本心は・・そんなこと、言わないでくれ・・

 題:本心は・・そんなこと、言わないでくれ・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 イエスが、盲人の目に触れると、すぐ見える様になった、
 凄(すご)い事である。
 進んだ現代医学でも、こんなことはできない。
 当時の人たちも、当然、この様な事を思った。
 その様な事が、キリスト教聖書に書かれている。
 イエスの言い過ぎを、糾弾している。
 そして、誰だって・・ならば「どんどん盲人の方たちの
目に触れてあげれば良いのに・・」と、誰しもが思うでし
ょう。・・当然です。
 どなたも、人々が幸せになることを望んでいるのです。
 しかし、イエスはその様なことはしなかった。
 ただ、『目に触れるとすぐに治った』と・・言うだけだ
った。
 だから、悪魔が、イエスに言ったと言う、「石をパンに
変えて見よ」・・と。その事が、聖書に書いてある。
 本当にそうだ、その通りだ。
 そんなに奇蹟ができるというのなら・・、
 エルサレムの人々もそう思うでしょう・・そんな事が出
来るなら、飢餓から逃れようと、エジプトまで行かなくて
も済んだのだし・・と、
 また、「エジプト脱出」の時に、食べ物が無くて、私た
ちは困りに困ったのだけれど、そんな事ができるなら、そ
の様に困る事も無かったのに・・と、
 そして、これは、誰でも思うことで、当然です。
 だから、「石をパンに変えて見よ」、そんなに奇蹟がで
きるなら・・になります。
 エジプト脱出の民が、「こんな事ならエジプトに残って
居ればよかった」などと、モーゼに不満を言ったが、そん
な不満も言わずに済んだのに・・と言うでしょう、
 しかし、この悪魔が言ったという言葉に、素直では無い
エスは、その質問に素直に答えない・・、
 誠実に答えないで・・「人の生くるはパンのみによるに
非(あら)ず」なんて言う。
 おいおい、エジプト脱出の時に、食べ物が無くて困って
いる人々にも、同じ事が言えるのかい・・となる、
 脱出行の民、女性や子供や病人の方にそんな事が言える
のでしょうか・・パンのみにあらず・・と、皆、当時は困
っていたのです。
 キリスト教聖職者は、悪魔の質問を巧みに答えていると
喝采(かっさい)しているが・・、
 これは悪魔ではないのです。
 キリスト教聖書では、悪魔とせざるを得なかったのです。
 実際は、エルサレムの人々です。
 そして、悪魔としたから、キリスト教徒の方々は聖書が
読めるのですが、この事を言った人は、真実は、エルサレ
ムの方々の声でした。
 そしてまた、実際、悪魔としているから変に聞こえます
が、イエスの意見と分かれて居た人々が、イエスに言った
言葉なのです、
 その様な人たちを、悪魔と虐(しいた)げて、蔑(さげ
す)んで言っただけの事です。
 あまりにも、イエスたちが、嘘の、「目に触れただけで
治したんだ」と言う嘘宣伝・プロパガンダをして、誠実で
ないので、エルサレムの人々が言ったまでの話。
 本当に、5000人の人の腹を一杯にしたのか?
 そしてまた、オーバーに言う、それでもまだ、食べるも
のは余(あま)っていた・・とかと、嘘宣伝・プロパガン
ダがひど過ぎます、目にあまっていた。
 だから、こんな逆の質問が出たのです。
 そして、イエスは言う、「主なる汝の神を試すべからず」
・・と。
 何てことを、エルサレムの方たちに言うのだろうか。
 神なんだから「試すべからず」、つまり、質問なんかす
るな・・と言う。
 当時のエルサレムの人々も、イエスの奇蹟話(きせきば
なし)には辟易(へきえき)していたのだろう。
 そんなに奇蹟、奇跡と言うなら、石をパンにしてみてく
れ・・と、庶民の方々の心からの叫びだった。
 キリスト教は、美しく、美しく言うが・・この庶民の方々
の叫びを、あまりに正しい正論だったので「悪魔の発言」
に仕立てたのである。
 あまりにも正しい正論を言う庶民の人に、イエスは、ま
ともに答えられなかった。「神を試すな」と言うしかなか
った。
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 そして、次の話。
 キリスト教の論理が破綻しているから、可哀想な面もあ
るのだが・・、
 キリスト教聖職者は、本当に都合よくものを言う。
 ならば、三位一体神なんていう神は、いらないことにな
ります・・と言えてしまうことを・・、
 目の前の話をまとめるために、すがり付くように言う。
 その話は、三位一体神などは、どこの神?という状態。
 三位一体神を脇に置いて話している。
 キリスト教聖職者は言う、「父なる神と言いますが、神
に性がある訳ではないので、何で、母なる神が居ないので
すかなどと聞かないで下さい、父親像を示していると考え
てみて下さい」・・と。
 「身近な父として呼び掛けただけ」・・だと。母ではな
い・・、
 そうであるならば、三位一体神だ、そして、イエスは、
三位一体神の位格の「子なる神」だ・・と、キリスト教
言わないこと・・、
 そして、この位格の神の中には「父なる神」もいます、
 「父なる神は位格です」。
 父なる神を格上げしないで・・、
 キリスト教が信仰対象としている三位一体神とは、決し
て違う。
 そして、キリスト教聖職者は、キリスト教には女性蔑視
の考え方があって、「母なる神」などとは言わないし、言
えない宗教なのです・・とは・・決して言えない。
 キリスト教の「主の祈り」は、「天にまします我らの父
よ」と言っている。
 これは、イエスが言っていた言葉で・・、
 これを使っているという事であるが・・、
 イエスは、ユダヤ教を信じていて、このイエスが祈って、
 発した祈りの言葉の「父なる神」は「ユダヤ教の神」で
ある。
 後に、位格の神となったイエス自身が祈った神は、自分
が位格の神となっている「三位一体神では決してない」。
 イエスが生きている時に祈った神は、決して、死後に位
格の神となった三位一体神ではない。
 キリスト教の神は、キリスト教が色々と変遷している中
に、宗教が漂い流れている・・その様な、無理な論理の中
を浮遊する話に包まれている・・その様な宗教。
 キリスト教を早く離れなさい。何ら、ためにもならない
話の中にしか居られません。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/