(増補版)428E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年6月〜1886年7月)

題:(増補版)428E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年6月〜1886年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1886年6月、三重紡績会社が設立された。
  1882年(明治15年)、日本初の蒸気を動力とした大規
 模な紡績会社である大阪紡績が、民間の会社組織として、
 創業した。
  渋沢栄一が、発起人で、相談役だった。
  同年・1882年に創業した三重紡績所は、水力利用の小
 規模な紡績業を営んだが、
  1886年明治19年)、栄一の助言により、新たに株式
 組織の三重紡績会社を設立し、これに併合した。
  1914年(大正3年)、両社は合併し、東洋紡績(株)が誕
 生した。
  (東洋紡関連社史・団体史及び関連人物伝記案内を、
 参考にした)
1886年7月5日、東京電灯会社が開業する(後の東京電力
  1883年(明治16年)2月15日、矢島作郎、藤岡市助、大
 倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶
 ど数名からなる発起人が、
  国から会社の設立許可を受けた。
  『富国強兵に、電力は、今後、欠かせない』という判
 断の元に行動された。
  資本金20万円で、前年・1885年に出した企業創立の請
 願書が認められたものだった。
  そして、この日・1886年7月5日に、企業活動を開始し、
  1887年(明治20年)11月には、東京の日本橋茅場町
 ら電気の送電を開始した。
1886年7月5日、内務省衛生局が、越後屋呉服店の従業員の
 食料調査を実施した。
  明治初期の近代的衛生行政は、1873年明治6年)11月
 に、内務省が設置されて始まった。
  その後、1875年(明治8年)6月に、衛生事務が、内務
 省の所管となり、
  1886年明治19年)2月、内務省衛生局に、医務課と衛
 生課が設置され、さらに・・、
  1897年(明治30年)には、防疫課が新設され、急性伝
 染病の克服を目標とした。さらに・・、
  1919年(大正8年)12月に、調査課が、また、
  1921年(大正10年)7月に、予防課が設けられ、全5課
 制となった。
  こうして、内務省における衛生行政の基礎が形成され
 た。
  調査においては・・、
  1876年(明治9年)には、全国的な死亡調査を実施し、
 さらに、1880年明治13年)には、出産・結婚・死亡、
 および、伝染病等の統計収集の方法を定め、
  1882年(明治15年)に、内務省衛生局にて全国調査を
 実施した。
  これが、内務省衛生統計の最初とされている。
  初期のころは、まだ脱漏が多く、戸籍調査と数が合わ
 ないところがあったが、
  1892年(明治25年)に、統計局を設置し、
  1907年(明治40年)には、衛生統計の精度は少しずつ
 進歩した
  これ等の調査などは、日本国民を平等に、公平・公正
 に行われている。
  逆に、不健康的なところが見受けられると、気を使っ
 て行っている。
  二宮尊徳の『報徳の精神』が出ている。
  荒村を興して良郷に化せしめるという言葉が出て来る。
  日本人の温かい心がよく見られる。
  「即ち衛生上の不良村に入りては徐ろ(ゆっくり、て
 いねいに)に・・云々」とか、
  不良村を調査対象に選んでもいる。
  「不健康部落を変じて健康部落となすにあり・・」と
 かと・・、
  そして、その結果を以って全国展開して行く。
  (愛知県立大学、宇都宮みのり氏の論文を参考にした)
1886年7月10日、大日本音楽会が設立され、第1回演奏会が
 開催された。
  会長・鍋島直大、副会長・伊沢修二で、
  7月10日に、鹿鳴館で、第1回演奏会が行われた。
  チャイコフスキー《ドゥムカ ハ短調Op.59》、
  ドボルザーク《スラブ舞曲 第2巻Op.72, B147》、
  サティ《4つのオジーヴ》
1886年7月13日、東経135度の子午線時を、本邦一般の標準
 時と定め、この日に、公布された。
  東経135度の兵庫県明石市の時刻を日本の標準時とする
 と勅令が公布された。
  明治十九年勅令第五十一号(本初子午線経度計算方及
 標準時ノ件)
  東経135度の子午線を太陽が通過する時刻が正午となり、
 明石市の正午が日本全国の正午になった。
  グリニッジから整数の時間差で自国の標準時を決定す
 る。
  明石市は9時間進む位置になった。
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  (今日の言葉)
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  題:軍産複合体
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1961年1月20日アメリカ合衆国・第34代大統領アイゼンハ
 ワー(任期:1953年1月20日〜1961年1月20日)は、この
 日が、退任する日だった。
  アイゼンハワーは、退任演説で「軍産複合体(ぐんさ
 んふくごうたい)」に触れた。
  軍産複合体(ぐんさんふくごうたい)とは・・、
  軍需産業を中心とした私企業と軍隊、および、政府機
 関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を
 指す概念である。
  この概念は、特に、アメリカに言及する際に用いられ・・、
  1961年1月、アイゼンハワー大統領が、退任演説におい
 て、軍産複合体の存在を指摘し、
  それが、国家・社会に過剰な影響力を行使する可能性、
 そして、議会・政府の政治的・経済的・軍事的な決定に
 影響を与える可能性を・・告発した。
  (「与える可能性」と言ったが、退任する大統領が、
 任期中、その存在に悩まされたから、わざわざ退任にあ
 たって、この問題を指摘した)
  このことによって、一般的に認識されるようになった。
  アメリカでの軍産複合体は、『軍需産業国防総省』、
 そして、議会が、形成する経済的・軍事的・政治的な連
 合体である。
  1914年に始まった第一次世界大戦により・・、世界中
 で軍需産業が勃興した。
  特に、アメリカでは、国内労働力の『25%』が、軍需関
 連産業に従事するようになり、
  一時的な経済的活況を呈した。
  軍需産業の発言力も大きくなり、政治に大きく影響力
 を与えた。
  軍需産業界は、『金』と『票』を持っていた。
  軍需産業界の影響力は絶大だった。
  例えば、1918年の第一次世界大戦の戦争終結によって、
 アメリカの国内経済は一転して不況となった。
  この絶大な影響力は・・次なる影響力も与えた・・、
  1929年のアメリカ発の『世界恐慌の遠因』・・と、な
 った。
  世界恐慌がもたらしたアメリカの不況は、ルーズベル
 ト大統領によるニューディール政策によっても、本質的
 には『解消され無かった』。
  だから、ルーズベルトは、また、戦争を考えた。
  卑劣な事である。
  第二次世界大戦のヨーロッパ戦線へ参戦することで、
 そして、日本と戦争を始める事で、第一次世界大戦の時
 と同様の・・戦争特需での景気回復が得られると考えた。
  そして、その考えの様に、考えの通りになった。
  この2度の戦争の過程で、「雇用確保」「価格の安定」
 「民間企業の参加」という軍需産業の利点が関係者に理
 解されていった。
  これを、たびたびアメリカは用いた。
  卑劣な事にベトナム戦争もそうだった。
  この戦争で、アメリカは、『色々な武器を試す』とい
 う非人道的な事もした。
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  続:(今日の言葉)
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  題:戦争しない大統領が・・非難されるアメリ
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1961年8月4日、アメリカのオバマ大統領が生まれた。
  オバマ大統領は、大統領になる時、出生証明を、自ら
 出生地のハワイまで取りに行ったという・・、
  そのオバマ大統領を、「戦争をしない」と非難する人
 がいる。
  「腰抜け大統領」と、声を出しては言わないけれど、
 そう、言いたいのだろう。
  本当は、「戦争しない大統領が、真の強さを持った良
 い大統領」なのだが・・、
  そして、その様に、オバマ大統領を非難する人たちは、
 以下のように言う・・、
  「国家間の対立は、究極のところ、戦争でしか解決で
 きないという単純な事実に目をつぶっている(オバマ
 統領もそうだが・・)」・・と、
  オバマ大統領を批判している。
  まったく、「憲法九条的精神」を否定している。
  「こんな憲法を信じて、よく安穏にして居られるな!」
 の論調である、声に出して言わないが・・、
  そして、この論調の輩たちは言う・・、
  「いわゆる人類の英知というものを単純に信じている
 のだろう」と言う。
  さらに、この輩たちは言う・・、
  「人類はあらゆるものを発明しながら、世界から戦争
 を無くす手段だけは、まだ考え出せないのだ」・・と、
  「永久に、そんなものが、考え出せるわけがない」と
 言いたいような口ぶりである。
  戦争でなければ解決できないと言う君たちは、「人間
 の見方」、そして、「人間が営んできた歴史」を、その
 様に見ているのだね・・と言いたい。
  「人間を信じていないのだね」・・と言いたい。
  人間を信じて、どこまでも信じて、そして、努力して、
 そして、どこまでも努力して、理解し合い、そして、ど
 こまでも理解し合おうという可能性は・・信じられない
 のだね。
  人間の理性・可能性・英知に、目が向けられないので
 すね。
  (結局、動物界の人間の姿しか描けない輩たち)
  (そして、修羅の界しか描けず、地獄の界しか描けず、
 畜生の界しか描けない輩たち)
  (その上の界の姿を・・描けない輩たち)
  (その上の界の存在を信じられない輩たち)
  性悪にしか人間が見られないのだね・・、
  性悪の人間、原罪のある人間の見方ですね。
  だから、身の回りに「銃を置いとかなければ、ならな
 いのだね」
  「結局、戦争しなければ、解決に至れない、その様な
 ものだ」と考えるのだね。
  「何事も、出来ないと考えた時から、達成という実現
 性はゼロ(0)になる」のだ。
  それが、キリスト教性悪説
  戦争の歴史が累々とある。
  殺戮の歴史が累々とある。
  殺された愛する人たちを、嘆き・悲しみ・泣く方々の
 姿が、満ち満ちて居ました。
  今・現代も、中東で、戦わせられたアメリカの青年た
 ちが亡くなり、そして、何ら戦争に関係のない、中東の
 方々が亡くなられています。
  アメリカのベトナム戦争も、本当に、悲惨でした。
  アメリカには、ヘンな考え方がある。
  「戦争をする大統領」が評価されるのである。
  戦争をしたと言うだけで、優秀な大統領だったと言わ
 れるのである。
  「戦争に訴えなければ」、「解決索を見出す事の出来
 なかった」「能力のない大統領だった」という見方は無
 いのである。
  本当に、軽蔑すべき考え方である。
  根源(こんげん)に、キリスト教の考え方があり、洗
 脳があり、マインド・コントロールがある。
  いつまで経(た)っても、世界は平和にならない。
  その点で、オバマ大統領は、立派な、素晴らしい大統
 領なのです。
  『真の勇気ある』大統領なのです。
  カーター大統領は、「気弱な政策で失敗した」と責め
 られました・・、
  しかし、もしかすると、それが、アメリカの方々、ア
 メリカの国民の方々にとって、幸せな選択だったのかも
 しれません・・という視点・・、
  この様な視点ではなかった「好戦的なアメリカ」・・
 ・・と言われる遠因がここにある、遠因の一つである。
  アメリカよ、戦いを止めた阿修羅に学べ!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive