(増補版)385E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年7月〜1883年7月)

題:(増補版)385E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年7月〜1883年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1883年7月4日、隅田川出水
  東京の大水害(千住大橋が落ちる)
  千住大橋が落ちたのは、1885年7月1日の台風による洪
 水の時という記述があり、それまで落ちていなかったと
 も言う。
  流出が一度も無く江戸300年を生き抜いた名橋と言われ
 る・・とある。
  因みに、明治18年(1885年)の流出の際、下流の橋を
 守るために多くの『水防夫』が活躍した・・とある。
1883年7月5日、明治天皇陛下が、右大臣・岩倉具視邸に臨
 み、その病患を親しく問はせ給う。
1883年7月6日、文部省が、 府県立師範学校通則を制定した。
  師範学校の精神や、教員にふさわしい人物の指定がな
 された。
  また、官費だけでない例外についても記載された。
  第一條:
  府県立師範学校ハ教育令第三十三條ニ基キ此通則ニ遵
 ヒテ之ヲ設置シ忠孝彝倫ノ道ヲ本トシテ管内小学校ノ教
 員タルヘキ者ヲ養成スヘキモノトス
1883年7月7日、鹿鳴館が落成した。
  東京・麹町区山下町(現=東京都千代田区内幸町1丁
 目)の薩摩藩跡地に、外務卿・井上馨(かおる)が中心
 となって建てた。
  設計は、イギリス人のコンダー。
  1940年(昭和15年)に取壊された。
1883年7月10日、鉄道略則、鉄道犯罪罰令を私鉄にも適用す
 ることを決定した。
1883年7月19日、岩倉具視が、病気のため右大臣を辞任した。
1883年7月19日、岩倉邸行幸
  明治天皇陛下が、岩倉具視邸に臨み、親しくその病床
 を見舞う(岩倉具視感泣す)
  「・・感涙雙頬に滂沱たるのみ、復た一語の能く奉答
 するなし、一座黯然たり」。
  (参考)雙頬:そうきょう、両方のほお。
      滂沱:ぼうだ、涙が止まらない、
      黯然:あんぜん、悲しみ、絶望などで心がふ
        さぎ、気落ちするさま。
1883年7月20日岩倉具視薨去(享年59歳)
  食道癌(咽頭癌?)だった。
  明治16年(1883年)、初め頃には、咽頭癌の症状がは
 っきりと出始めていた。
  岩倉は、5月25日には、京都御所保存計画のため京都へ
 赴いたが、ここでますます症状が悪化した。
  これを聞いた明治天皇陛下は、勅命により東京大学
 学部教授をしていたエルヴィン・フォン・ベルツを京都
 に派遣して診察させた。
  岩倉は、ここでベルツからは癌告知を受けた。
  これが、記録に残る日本初の癌告知だった。
  その後、船で東京へ戻され、明治天皇陛下から数度の
 見舞いを受けたが、回復することはなく、最後の天皇
 下の見舞いの翌日の7月20日死去した。
1883年7月25日、岩倉具視 國葬
  品川浅間台において岩倉具視の葬儀執行(最初の国葬
  墓所は、東京都品川区の海晏寺。
1883年7月25日、朝鮮政府との間に、日本人民貿易規則、海
 関税目規則、間行里程取極約書、日本人漁民取扱規則を
 調印し、最恵国待遇となる。
  当時の新聞「時事新報」に記載された記事内容・・、
  「讀者諸君は、去る十六日以後の時事新報公報欄内に
 就て承知せらるゝ如く、本月十五日を以て、我政府は、
 「朝鮮國に於て、日本人民貿易の規則」と稱するものを
 發布せられたり、
  此規則は、朝鮮國に於て、貿易に從事する我日本人民
 の遵奉すべき法規にして、本年七月二十五日、朝鮮漢城
 に於て辨理公使・竹添進一郎氏と督辨交渉通商事務・閔
 泳穆氏と各奉する所の全權に依て、〓議決定し、兩國政
 府の准可を得たるものなり、
  而して又、此規則は、七月二十五日より百日の後に至
 りて、實行するものにして、來月二日は、正に朝鮮各港
 に於て、此規則實行の期日に相當し頗る切迫したるもの
 なるが故に、
  朝鮮貿易に從事する日本商人は、充分熟讀の上、豫め
 覺悟する所あるべきは、論を俟たざるなり
  回顧すれば、日本・朝鮮両國の間に、初めて條約を結
 び兩國の交通を密ならしめしは、明治九年の二月にして
 今より正に七年の昔に在り、締約の當坐は、日本商人の
 渡韓する者も甚だ少なく、釜山の一港、僅かに一落の日
 本居留地を見るに過きざりしが、三四年前より、貿易次
 第に繁昌の兆を現はし、
  本年、仁川開港の後は、俄かに渡航の商人も増加し、
 後來大に其〓大を期すべき傾向あるが如く然り抑も、朝
 鮮の貿易は、他の外國貿易に比して一種特別の性質を帯
 び、名は外國貿易なれども、其實は、日本内國の商賣と
 毫も異なる所なし、
  朝鮮に渡航するの船は、日本國内何れの津浦より出發
 し、何れの津浦に歸着するも勝手次第にして、
  他の外國貿易の如く、開港塲を經て發着すことを要せ
 ず、
  朝鮮に渡航するの船は、他の外國に航する者の如く、
 必ず西洋形の蒸氣風帆たるを要せず、日本形商船漁舟に
 ても決して差支なし、
1883年7月26日、日本鉄道開業
  日本鉄道の上野〜熊谷間が開通した。
  7月28日に、運転を開始した。
  1日2往復で、所要時間は2時間24分。
  私設鉄道の始まり。会社設立(1878年
  10月16日に、上野駅開業:日本鉄道の上野駅が開業。
 駅舎は仮設であった。完成は1885年。
  10月21日に、熊谷から本庄まで延長し、
  12月27日に、新町まで延長し、
  上野〜高崎間の開通は1884年
1883年7月27日、小学校教員免許状授与方心得が改正され、
 免許授与規定に品行の項目が加わった。
1883年7月28日、日本鉄道会社の建設していた上野〜熊谷間
 が開通し、仮営業が始まる。
  日本初の私営鉄道経営。
1883年7月31日、小・中・師範学校の教科書採択が認可制と
 なる。
  日本における教科書の起源は、遠く古代にまでさかの
 ぼることができる。
  最初の教科書といわれているものは、仏教や儒教の教
 典・経書、国文・和歌、史書などの古典のたぐいであっ
 た。
  一般に、中世から近世にかけて広く用いられた「往来
 物」が有名。
  往来物とは、もともと書簡文の模範を示したものであ
 るが、その後、社会の変化とともに内容も変わり、教訓
 的なもの、産業的なもの、地理的なものに分かれた。
  そして、特に、寺子屋を中心に用いられた。
  その代表的なものに『庭訓往来(ていきんおうらい)』
 がある。
  (参考)庭訓往来:室町時代の往来物。
     玄恵 (げんえ) の著とされるが定かでない。1巻。
     庶民用の初等教科書で、室町から江戸時代を通
    じ明治初期まで広く普及した。
     形式は手紙文 25通を1年 12ヵ月に配列している
    が、文例集ではなく、日常生活に必要な多くの用
    語を示し、それが意味する社会事象を教えるのを
    目的とした。
  日本の近代学校教育制度は、1872年(明治5年)の「学
 制」発布よりスタートするが、
  この「学制」期の教科書制度は、自由発行・自由採択
 制であった。
  このため、この期の教科書は、種類が多く多様性に富
 んでいた。
  前述の旧来の教科書とともに、欧米の教科書を翻訳し
 たものや、欧米の文化・科学を紹介した啓蒙(けいもう)
 書などが教科書として広く普及していた。
  また、これら教科書とならんで掛図(かけず、地図や
 標本の絵・図などを掛け軸のようにした教材用のもの)
 が教科書と同格のものとして取り扱われ、小学校入門期
 の主要な教材となっていた。
  「学制」期において、文部省や師範学校も教科書を編
 集出版していた。
  1880年に、文部省は、地方学務局内に教科書取調掛(と
 りしらべかかり)を設置し、各府県の教科書の適否を調査
 し、使用中止を含めてリストを通達した。
  背景に、当時の自由民権運動の活動があり、民衆への
 啓蒙・指導の必要性を感じた(放任主義からの転換)
  翌・1881年に、各府県が、小学校の使用教科書を、文
 部省に報告することを義務づける開申制(告げ知らせる)
 とした。
  そして、1883年、教科書採択を開申制から認可制に改
 めた。
  小学校教科書以外にも、公立中学校・師範学校での教
 科書も認可制とした。
1883年7月、東京大学で、ドイツ出身の御雇外国人・ワグネ
 ルらによる吾妻焼の研究が始まった。
  新しい陶器の研究に着手し、1885年に、赤坂葵町に試
 験工場を設け、吾妻焼と命名する。
  さらに1887年に、東京職工学校に設備を移し、名称を
 旭焼と改めた。
  産業の近代化が進む中で、日本のタイル製造技術を向
 上させたワグネルだった。
  さらに新しい技法を積極的に取り入れながら、輸入品
 以上の精巧なタイルを海外に輸出した。
  来日の後、政府に雇われためずらしい経緯を持つ人。
  京都府立医学校(現・京都府立医科大学)、東京大学
 教師、および、東京職工学校(現・東京工業大学)教授
 となる。
  また、陶磁器やガラスなどの製造を指導し、ヘンリー・
 ダイアーらと、同時期に明治時代の日本で、工学教育で、
 大きな功績を残し、讃えられた人。
  墓碑や記念碑が、後年まで管理され残っている(1892
 年11月8日没、61歳)
  墓所は、青山霊園内で、厚く葬られている。
  また、東京工業大学博物館には、業績の展示がなされ、
 また、キャンパス内には、その功績を讃える立派なワグ
 ネル記念碑がある。
  島津製作所の創業者もワグネルの指導を受けている。
  教え子には、東大教授など何人もの帝国大学を含め、
 多くの教授が居り、
  研究所の創設に功験したり、実業家の卵を育てたり、
 必要な学問を開くため学課の創設をしたり、
  また、国へ建設的なな建議をし、発展に寄与した。
  七宝などの製法指導、陶器焼成釜の発明、工芸家を育
 て・・など功績は多く、大きい。
  彼が指導し育てた会社が、第2回内国博覧会で名誉賞を
 受賞している。
  彼への讃辞は、止まるところを知らない・・、
  京都の七宝に色彩を導入し・・透明釉は、日本の七宝
 の美しさを世界に知らしめ・・飛躍的に高品質となった。
  パリ大博覧会でも名誉大賞・金賞など、国際的な評価
 を得るのは彼の寄与で大きな功績による。
  学究的な彼の性格は、日本人の性格と合い、
  歴史的に技術のある日本の陶磁器界を、さらに輝かし
 いものとした。
  彼は、一時、ドイツに帰国するが・・再び、日本に戻
 り、東京の自宅で没し、日本の土となって戴けたところ
 が有り難く、うれしい。
  『ドクトル・ゴットフリード・ワクネル伝』がある。
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(今日の言葉)
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  グローバリズムの罪
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  グローバリズムは、多国籍企業による市場の寡占、も
 しくは、独占固定化に至る可能性が高い性向がある。
  (参考)寡占:(かせん)少数の供給者が、市場を支
    配している状態。
  1例として、参入に巨額の資金が必要な半導体製造等の
 業種は、リスクが高く、新規参入が困難であることから、
 多国籍企業による市場寡占・独占固定化の可能性が高く
 なっている。
  (強い奴がさらに強くなるということ、強い奴に都合の
 良い状況、弱い者いじめの状態、ベンチャーは大変)。
  参入が困難な業種ほど寡占・独占固定化が進むと予測
 される・・グローバリズムの悪。
  グローバリズムによる相互依存が高まると、原油を初
 めとする資源価格高騰によって、持てる者である資源国
 がますます富み、
  無資源国が、高値で資源購入を余儀なくされる状況が
 深刻化する。
  (資源のない貧者が、ますます貧乏になる・・こんな
 グローバリズムがよいのか・・??
  グローバリズムの片棒担ぎの・・TPP・・!!)
  一部の多国籍企業による国際市場の寡占・独占固定化
 が強まると・・、
  資金・資本に乏しい(貧乏)国家からの企業の参入は
 極端に不利となる。
  国内産業が、多国籍企業に支配された低開発国は、先
 進国から国際援助を受けても、資金が国内産業に回らず
 そのまま国外に流出し・・、
  低開発国からなかなか離陸ができない。
  (せっかくの日本の援助が空回りする・・強者の儲け
 となって、吸い上げられる)
  無資源国で有力な産業が少なく、国外市場参入もでき
 ない国は、世界を一つの市場として共有するメリットは
 無い・・そのため、
  故に、グローバリズムの市場共有を放棄するしかない
 状態となる。
  逆に、ソフトウェア産業等のように、わずかな資金で
 参入でき、1人の人間のアイデアが大きく生かされる業種
 は、多くの雇用がアウトソーシングの形で先進国から開
 発途上国に流れており、世界的な産業規模の拡大が続い
 ている。
  (日本のアイデアが吸い上げられた・・!!)
  ロシア・中国・インドの急速な台頭による多極化や、
 経済面での地域統合の動き(ヨーロッパのユーロ通貨な
 ど)により、今後グローバル化の動きは相対的に後退す
 る・・その時代に入って行くと予測されている。
  (昔は、善人を奴隷にして吸い上げ・・今は、超巨大
 企業が吸い上げる・・そのシステム作りに狂奔する・・)
.
  そして、次の話・・、
.
1/3(討論!特別版)西尾幹二氏と語る、世界と日本の現在
  (いま)(桜H28/6/25)
https://www.youtube.com/watch?v=WaVrAHE_JTk&list=PLubSbhcjV7IC474nAq4dd64J1NubFDFCH
.
  西尾幹二氏と桜チャンネルの社長との対談(抜書き)
・世は、グローバリズムナショナリズムの戦いになって
 いる。
  そして、アメリカの力の限界と共に、アメリカまでも
 ナショナリズムを主張し始めているために見えなくなっ
 ている。
グローバリズムを定義すると・・、
  グローバリズムを狭義に解すれば・・、
  経済的に、アメリカ資本主義の改革主義、
  あるいはまた、構造改革、自由マーケット主義、
  そして、それを放任する事による弱者を抑え込む構造
 の世界観、
  (グローバリズムの考え方である)国境を無くした方
 が、資本の論理の方が・・有利に決まっている。
  だから、そういうグローバル企業が、パナマ問題に至
 る、脱税にまで至る横暴を尽くす(狭義のグローバリズ
 ム)
・これだけで考えるべきか・・つまり、経済帝国主義だと・・、
・桜チャンネル社長、・・システムとか、インターネット
 を含めて、通信手段や情報手段が、拡大・充実した中で、
 西欧の白人支配秩序・・、
  例えば、自由・博愛・平等とかは・・、
  これは欺瞞(ギマン)だったと、作られた単なる理念
 であって、根の座ったものでなかったというように見て
 いる。
  そして、その様に行ったのがEUであったり、アメリ
 カ合衆国である、
  作られた理念であって・・、
  経済に見られるように、また、政治状況に見られるよ
 うに、これが、ぜんぜん通用しなかった、中東でも通じ
 なかった、
  だから、各民族が、ナショナリズムというよりも、自
 国のアイデンティティ(主体性)を主張し始めた、見直
 しをし始めた。
  だから、白人が作り上げたそれらの理念を、かなり、
 疑いを通り越して・・否定をし始めている。
  アラブの春というのも、結局、押し付けだった、それ
 も駄目になった。
  原因は、人類の価値観が、『良く言えば多様化』した。
  今まで、世界的に共通しているものだった西欧近代主
 義なんかが、溶解・破綻し始めている、その結果である
 と見ている、
・西尾氏・・それは、ナショナリズムから見ているので、
  グローバリズムの正しさを主張する人にとっては、今、
 言ったことが、総べてが、ポジティブ(肯定的)になる。
  私が、「全体主義の呪い」という東ヨーロッパを中心
 とした共産主義の崩壊の姿を、90年代の姿を探訪した。
  その時、東ヨーロッパを歩いたとき、
  東欧の人達は、ナチズムとコミュニズムを区別しなか
 った、
  (参考)ナチズム:ナチスの思想・主義・支配体制。
    全体主義、偏狭な民族主義などを特徴とする。
  (参考)コミュニズム共産主義に同じ。
  (参考)全体主義:個に対して全体を優先させる主義、
  (参考)リベラリズム自由主義
  (参考)エスタブリッシュメント:社会的に確立した
    制度や体制。または、それを代表する支配階級・
    組織。規制勢力。
  つまり、コミュニズムは、ナチズムと同一のものであ
 って、同質の全体主義だと・・、
  そして、それを分からないのは、西ヨーロッパの知識
 人だと、彼らは、怒っていた、その当時にね。
  今、西ヨーロッパのリベラリズムは、ソ連化し始めて
 いる、逆に言えば、東欧のリベラリズムは怒っていた、
 89年より前には・・、
  今でも、東欧諸国の知識人は怒り続けている、本当の
 共産主義を理解してない・・と、
  西ヨーロッパの知識人も、今、ますます、ソ連化する。
  ソ連全体主義に甘い、そして、ナチズムを絶対悪とし
 て、これを他と比較したり、例えば、ソ連共産主義と比
 較したり、パラレルとして見たりすることは、ナチス
 相対化になると言って、それ自体が犯罪だと言っている
 のがヨーロッパの言論界の姿、
  そうすると、共産主義は、例外として認められている
 ような、極悪はナチズムであるという思想になっている、
 これが西欧リベラリズムなのだ。
  この西欧リベラリズムが、まったく目が覚めてない、
 それがメルケルの移民を入れろという思想である。
  あれだけのことをされても、まだ、目が覚めていない、
 世界的に、それに対して、東欧諸国はナショナリズム
 ありますから、西欧リベラリズムに対して西欧の民衆ま
 でもが、今、「ノー」と言い出している。
  ドイツでも、フランスでも、右翼が出てきているのは
 「それ」である、
  それも、超大国アメリカにまで同じ波が起きた、ト
 ランプ現象が、まさに、そうですから・・、
  こうなると、結局、本当は、とおの昔は大戦争になっ
 ている時代に入っているのだけれど、核の脅威があるの
 で、誰も口出しできない、
  地球の上で、一部の特定地域だけが、直ぐに戦乱を起
 こすようになる仕組みの代わりに、大部分の9割の地域
 は腐敗したわいせつ感の中に生きていて、平和という名
 の中に、白黒のはっきりしない地域、愚かな正義が旗を
 振る、そして、それを分かっていても忍耐するしかない、
 それを私は『わいせつ』と呼ぶのです・・が、
  そういう状況が、世界的にどこでもつながっている、
  大きなことはエスタブリッシュメントと言われる勢力、
 つまり、大きなメディア、日本もそうですけれども、ま
 ったく、この問題に関して無反省である。
  本当に不思議なくらいの状況、これだけの事が言われ
 て来ていて、分かっている人は分かっているのに、知ら
 ん顔している、毎日、テレビを見ていると、何だろうと
 ・・舛添・・舛添・・舛添・・と?
  各家庭はそれを、目の色を変えて見ている。(12:08)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive