・奪われた・・
    こんなことは・・まだまだ・・ある・・
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1894年、日清戦争の始まる直前に、日英通商航海条約が調
 印された。
  江戸期からの悲願の差別の条約が、やっと、改正され
 たのである。
  日本の内地を開放する代わりに、治外法権が撤廃され
 た。
  その後、日清戦争に日本が勝利すると、アメリカをは
 じめ各国も治外法権の撤廃に応じた。
  やはり、国力が付かないと、日本の弱みに付け込んで、
 日本を認めないという卑劣なアメリカなどだった。
  関税自主権の回復は、日本が、日露戦争に勝利した後、
 5年を経た、1911年に、アメリカが、やっと認め、日本の
 悲願は達成した。
  岩倉使節団の交渉から40年の月日が経っていた。
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1905年、日本は、この年、日露戦争に戦勝した。
  日本はこの時まで、日本の危機の時代をくぐり抜けて
 来た。
  この時まで・・、1853年のアメリカの来航をはじめ、
 列強各国が、日本の植民地化をうかがっていた時代・・
 それをくぐり抜けて来たのだった。
  また、遠く・・キリスト教宣教師が・・衣の下に隠し
 ていた・・日本植民地化の尖兵役の暗躍を・・アジア各
 国と同じ様にならないで来た・・そして・・
  1853年に、アメリカのペリーが来航し・・アメリカ・
 ヨーロッパの列強各国が日本へ殺到して来たが、
  日本の江戸幕府は、やむなく開国し、その各国と国交
 を開いたが、
  まだまだ、未熟な日本は、何らその防備はなく、
  その列強各国は、その機会・・植民地にする餌食の
 機会をうかがっていた。
  日本だけが・・例外であったのではなく・・
  日本は、常に、外国勢力が、ある日、突然上陸して、
 自分たちの主義や独立を脅かすかもしれない危機に曝(
 さら)されていた。
  アジア各国がされたように、日本の植民地化への思惑
 は、列強各国は、当然のように持ち、狙われていた。
  明治政府が、必死に、「富国強兵策」に邁進したのは、
 明治の賢明な諸士が、そのことのアジア各国の状況を十
 分すぎるほど理解していたからだった。
  のほほんと平和の夢を貪(むさぼ)っていたのではな
 かった・・現代の様に・・、
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1926年9月12日、光ファイバーの大発明をした西澤潤一氏が
 生誕された。
  西澤氏の著書の一端・・
  ・『闘う独創技術』日刊工業新聞社、1981年5月
  ・『愚直一徹-私の履歴書-』日本経済新聞社、1985年
    10月
  ・『独創は闘いにあり』プレジデント社、1986年2月/
    新潮社(新潮文庫)、1989年2月
  ・『西澤潤一の独自開発論』工業調査会、1986年3月
  ・『「技術大国・日本」の未来を読む』PHP研究所
    1989年9月
  ・『私のロマンと科学』中央公論社中公新書)、
    1990年3月
  ・『独創教育が日本を救う』PHP研究所、1991年8月
  ・『人類は滅亡に向かっている』潮出版社、1993年
    12月
  ・『東北の時代―もはや一極集中の時代ではない』
    潮出版社、1995年4月
  ・『教育の目的再考』岩波書店、1996年4月
  ・『新学問のすすめ-21世紀をどう生きるか』本の森
    1997年9月
  ・『背筋を伸ばせ日本人』PHP研究所、1999年6月
  ・『人類は80年で滅亡する』東洋経済新報社、2000年
    2月
  ・『教育亡国を救う』本の森、2000年8月
  ・『赤の発見 青の発見』白日社、2001年5月
  ・『日本人よロマンを』本の森、2002年10月
  ・『戦略的独創開発』工業調査会、2006年4月
  ・『生み出す力』PHP研究所PHP新書)、2010年8月
  ・『わたしが探究について語るなら』ポプラ社
    2010年12月
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1932年10月2日、リットン報告書が出た。
  アメリカのやり方・・立ち回り方・・
  アメリカは、イギリスやフランスなどが、アジアの国々
 を植民地にしても、何も言わず、
  俺も植民地を取りたい・・と、フィリピンなどを植民
 地にしたりしていた。
  英国人記者HS・ストークス氏が言うように、白人様の
 植民地に進攻するのは侵略となる・・有色人種の日本が、
 その様な白人様のマネをしてはいけないと・・
  たとえば、中国を一番侵略していたのがイギリスで、
 それも、北京などの中枢の中心地域を含む広大な土地を、
 地方を、広くイギリスは侵略し、そして、占領していた。
  そのイギリスへ、アメリカは、「酷(ひど)いではな
 いか」などと一度も言ったこともない。
  グル(一味)だったのである。
  こんな不公正なアメリカが、日本にとやかく言う権利
 はないのだが・・?
  さも、公平さを演じて、日本へとやかく言うのは、ア
 メリカとグルになっているイギリスの利益となる行動を
 していた・・、
  影の当事者のアメリカに・・発言権はないのである。
  1932年10月2日に出された「リットン報告書」は、日本
 の満州の権益は『 認めた 』。
  侵略だなんて言ってない・・当然だ・・日露戦争で、
 日本は、ロシアに勝利して、満州を移譲されていたのだ
 から・・
  国連(国際連盟〉調査団さえ日本の権益を『認めたの
 だ』。
  国際社会が認めたのだ。
  ただ、おかしなところは・・日本は侵略したとした。
  ならば、北京などの中国の中枢地域を侵略していたイ
 ギリスは、どうなるのだ?
  まったく有色人種は、白人のやるような行為はしては
 いけないの、有色人種(日本人)は侵略になるの・・と
 言っている行為になっている。
  「権益を認めて、侵略とする」日本への断定。
  「権益を認めて、侵略としない」イギリスへの見解・・
 まったく理屈の合わない状況だ・・どこがどの様に違う
 のだ?
  好き勝手に、右だ左だと、自分の都合の良い振る舞い
 をするアメリカがあった。
  漢民族の中国が、満州族女真族)の地・北支を支配
 下においていて、そこへ日本が入った。
  イギリスは、漢民族の地・北京などの広い地域に入っ
 た。
  アメリカも権益を得ようと画策する北支や中国・・
  この状況で、何が言えるのか?
  要は、白人様が、今までやってきた。
  そこへ新参者の有色人種(日本)がやって来た、
  白人様がやっていることと同じ事をやるなの話なのだ。
  白人権益。白人秩序に挑戦するな・・なのだ。
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1940年、日本工作のために、後に、アメリカの国務省の次
 官補代理になるボブ・バーネットが日本に来た。
  ボブは、アメリカのジョンソン大統領の時(1963年〜
 1969年)、アメリ国務省の次官補代理としてアジア政
 策を担当していた。
  ボブ・バーネットは、キリスト教宣教師の父を持ち、
 中国で生まれで、上海で育った。
  オクスフォード大学などを出た。
  このボブは、1940年〜1941年、アメリカのスパイとし
 て日本に来た。
  そして、この頃、キリスト教宣教師が、日本とアメリ
 カを戦争に至らせようとする行動に暗躍していた。
  酷い話だ・・
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1964年、通信には、今や、光ファイバーが無ければ文明が
 破壊するほど、「基本中の基本技術』となっているが・・
  今から50年以上も前に、日本の西澤潤一氏、佐々木市
 右衛門氏は、ガラスファイバーのコア内の屈折率を中心
 から周辺に向かって連続的に低くなるように変化させ、
 入射角の異なる光をファイバー内で収束させる自己集束
 型光ファイバー(今日にいうGI型光ファイバー)の概念を
 特許出願した。
  物凄い着眼で、素晴らしい発明だった・・
  自己集束型光ファイバーによる光通信の可能性につい
 て発明したのだった・・
  しかし、この大発明を、日本の特許庁は、意味がわか
 らないと不受理にした??
  アメリカの圧力があったと関係者の中で指摘された。
  昭和39年・・1964年の話だった・・
  また、1970年、アメリカのコーニング社が、通信用光
 ファイバーを実用化したと発表した。
  光ファイバーの製造法とカオ論文に示された光ファイ
 バーの構造を始めとする基本特許(米国特許第三六五九
 九一五号)を得た・・
  基本特許の大発明だった・・、
  コーニングの光ファイバーは非常にもろく、まだ、実
 用化にはほど遠いものであったが、カオの理論通りに20
 dB/kmの損失を達成した。
  しかし、何と! 日本の特許庁は、それが、日本の西
 澤氏が先発明していることを、つまり、先に出願してい
 ることを、そして、西澤氏の発明とと類似するものであ
 ると知りながらも・・口をつぐんだ。
  まったく・・ひどい行為をした・・
  このアメリカの特許出願が、特許になったということ
 は、西澤博士の特許出願も特許になりうる発明であった
 ということ・・である・・
  そして、先に出願している西澤博士の特許の方が、当
 然、先の出願であるので、特許の範囲が広くなり、基本
 発明となる。
  莫大な国益となった・・訳だ・・
  しかし、西澤博士の特許出願が、例え、特許とならな
 いのならば、アメリカの特許出願も、特許にならないと
 いうことになければならない。
  西澤博士の特許出願が先になされたということによっ
 て、アメリカの特許出願は、特許になる要件を満たして
 いないからで・・、
  それは・・何ら新規性が無いと言えるからで・・
  この「新規性を喪失している」から不特許となる・・
  この光ファイバーの大発明は・・まったく、おかしな
 展開となった・・
  関係者の不満・指摘は、最高度に達した・・この様な
 ことは、まだまだある・・
  西澤博士の大発明は・・奪われてしまったとしか言え
 ない状況となった。
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1972年、日本に対する、米中の『共同封じ込め戦略』が始
 まる。
  ニクソン大統領とキッシンジャーは、中国の毛沢東
 周恩来(首相期間:1949年〜1976年)に、うまく乗せら
 れてしまった。
  その合意は、「アメリカと中国が協力して、日本をカ
 ウンターバランスする」というものだった。
  そして、この結果、1972年から、「ジョイント・コン
 ティメント・ストラテジー(日本に対する共同封じ込め
 戦略)」が始まる。
  こんなこと「近・現代史」では教えない。
  この要点は・・、
  (1)日本には、絶対に核を持たせない。
  (2)日本の自立的独立を阻止する。
    その為、アメリカ軍は日本駐留を続ける。
  (3)朝鮮半島と台湾の問題に、日本へ発言権を与えな
    い。
  この話し合いは、1971年秋、周恩来キッシンジャー
 の間で話し合われ、
  1972年2月、アメリカのニクソン大統領が、訪中をして、
 北京へ行ったときに、米中首脳間で合意がなされた。
  この事は、明確に・・アメリカ政府の公開された外交
 史料に記載されている。
  当時の密約は、今、公開資料となっている。
  アメリカは、緊密な日米関係を口にするが、この様な
 事を、日本に何も相談しないで、日本の『頭越し』で、
 平気でしている。
  裏切る様な国なのだ。
  2003年以降のブッシュ政権も、手のひらを返した。
  アジア政策を「中国重視、日本蔑視」にした。
  あんなに、「ジョージとジュンイチロー」と言って、
 小泉純一郎首相とブッシュ大統領は、緊密で、親日的だ
 ったのに、アメリカは裏切った。
  日本も、必死に、イラク戦争に大金を出したり、郵政
 を民営化したりして、アメリカ企業を儲けさせていたの
 にである。
  また、特に、キッシンジャーは曲者で、注意を要する。
  『親中嫌日』の男なのだ。
  最近も、中国へ行った。
  日米基軸なんて、砂上の楼閣・・、アメリカは、どう
 でもよいとしている。
  調子の良い時は、基軸だとするが・・??
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2006年秋、北朝鮮が核実験をした。
  反対を押し切った強行実験だった。
  この時、日本の中川昭一議員(自民党政調会長)は、
 「核を持たずに北朝鮮にどういう対抗措置をとれるのか、
 真剣に議論しよう」と言い・・また・・
  「憲法でも核保有は禁止されていないのだから、核の
 議論はあってしかるべきだ」・・と言った。
  この時、アメリカのライス国務長官が、急遽、東京に
 飛んで来て・・、
  「あらゆる抑止力を使って、日本に対する安全保障を
 約束する」と明言し・・そして・・帰った。
  このあらゆる抑止力を使って日本の安全保障・守ると
 いうその手段の中に、
  アメリカが、核戦争を実行するということについて、
 種々の見方がある・・
  懐疑的に・・、アメリカが、核戦争を、自国ではなく
 日本を守るために、「核戦争を始める訳はない」という
 見方である。
  この見方は、ハンティントンや、キッシンジャーや、
 ターナー元CIA長官らが、明確に・・
  「アメリカは、同盟国のために核戦争などやらない」
 と言う。
  アメリ国務省のボブ・バーネットも・・、
  「アメリカが、日本を守るために核戦争するなんて、
 そんな事は絶対にありえない。
  アメリカは、単に、同盟国をだましているだけ・・」
 ・・と。
  中川議員に端を発した「日本の核議論」に、何故、ア
 メリカの国務長官が、すっ飛んで来たのか? また、「
 安心しろ」と言ったのか?
  「日本が、これを端緒にして、核を持つに至ることの
 ないようにと言うことが、ただ、それだけが・・すっ飛
 んで来る重要使命だった、重要任務だった」。
  ここに、「日本にだけは・・核を持たせるな」の、「
 米中密約の存在」を強く裏付けられる・・公然の存在の
 密約が・・、
  「日本の『核の傘の保障』は、その様なもの」。
  東北の東日本大震災、この時、各国の救援隊が駆け付
 けて戴いた。
  しかし、原発事故が発生し、本当に厳しい状況になっ
 た時、各国救援隊は居なくなった。
  最後まで任務を果たして戴いたのは、自衛隊の方々だ
 けだった。
  夜、その日の任務が終わって、宿舎に帰った隊員の方
 たちは、昼の任務中に見た悲惨な状況に、涙ぐんでいた
 という、泣いていたという。
  この最終的な・・奥の・・そして・・次のステージに
 臨んだ際に、どの様な行動がとれるのか?・・である。
  アメリカは、この中川議員発言の後、日本へ、陰で・・
 相当な圧力を掛けていると・・みられる。
  この類の話をすることが、「アメリカが怖くで出来な
 くなっている」という話が・・頻(しき)りになされる。
  アメリカは、結局、北朝鮮を、「テロ支援国家」から
 外した。
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2013年3月16日、アメリカが、やっと、特許の先願主義へ移
 行した。
  アメリカは卑怯だった・・ずるかった・・先発明主義
 を、長い間、金科玉条にした・・
  「先発明主義」と聞くと・・かっこよく聞こえるが・・??
  発明をしたとしても・・、
  その行為が・・発明をしている行為であっても・・
  その発明があったとしても、その発明者が・・「発明
 をしたのだ」と気が付かなければ・・認識しなければ、
 当然のこととして、発明したことにはならない・・、
  当たり前である・・たまたま、同じことをやっただけ
 ではないか・・
  この様に説明しても・・アメリカは分かろうとしなか
 った。
  この論理をアメリカは、ズーッと理解できなかった・・
 理解できないとして来た・・卑劣である。
  立派に、発明したと認識したのなら・・願書に書いて・・
 発明したと・・公(おおやけ)に公表せよ!・・届出よ!
  この論理を、アメリカは無視してきた・・長い、長い
 期間を・・まったく、卑怯な、卑劣なアメリカだった・・
  偶然に、無意識に、『大発明と同じことをしていただ
 けではないか?』という指摘には答える事の出来ないア
 メリカだった。
  ネットにはアメリカを庇った言い方もあるが、無理筋
 の説明である。
  公(おおやけ)に発明したと主張できないのは、発明
 したと認識してないからだ・・これは、断定できる真実
 なのだ。
  しかし、アメリカは、汚い事に、先発明主義という特
 許法を、長い期間、取って・・
  そして、アメリカは、先に発明したのだからと、先願
 主義の特許を奪って来た。
  それも・・ただ・・似たようなことをやっただけなの
 に・・である・・
  先願主義で特許を・・発明したと認識し、その理由を
 はっきり理論立てて説明し・・書いた願書を、そして、
 その願書を・・特許庁へ提出しているという行動を起こ
 している発明を、アメリカは奪った。
  たまたま、ノートに・・自分の「発明ノート」に書い
 てあるという類(たぐい)ではない・・
  「だから、発明しているのだよ」と明確に発明を立証
 している、願書で説明し、主張している人の特許を、ア
 メリカは、それ以前に、アメリカ人の某が、先に発明し
 ていたよと、先願主義で先に主張していた人の特許を、
 アメリカは奪っていた。
  また、卑劣な事に、こんな事を主張しているのはアメ
 リカだけで、どこの国も、こんな筋の通らないことを言
 っていなかった(皆、先願主義の国)・・
  言うのはアメリカだけ・・先発明主義をとっていたの
 はアメリカだけ!!
  また、だから、この様な不正義な、犯罪的な言い掛か
 りで特許を奪っていたのはアメリカだけ・・だった。
  世界中から、「おかしいではないか?」という声を、
 アメリカは無視して来た。
  しかし、この先願主義の『正義の言い分』がやっと通
 って、2013年になって、やっと、この日に、アメリカは
 先願主義に移行した。
  日本の素晴らしい特許も、この被害を、大分、受けて、
 特許を奪われ、大発明が奪われ・・日本の国益・・大き
 な国益の損失をきたして来ていた。
  優秀な日本は、こんな形でも、アメリカに貢がされて
 来ていた。
  アメリカの従属国=日本の残念な姿だった。
  アメリカは、こんな事を、まだまだ、やっている・・
.
2015年12月10日、この日の(読売新聞、2015・12・10)の
 週刊新潮の広告に、「舟と遺体が次々漂着!北朝鮮で何
 が起こっているのか」・・とある。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive