イエスの救済・・当然、パウロとは違う。

題:イエスの救済・・当然、パウロとは違う。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教で、最初に書かれた聖書は、「マルコによる福音
書」である。
 紀元50年代に書かれ、70年代に全体がまとまった。
 因みに、それに続く「マタイによる福音書」は、「マルコに
よる福音書」を下敷きにして、紀元80〜85年代に書かれた。
 そして、同じく、「マタイによる福音書」を下敷きにした「ル
カによる福音書」が続き、「ヨハネによる福音書」へと続く。
 (注)このヨハネは、後述する「洗礼者ヨハネ」とは違う。
 このキリスト教の最初に書かれた福音書・「マルコによる福
音書」に、最初に書かれていることは・・・。
 イエス・キリストの事を記述したと言われるキリスト教聖書。
 この福音書における、記述の初めは、いきなり、イエスの洗
礼から始まる。
 イエスは、活動を開始するに際して、まず「洗礼者ヨハネ
の所へ行った。そして、彼から洗礼を受けた。
 30歳代、前半の歳だった。遅い活動開始だった。
 これ以前のことは、何も書かれていない。
 ・・・ということは、書く必要のない年月が流れたと、「少
なくとも」言える。イエスは、子供のころは優秀だったという
話はある。また、「洗礼者ヨハネ」は、イエスの従妹との話も
ある。
 洗礼者ヨハネと呼ばれる男は、当時、イエスに先駆けてパ
レスチナで「神の国運動家」として活動していた。
 彼は、イエスの親戚の中で、世間に知られている人だった。
 彼は、(「マタイによる福音書」3・4)によれば、
 「ラクダの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯を締め、
 イナゴとの蜜とを食物としていた」とある。
 洗礼者ヨハネも、イエス・キリストも、ユダヤ教の「エッセ
ネ派」という共通の背景があったと言われている。
 イエスは、ヨハネから洗礼を受け、一緒に「神の国運動」の
活動をした。
 当時、エルサレムには、この類いの活動家や預言者が、大勢
居て、公的な地位の預言者も居るくらいだった。
 しかし、そのほとんどが、エルサレムの傀儡(かいらい)政
権から取り締まられ、捕えられ、命を落とした。
 洗礼者ヨハネも捕えられ、殺された。
 イエスは、洗礼者ヨハネが殺されると、一人になっても彼と
の活動だった「神の国運動」を続けた。
 洗礼者ヨハネと同様に、「時が近づいている」、「歴史の終
わりの時だ」、「終末の時だ」・・と告げた。
 そして、「悔い改めよ」と人々に言った。
 「罪の許しを受けよ」・・と。
 そして、イエスは自分の活動も加えたりした。
 イエスが、洗礼者ヨハネの死後、彼の運動を継続したその内
容は、「赦し」と「救い」を中心にして、
 前記の様に「神の愛を信じて悔い改めよ」と強調した。
 イエスは、パウロの様な「救済」とは違った。
 イエスは、パウロの様な「十字架上の血の神への供犠(くぎ)」
ではなかった。
 そして、「復活」するという、
 強烈なユダヤ教徒だったパウロが採用するだろう、また発想
するだろう旧約聖書ユダヤ教正典)での救済とは、当然、イ
エスは違った。
 今、キリスト教は、「パウロキリスト教」と呼んでもよい
位のパウロ路線の教義となっている。
 また、現在、この様なパウロ路線を選択しているキリスト教
は、
 キリスト教の聖書に、
 路線が違った「最初に書かれた聖書・マルコによる福音書」が
最初の福音書だとはっきりしているのに、
 パルコ路線に合う「マタイによる福音書」が、
 さも、初めに書かれた聖書の様な順番で記載されているから
注意を。
 この様な事までするキリスト教
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術
的(じゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
 (参考)かい‐らい【傀儡】 自分の意志や主義を表さず、他
人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊。