まったく、違う行動になる訳だ・・、

 題:まったく、違う行動になる訳だ・・、
...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
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 イエスが、本当に盲人の目に触れると・・、
 盲人の方の目は、すぐ、見える様になったと言うのなら、
 もっと、「どんどん、盲人の方の目に、触れてあげれば
いいのに・・、
 そうすべきだ・・、喜ぶ人が増えるのに・・」。
 可哀想な、盲人の方を深く憐れんで・・、
 「わたしは、盲人をすぐ見える様にできます」と・・、
 どんどん、見える様にして差し上げるべきだった。
 何万という・・目の見えない盲人の方々を・・、
 並んでもらって・・、ドンドン目に触れて・・、
 そして、毎日・毎日・・、
 盲人の方々を・・直し続けるべきだった。
 自分に・・その能力が・・あるのに・・、
 ある決まった人だけ・・、特定の一人か二人で・・
 それでは・・ダメです。
 第一、この人だけでは・・依怙贔屓(えこひいき)です。
 深く人々を愛し・・、また、盲人を憐れむのでしたなら、
 徹夜をしてでも・・、一生懸命に、盲人の目を直して差
し上げるべきでした。
 まったく、自分の能力の・・出し惜しみをしていると、
 言われても・・しょうがない状態です。
 本当に、人々を・・救いたいと思っているのでしょうか
とたずねたくなります。
 その行動は、疑問の行動の様にさえ見えます。
 本当に、人々を・・救いたいと思い、救うのだ・・と、
 本当に、思っているのでしたなら・・、
 救うことができる能力が・・本当にあるのでしたのなら、
 キリスト教聖書の記述とは、まったく違う・・行動にな
っていたはずです。
 そして、次の話・・・
 キリスト教は、今・現代でも・・、
 奇跡を、起こしているのだろうか?
 さすがに、今・現代では、
 『下手なことは言えない』、という状況にあるという事
情が働いているのだろう。
 キリスト教の聖書には・・奇跡の記入が多いが・・。
 イエスは「盲人の目を開いた」とか、「歩けない人が急
に歩けるようになった」とか・・、
 「水の上を歩いた」とかと・・頻繁(ひんぱん)に奇蹟
が起きているが・・、
 現代になって、キリスト教が奇跡を起こしたという話は、
とんと聞いてない。
 まったくと言って無いと言える。
 故に、キリスト教の聖書は、この奇跡の事からだけでも、
 『壮大なる偽書』と言える。
 キリスト教偽書たる立証を、人類は、2000年以上の
歳月をかけて行って来たと・・言える。
 そして、今・現代に至り、キリスト教の聖書が、偽書
あるという事が・・立証されたと言える。
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 (参考)ぎ‐しょ【偽書】 本物に見せかけた、にせの手紙
   ・文書・書物や墨跡など。偽筆(ぎひつ)。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA