『救いはエホバにあり』と、内村鑑三は言うが・・そして、努力をするなと言うが・・。

 題:『救いはエホバにあり』と、内村鑑三は言うが・・
         そして、努力をするなと言うが・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教は、『他からの恵みに期待するだけの宗教で
ある』。
 「自分から幸せになろう」という宗教ではない。
 何ら自らは努力をしようとはしない。
 また、『努力をすること自体を否定する宗教教義』にな
っている。無気力信徒製造宗教となっている。
 この宗教では国は滅びる。
 また、家庭も滅びる。
 人類も『じり貧』となり、滅びる道を進む。
 何しろ、「ひたすら、神からの恵みを願い、祈り・・、
 『たなぼた的な恵みを期待する宗教』である。
 内村鑑三は言う、内村鑑三集の「ルーテル特愛の聖句」
には以下の様な記述がある。
 言葉は綺麗ではあるが、その様に感じるが、表面的に綺
麗に見えるだけで、その実は人生を誤らせることになる。
 「穏(おだ)やかに神に寄り添い頼れば、力を得る」と
言う。神を信じろと言う。
 平穏は沈黙を守ることだと言う。ただただ神に寄り添い
頼ればいいのだと言う。
 そして言う。「それは、すなわち自(みずか)ら努めず、
(努力せず)、神の行動を待て」・・と、教える。
 これでは無気力人間が出来上がってしまう。
 人に食べさせてもらえなければ、つまり、まず神の前に、
人間に頼らなければミイラになってしまう。
 何ら自ら努力をしない人間ができ、キリスト教は、待っ
ていれば、『ただただ、いいのだ』と言う。
 力を得るのだと言う。
 それを信じろと言う。
 待っていさえすれば、強くなると言う。
 だから、汝の敵に勝つと言う。
 だから、救われますと言う。
 そして、ここで例えて言う、「嫉妬の毒矢に身を曝(さ
ら)すとき、・・われはただ静寂を守り、すべての救済を
神より望み、かれ(神)をしてわが城塞たり、守衛たり、
(神を)武器たらしむべきなり。われは弱けれどもかれ
(神)は強し、われとともにありて、われ一人は全世界よ
りも強し、救いは『エホバにあり』・・と。
 何ら、神はこうなのだからという話は皆無となっている。
 ひたすら精神的高揚のみ、感情的入れ込みのみ。
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 (追伸):
 また、内村鑑三の様な、明治初頭の学究の徒は、
 進んだ西洋の科学知識および哲学を含む学問を勉強しよ
うとひたすら学んだ。
 しかし、今現代、その努力の跡は認めるが、その研究課
題のどれもが、陳腐化がはなはだしいのは仕方がない状態
となっている。
 それだけ、現代の科学は進み、学問・知見が進んでいる
のだ。
 内村鑑三キリスト教も、その知見レベルは、また、研
究レベルは、はなはだしい進歩をした現代からみると酷(
ひど)く低かった。
 西洋の学問を仰ぎ見た明治初頭の学級の徒は、無批判に
優れたものと西洋を見ていたことは否めない。
 その様な環境に居た内村鑑三が、今・現代に居れば、キ
リスト教の真の全貌を知れば、この様な浅薄なキリスト教
に失望しただろう。

(追伸の追伸)
 「神が居ない」と悩んだマザー・テレサ
 「神の存在が確認できません」と嘆いたマザー・テレサ
 何と、彼女の人生の中でズーットあった悩み。
 ある時、急に、その様に思えたという話ではない。
 彼女は、長い年月「神の存在が確認できない」と悩んで
いた。
 「神の行動をマザー・テレサは待ち続けていた」。
 しかし、最後まで待ち続け、神に会えなくて終わった。
 彼女の死後、その経緯(いきさつ)が公(おおやけ)の
元に公開された。
 彼女の「これが真実」との公にする希望だった。
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  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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