仏教的考え方で伝道するキリスト教・・

 題:仏教的考え方で伝道するキリスト教・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教に関する「ある本」を読んでいて、「おわり
に」まで読み進み、
 そして、ある個所にまで来た時・・
 この本の筆者が書いた箇所が、以下の様になっていた。
 「ユダヤ人の長い歴史のどのひとこまをとって見ても、
彼らが苦難に合わなかった時は無かった。聖書全体が、ユ
ダヤ人の苦難の歴史そのものだと言っても良い。苦しみを
経験して始めて、人間らしい人間が生まれる。苦しみに打
たれてはじめて、本物の愛が生まれる」・・と、書かれた
箇所で・・、
 「つくづく、この筆者は『性悪説キリスト教』では無
いなー」と感じた。
 この筆者は、「性善説の人」です。
 キリスト教性悪説で、性悪説の人は、この様な『思考
展開』はしません。
 性悪説で「悪い方、悪い方へ」と考えます。
 警戒的な、注意発言などを伴って発言されて行きます。
 是非、本ブログの「キリスト教徒の曽野綾子氏の言葉に
ついて思うこと・・」と「曽野綾子さんの話の『つづき』
・後編」、その他などをお読みください。
 性悪説は、この様な前向きな思考展開にはなりません、
考えません。
 キリスト教は、自分には『原罪という罪がある』と、ま
ず、自分が持つ「マイナスの否定的条件」を認識します。
 そして、原罪を自分は背負っている、その自分は「悪い
のだからこの様になってしまった」と考えます。
 自分に悪の根源があって、『自分からの事態の打開』は
出来るような力は無いし、
 また、悪のある罪の自分が「解決しようなんて思っては
ならない」と考えます。
 「自分からの事態の打開は出来ない」と思い、当然、過
去の経験が糧(かて)になって、「次からこの経験によっ
て、事態の打開を図(はか)ろう、しよう」なんて考えも
しないし、また、
 「考えてはいけない」と思い、また、望みません。
 そこに、自分を越えた神の存在を考えているからです。
 神にただただ寄り添い、神の救いを待つ。また、そうし
なければならないと思い込む。その様に教える宗教が「キ
リスト教」です。
 この日本人の筆者は、長い日本人の歴史の中で育(はぐ
く)まれ、また、育てられて来た「佛教に根ざす性善説
による考え方の言葉の展開となっています。
 ただただ神の救いの中に生きよう、神に誠実であろうと
いうキリスト教では無い、ありません。
 この筆者の考え方には、神から離れた自力本願の自分が
ある。
 キリスト教は神の救いによる「他力本願」なのです。
 この筆者が、まさしく言っている事が「佛教の自力本願」
で、自(みずか)ら考え、自(みずか)ら良い方向へ向か
って行くという自力本願です。
 キリスト教と仏教は、自(おの)ずから、この様に、基
本的に考え方が違います。
 生きていく生活において、その大きな差が存在するので
す。その結果の差は大きいです。
 長い歴史において育(はぐく)まれた仏教的考え方をす
キリスト教徒が、日本で、この例の様な伝道をしていま
す。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
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