慰安婦・慰安所などのこと・・、

 題:慰安婦慰安所などのこと・・、
 (真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 日本とアメリカとが戦った大東亜戦争第二次世界大戦)。
 その戦争が終わったと知らずに、ジャングルの中で、29
年間という気の遠くなるような長い期間、戦闘態勢で頑張
って居られた小野田寛郎氏。
 この小野田氏と、上智大学名誉教授の渡辺昇一氏が対談
をされているYouTubeに、慰安婦の件などが話されていた。
 以下に、この事の概略を記す(主に前半部分)。
 尚、意訳して読みやすくしたところもあります。
 この収録・放送時は、小野田氏が84歳の時である。
 そして、このYouTubeは、小野田氏が91歳で、逝去な
された時の追悼番組である。
 平成18年8月23日に、初回放送されたものである。
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(追悼番組)渡部昇一小野田寛郎大東亜戦争と戦後日本を語る。
 URL: https://www.youtube.com/watch?v=CVOTxN4awg0
 [ 内容 ]::
 ローマ法王は、靖国神社を御参りして良いと言っていま
す。公式に何度も言っています。
 軍人の戦死者を祀っているのだから・・と。
 しかし、戦争が終わって、アメリカ軍の司令長官のマッ
カーサーが日本に来て、靖国神社を焼き払えと言った。
 すべての神社も焼き払えと言った。
 ローマ法王の居るバチカンは、満州を承認していますし、
 ナチスは、ユダヤ人の迫害を国策としていた。
 その点、日本は、ナチスからユダヤ人を迫害せよと言わ
れたが、『しない』と言った。
 日本は、八紘一宇(はっこういちう)だから『やらない』
と言った。
 だから、日本軍が居た上海に、ユダヤ人が逃げて来た。
 日本軍は、国策としてユダヤ人を助けた。
 満州にもユダヤ人が居て、満州に来たユダヤ人は、それ
以上は逃げなかった。
 また、ユダヤ人は、日本にも来て、上陸もしているし。
 その点、イギリスやアメリカは、ユダヤ人が逃げてきた
ら、追い返したですよね。
 日本は、『和をもって貴しとする』という国だから、敵
を作らないということです。
 日本の軍は、悪口を言われていますが、ユダヤ人を守る
ために八紘一宇を言い出したのは、日本の陸軍大臣だった
のです。
 ユダヤ人を追い返したルーズベルトアメリカ大統領)
より立派なところがあった。
 渡部氏がイギリスへ行った時、家を借りて、その家主
(やぬし)がユダヤ人だったが、その家主が、「戦争の時、
日本はユダヤ人の財産にはまったく手を触れなかったな」
・・と、感心していました。
 日露戦争の時、日本は、ユダヤ人に、たいぶ、助けても
らった。
 だから、ユダヤ人と太いパイプを持っていた高橋是清
226事件で殺したのは惜しかった。
 あのパイプがあったら、戦争は起きなかったかもしれな
い。
 昔、日本は、24歳まで選挙権が無かった。だから、戦争
に行った人は、ほとんどが選挙権の無かった人だった。
 近代軍隊の一般人に対する徴兵制度を考え出したのは、
フランス革命だった。
 日本は、戦争をするのは武士(戦・いくさを職業とする
人たち)だけだった。
 小野田さんが去年に書いた従軍慰安婦の論文は良かった
ですね。
 小野田さんが、(中国の)街で、偶然、民間人として(
慰安所を)見たことを書いた。
 軍隊に入った後でも見たことがあったが・・。
 ハン江で。武漢三珍、30万人の日本軍が居た。
 お金を持って、日本軍人も慰安所へ行った。
 飛行機の40機分という多くのお金が流れていた。
 その経営者が支那人だった。
 朝鮮の人もね。日本の人もいた。
 中国の人、朝鮮の人、日本人の人が経営していた。
 そこへ兵隊が遊びに行った。
 現地の女性に手を出させないという重要なこともあった。
 また、兵隊が悪い病気にかからないようにするという面
もあった。
 この二つの目的があった。
 そしてまた、そこへ行った時は、日本の兵隊が裸になる
ので(無防備になるので)、その兵を守る兵も必要だった。
 「軍が守る」という意味は、そういう意味です。
 敵から日本の兵を守らなければならないという状況です。
 日本の軍隊が、朝鮮から女性を連れて行ったということ
は無いこと(現地に既にその店があった)。
 日本の兵隊は、その店の女性に騙(だま)されて、多く
のお金を払った。
 問題の慰安婦の事について、調べた政府(内閣)の人が
1件も強制的に連れて行った例はないと言っているのに、
当時の官房長官の河野さんが、調べもしないで、謝っちゃ
った。
 それで、世界中から恥をかいている。
 国民に謝ってもらいたい。
 無いものを認めるなんてね。
 今、日本人が、世界中で一番汚い民族の様に言われたり
している。
 高利貸しと女郎屋のおやじは、畳の上で往生(おうじょ
う)できないという言葉があるくらいの、イカサマな事。
 欧米は、その辺は、大体、承知しているのではないです
か?
 小野田さんの論文は、客観的な観察で(正しいのだから)
英訳して、国連の人権委員会へ配ったりして、日本に来る
恥を注(そそ)がなければならないと思います。
 軍のお金の多くが、慰安所に行く費用に使われたという
結果になっている。
 人間の子孫を残すという欲の一つに、そのお金は使われ
た。人間の三大欲だ。
 拾となん円という給料をもらったら、三つに分けた。
 3分の1は飲食店、饅頭食べたいなど、3分の1は貯金、
そして残りの3分の1で・・慰安所
 その戦場の慰安婦の店、日本人の様な良心的なのは無か
った。
 アメリカ軍が(日本の占領のために日本に)来た時は、
その慰安所は(日本には)無かった。
 (アメリカ軍は)日本に吉原みたいのを作れと命令した。
 被占領国へ作れと命令した。
 これは(アメリカ軍が)被占領国(日本)に乱暴な事を
したということになる。
 日本政府は、(そのアメリカ占領軍の命令を)それをや
らないで、営業をする人(店を経営する人)がやった。
 (戦地の場合は)戦地での強姦防止があった。
 これをしないで乱れると、恨まれるということを避けた
かった。
 治安維持の面もあった。
 日本に、アメリカの占領軍が来た時にも、その命令があ
った。
 東京も(アメリカ占領軍から)命令された。
 それで東京には店があったが、横須賀には無かった。
 それで、頻々(ひんぴん)と強姦事件が起こった。
 それで、横須賀でも作った方がよいだろうと、やったら、
強姦事件がピタッと止んだ。
 しかし、変な牧師が反対し始めたが、前の(強姦が起き
る)状態に戻ったので、また作った。
 中国での店は、凄く儲かったという、その店で働いてい
た女性が、1000円あれば総二階の家が建った時に、3万
7千円の金を持っていたが、日本が負けたので価値がなく
なったので、郵政省を訴えて、賠償してくれと訴えたので
その持っていた金額を知ったのだが、その様な大金を持っ
ていた。
 その様な金を、僅かな期間で得られた。
 もの凄くもうかる仕事だった(強制連行でしたのではな
い、儲かるので仕事としてやった)。
 大体、1年間ぐらいですね(働く期間は)。
 後半は、靖国神社の話になって行く・・
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 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009