国民総生産(GDP)の1%という膨大な費用が・・研究開発費に・・生きたカネになるのか・・それとも・・・

題: 国民総生産(GDP)の1%という膨大な費用が
   ・・研究開発費に
   ・・生きたカネになるのか
   ・・それとも・・・

 日経新聞(2010・12・22)の報道によると、
 「日本の成長の芽を育てるため、
 研究開発にどう投資していくか。
 政府の総合科学技術会議が、
 2011〜2015年度の科学技術政策の指針となる
 第4期科学技術基本計画の案をまとめた。
 政府の年度ごとの研究開発予算について
 「国民総生産(GDP)比で1%をめざす」と明記し、
 5年間で総額25兆円を投じるとした。

 2009年度の科学技術予算はGDP比で0.7%、
 今の第3期計画(2006〜2010年度)の総額は21.6兆円だから、
 かなり高い目標である」
 ・・・と報じている。
 この記事を読んで、まず感じる事は、『金の額』を目標とし
ている。
 カネさえ出せば、研究開発予算だけ出せば、ペイバックがあ
るから、頑張って、カネがないけど国民総生産(GDP)の1%の
カネを出そうよ
 ・・と読める記事です。

 本当にその意識レベルで
 大切なおカネを出すのか? 
 研究開発予算はあった方が良いのは分かるが、
 見返りがあるか、
 ペイするかは別の話である。

 この記事を読んだ限りでは、
 その辺が十分検討されておられるかと心配に感じる。

 研究者は予算を欲しがるものである。
 だから十分出してやりたいものである。
 しかしなのである。

 研究それ自体を目標にしている研究もあったり・・、
 日本の成長の芽に最初からならない意識の下での
研究もある。
 研究者の方も色々居られ、
 特許につながらないが、
 論文に主眼を置いておられる方もいる。
 当然、特許は出ないので知的財産権という無体財産は増えな
いし得られない。
 しかし、論文は出て学会ではそれなりに認めてもらうという
事になる。
 研究者の方の満足感がそこに存在してしまう。
 ・・など。

 「カネさえ出せば」を
 もっと突き詰めて戴きたい。
 カネは無ければ無いで、
 終戦頃の松下さんの二股ソケット(松下電器)ではないですが、
イデアは生まれるものです。
 この「生きたアイデア」が欲しいからカネを出す。

 だが、アイデアはカネの存在を必然としていないのです。
 その意味で、成果を見て研究費を出すとか、増額するとかの
方法も検討して戴きたい。

 湯川博士も研究費が少ないため、紙と鉛筆で済む、理論物理
学へ進んだ、そしてノーベル賞を得たという有名な話もありま
す。

 25兆円という、
 今、大切なお金が本当に生きるのか?

 慎重に、一歩一歩、見極めながら
 進めて戴きたい。

 過去に与えれば済む的な事例が
 あった事を申し添えます。