オーストラリアにおける蛮行

 題 : オーストラリアにおけるキリスト教徒の蛮行

 18世紀、オーストラリア(シドニー湾)に上陸したキリスト
教徒のイギリス人は1200人で、すべてが囚人だった。
 この後、オーストラリアは、イギリスの政治犯やコソ泥など
の囚人が、宗主国イギリスの国から送られる流刑地としての歴
史が始まる。
 当時、オーストラリアには、先住民のアポリジニが、推定で
100万人が生活していた。
 しかし、南米・中米・北米メキシコ、および、それらの離島
で繰り広げられたキリスト教徒スペイン人と同行したキリスト
教聖職者等による殺戮・全滅の愚行と同様なことを、この地・
オーストラリアにおいてもキリスト教徒イギリス人は行なう。
 100万人が居ただろうという先住民アポリジニは、またたく
間の内に、このキリスト教徒イギリス人に虐殺され、駆逐され
てしまった。
 狩猟でもやる様にアポリジニは撃たれ、殺されていった。
 先住民アポリジニは4万年前、一説で6万年前から住んで先住
権があったが、まったく無視され、先祖代々の土地は奪われ
た。
 キリスト教は、アフリカ黒人を「人とは見ない」というキリ
スト教聖職者の言葉が残されているが、キリスト教の判断基準
・教義からこのオーストラリアのアポリジニの人権も無視され
た。
 今、約1900万人の人口のオーストラリア。
 その95パーセントはアングロサクソン(コーカシアン)で、
アポリジニはその中の1パーセント(19万人)にも満たない。
 3分の2のアポリジニは、当時、殺戮された。
 今、彼等は、不毛の砂漠地帯に追いやられている。
 環境の悪さから、平均寿命が白人より20歳も少ない50歳であ
り、失業率も白人の4倍以上と悲惨な状況となっている。
  (参考:「日本を捨てて、日本を知った」林秀彦著)