氏・素性を、尋ねれば・・・

 題:氏・素性を、尋ねれば・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、自分の神以外を偶像の神だという。
 まったく、失礼な話だ、教義だ。
 その上、自分の神は排他的で、多くの極悪行為をして来
たことが許せない。
 キリスト教の今の神は、「三位一体の神」だという。
 その前は、「天の父」「父なる神」と言っていた。
 イエスも、その様に言っていた。
 イエスは、「三位一体の神」のおくびも知らなかった。
 知らない訳だ、イエス歿後、何百年も後になって出来た
神だからだ。
 そして、その前の前、何代かの前は「ヤハウェの神」だ
った。
 この神は「在りて在る」神と言われた。
 キリスト教の神を、この様に遡(さかのぼ)ると、あま
たの、沢山の神々が居たことが分かる。
 神の品評会のごとくになる。
 民族が生き残るための神だった。
 民族神だ。
 戦勝を祈った神だ。
 「戦いの神」だった。
 戦いに負けると、その神の神通力はないと棄てられた。
 キリスト教の神を辿(たど)って行くと「この様な『捨
てられた神々』に続々と行き当たる。
 生きるか、死ぬか。
 民族の生死を賭(か)けた戦いに『負ける様な神は捨て
られるのが当り前だった』。
 キリスト教には、累々(るいるい)と、この様な神々の
残骸が存在する。
 日本の様に、『連綿と続く神』の姿を想像したら・・
 『大間違い』となる。
 キリスト教ほど「一神教と名乗りながら」、「キリスト
教ほど神々を粗製乱造(そせいらんぞう)して来た宗教は
ない」。
 また、「捨てて来た宗教はない」。
 キリスト教こそ、『偶像の神々を造り続けている』ので
ある。
 ちょっと事情が変われば、神の形を変えたり、神を捨て
たり、また、捕えられて行けば「その地の神を信仰して」、
 それを「民族の神としたり」、
 節操無く、神を変えて来た。
 エジプトに、飢餓を逃れて、逃げ込めば・・、
 「エジプトの神に被(かぶ)れて、その神を信仰したり』、
節操無く、神々を渡り歩き、変えて来た。
 そもそも、『在りて在る』神と言うのは、くるくる変わ
る事により、神の存在性がなくなる事から、その存在感を
言う『在りて在る』と言ったと思える。
 イスラエルの民の神は、民族に定着していなかったと言
える。
 エルサレム大学の教授も、『イスラエルの民が、一神教
になった歴史は浅い』と言っているが、今のキリスト教
神は、その浅い一神教の歴史の中にある。
 また、見えない神となってのも歴史が浅い。
 キリスト教の神は、見える神だった。
 神が相撲を取ったり、また、道を通ったところを、人間
に呼びとめられる神とか・・、
 そして、人間に、食事に呼ばれる神、そして、食事をす
る神とか。
 今は、豪華に飾った祭壇で、また、プロパガンダ(嘘宣
伝)で、何やら神らしくしているが・・、
 氏・素性を尋ねれば、この様なもの。
 この変遷を、ちょっと考えただけでも、キリスト教の神
は、人間様の『創造したもの』ということが分かる。
 神が、居る、居ないは、はっきりしている。
 多くの矛盾を排除しなければ、居るは成立しません。
 不可能です。
 虚構の神による信仰形態です。
 だからこそ、その様な虚構の神をプロパガンダ(嘘宣伝)
して、行われた数々の殺戮行為が、そして、無念に死んだ
方々の『無念さ』が、心に響くのです。
 これ以後において、二度とこの様な蛮行が起きない様に
しなさい。
 (参考)そせい‐らんぞう【粗製濫造/粗製乱造】 粗悪な
   品をむやみにつくること。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA