戸惑いの中の教え・・・。

題:戸惑いの中の教え・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教という宗教は、矛盾が多く、
 信徒の方達の心は、戸惑いの中の信仰となっている。
 この信徒の方々の戸惑いは、仕方のない「必然の理由」が
あり、この原因は、キリスト教がこれまで辿(たど)って来た
経緯の中にある。
 イエスが亡くなり、エルサレムに出来た教会の中心、その指
導者は、イエスの弟の『ヤコブ』であった。
 (教会と言っても、神殿の中に居たという報告がある)
 そのヤコブのグループは、イエスの弟のヤコブの他、親族、
そして、イエスの直弟子達によって形成されていた。
 そして、この他にもグループがあった。
 この複数のグループが、原初のキリスト教に存在し、今現在
キリスト教にその影響が、色濃く投影されてキリスト教
出来ているところに、今、キリスト教徒の方達が戸惑う原因が、
ここから発生している。
 その複数のキリスト教の原初のグループは、相いれない状況
にいた。
 そして、その相いれない、それらのグループの宗教思想が、
現代まで尾を引いている。
 その他の一つのグループが、パウロのグループだ。
 パウロは、昨日まで、ユダヤ教のバリバリの活動家だった。
 そして、その昨日までが、キリスト教徒を殺すような輩だっ
た。
 パウロは、活動していたユダヤ教のグループ内の出世問題が、
パウロ離脱の本当の原因なのだろうと言われているのだが、
 今しがたまで、盛んに対抗していたキリスト教のグループに
入ってくる。
 「天からのイエスの声が聞こえた」とか、
 「失神するぐらいの襲撃を受けた」とかと、
 劇的な回心を説明するが、
 急な心変りと言われても、否(いな)めない状況だった。
 パウロが、キリスト教に入ってきたからといって、
 「イエスの弟のヤコブ達のグループ」と考え方や行動が、総
べて一致するという訳ではなく、
 パウロは「生前のイエスの言葉や行動」に、(イエスの言葉
に、まったく理解を示さなかったと言われても仕方ない位に)
まったく触れなかった・・と言うより、無視した。
 イエスの「十字架上による死」と「復活」を取り上げて、
 自分なりの宗教企画を作った。
 パウロが作った『宗教企画のこの形』は、
 パウロが初めて作ったという「オリジナル企画」という訳で
はなく、
 昨日までガチガチのユダヤ教活動家のパウロが、
 この「十字架上のイエスの死、血による生け贄(にえ)」は、
ユダヤ教に、既にある供犠の話であり、
 また、「イエスの復活」の話も、ユダヤ教に既にある話だっ
た。
 これ等を取り上げて、パウロは活動を開始した。
 これ等をギリシャなどの伝道において、ギリシャに馴染む
ように変えたりした。
 そして、このパウロの路線上にある福音書「マタイ」「ルカ」
を作り、これによって伝道した。
 この様な経緯の中で、マルコは、パウロの「生前のイエス
無視行為」に対抗して「マルコによる福音書」を作った。
 「マルコの路線」である。
 このマルコと「マタイ・ルカの路線」の複数路線の福音書
出来た。
 現在のキリスト教には、この様な重複路線があり、
 この他にも、御存じのように「ヨハネによる福音書」の別な
路線があり、原始キリスト教ヤコブ達の流れがあり・・とい
う、キリスト教の原初にも複雑な路線問題が存在した。
 時代経過の中でも、この複雑な路線問題は、際限なく繰り返
され、広がり、撲滅されたりを繰り返しているのがキリスト教
 一本、しっかりした本筋が無く、相矛盾する教義が多い宗教
という状況となっている。