そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。

 題:そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教の十字軍も、
 キリスト教の酷(ひど)い嘘宣伝で、
 皆様は間違った印象・記憶をキリスト教にさせられています。
 キリスト教は、次の様に言った。
 「セルジュク・トルコが、聖地エルサレムへのキリスト教
の巡礼を迫害している」・・と。
 しかし、事実は違った。
 研究が進んで来た、今・現在、研究の結果では、まったくの
キリスト教の作り話で、嘘と分かった。
 当時のキリスト教教皇や聖職者たちが、自分たちだけの利
益を目的に、事を大げさに作り上げた話だった。
 この事で、なんと多くの人たちが死に、
 また、なんと多くの人たちが、人生を狂わされたかである。
 まったく『罪作りなキリスト教』である。
 「神、それを欲し給う」とキリスト教聖職者たちは煽(あお)
った。
 民を死地へ赴(おもむ)かせた。
 イスラム教側にとっては、このキリスト教の攻撃は、一方的
キリスト教の攻撃となり、
 イスラム教とキリスト教との無益な戦いが始まった。
 イスラム教側は、キリスト教側の攻撃の目的が分からない状
態であった。
 しかし、「ジハード(聖戦)」として戦った。
 キリスト教教皇の無益な欲望に酔った、ゴマスリ聖職者た
ちの「無益な戦争」は、200年も続いた(1096から1291年)。
 結果は、キリスト教側の目的は失敗に終わった。
 同じキリスト教である「キリスト教正教会」を攻撃するとか
滅茶苦茶だった。
 エルサレムの目的地に行ったのは1回だけのテイタラク
 十字軍の行軍する道は、略奪の強盗軍団だった。
 しかし、最大の不幸は、この事件を切っ掛けに、キリスト教
側とイスラム教側が憎み合う状態になってしまった事だった。
 この様な状況を作った長い年月の無益さを起こしたキリスト
教の罪は重い。
 イスラム教側は、キリスト教軍を「十字軍」と呼ばずに、た
だ、「フランク人」と呼んだ。
 そして、更に不幸な事は、この十字軍の無益な攻撃は、攻撃
目的の分からないイスラム教側に「ジハード(聖戦)」を持っ
スンニー派主義が生まれてしまった事だった。
 訳の分からないキリスト教側からの、何度も何度も繰り返さ
れる攻撃。
 イスラム教側の戦闘的な不寛容な派の誕生となった。
 それまでは、イスラム教は寛容さがあった。
 また、当時は、イスラム教側の方が学問的に、また、技術的
に進んでいた。
 キリスト教側は、「ガラス工芸技術」とか「砂糖生産技術」
とか医学などの知識を得た。
 なのに、キリスト教は、まったく逆のことを、得意のプロパ
ガンダ(嘘宣伝)で、
 イスラム教側は、野蛮で、無知・劣っていると嘘をついた。
 そしてまた、この様な、キリスト教が嘘をついた事例が、後
年まで、後々まで続く不幸を生んでいるということが分かった。
    (詳しくは、以下のブログへ)
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