ここまで蹂躙(じゅうりん)する例は・・ない。

 題:ここまで蹂躙(じゅうりん)する例は・・ない。
...(悲惨な戦争は無くせないのでしょうか)
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 1952年8月6日、アメリカの日本占領軍は・・、日本の
情報操作をして来た。
 そして、この日、一つの事実が明らかにされた。
 サンフランシスコ講和条約が、1952年4月28日に発効し、
日本は独立できた。情報操作の束縛から・・やっと、解放
された。大切な、大切な・・事実を、日本人は、知ること
ができるようになった。
 8月6日のこの日に、その束縛の一つだった『原爆による
被害』が公表できた、された。白日の下のものになった。
 国民の目の前に・・明らかにされた。
 この日に発売された「アサヒクラブ」で、初めて、公開
された。
 そして、この頃・・、
 ハーバード大学のS・ハンチントン教授は・・、
 「第二次世界大戦の原因は、西欧の国と国との争い・内
戦が元なのだ」と言った。
 「西欧文明の理念の衝突から引き起こされた戦争だった
のだ」・・と、唱えた。
 決してアジアが遅れている・・とか、
 中世的なところがある・・とかという、原因であった訳
ではないと・・、
 また、アジアの封建意識が戦争の原因だということでは
ない・・と・・、
 しかし、しきりに、アメリカは・・、
 「遅れていたから」・・「中世的だから」・・「封建的
だから」・・と、言った。
 そして、だから、アメリカの日本の占領政策は、「日本
国民に罪過(ざいか、罪・あやまちの意)の観念を植え付
けるのだ(タイムス)」に代表される様な方針だった。
 日本人への観念操作の政策だった。
 また、「良い方向へ救済してやらなくてはならない」の
勝利者が、文明の高いところから見下ろすというやり方だ
った。
 また、国民の怨嗟(えんさ)を利用して、旧体制が悪い
のだと洗脳し、マインド・コントロールをした、また、そ
れを「しなければならない」の方針だった。
 結局、日本国民の敵意を、アメリカからそらしたいの方
針だった。
 アメリカ占領軍は、情報を一手に握っていた。
 占領軍の、その情報独占を利用して、自らの都合の良い
方向へ導いて行った。
 そのサンプル的な1例が、この原爆の事実の公表を抑(
おさ)える行為だった。
 原爆の残虐な写真などの公開は禁止されたりして、日本
は情報操作をされた。
 また、アメリカを、理想的な社会だと見せるため、黒人
の方たちへの人種差別などの公開も禁止した。
 映画は、輸入禁止処置がなされ、また、上映も禁止され
たりした。
 逆に、日本の旧体制の暗部は、これでもかと言うくらい
に公開した。
 卑劣な事に、この様な事を、組織的に、持続的にやり続
けた。
 また、学校教育の内容までも干渉した、口を出した。
 子供たちや、青少年への『精神改造』の行為がなされ、
実施されて行った。
 新聞各紙は、強制的に「太平洋戦争史」を掲載せよとさ
れた。
 これはアメリカ宣伝一色の内容で、強制連載だった。
 すべての新聞が強制された。
 また、翌年には、本として出版された。
 マインド・コントロールされる日本人だった。
 本はよく売れた。
 また、指導されてる文部省は、この本を、子供たちの歴
史の教材とした。
 完全に従順な日本は、言われるとおりにしていた。
 ヨーロッパ諸国で戦いに揉まれた社会には、ここまで蹂
躙(じゅうりん)する例は・・ない。
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 (参考)じゅう‐りん【蹂躙/蹂躪】 [名](スル)暴力・
   強権などをもって他を侵害すること。ふみにじられ
   ること。「弱小国の領土を―する」
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 (詳しくは、以下のブログへ)
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