(増補版)504E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年12月〜1889年12月)

題:(増補版)504E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年12月〜1889年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1889年1月10日、象牙海岸コートジボワール)がフランス
 の保護国となる。
  英語圏のIvory Coast・・Ivory(象牙) Coast(海岸)
 の意味であるが、
  1985年に、フランコフォニー国際機関が、フランス語
 の国名"Côte d'Ivoire"を意訳しないよう求める決議を行
 い、
  翌・1986年から政府が意訳による外名の使用取りやめ
 とフランス語国名の採用を各国に要請している。
  日本では、コートジボワール政府から外名変更を要請
 された1986年以降、外務省大臣官房総務課が内規として
 定める『国名表』で「象牙海岸」に加え「コートジボワ
 ール」も選択表記と言う形で公文書への使用が可とされ
 た。
  これを受けて外務省編集の(財)世界の動き社『世界
 の国一覧表』が「象牙海岸」から「コートジボワール
 に表記を変更し、日本郵便の宛先表記やNHKを始めとす
 るマスメディア各社、民間の書籍でも「コートジボワー
 ル」が使用されるようになっている。
  歴史的には、15世紀に、ポルトガル、イギリス、オラ
 ンダなどヨーロッパの貿易船が、奴隷と象牙の売買に来
 航した。
  黄金海岸胡椒海岸穀物海岸)、奴隷海岸などとと
 もに、この地には象牙の海岸(Côte d'Ivoire)という名
 が付けられた。
  17世紀半ばに、フランスが西アフリカ経営に乗り出し
 た。
1889年2月17日、セザール・フランク交響曲の初演(パリ音
 楽院)
  交響曲ニ短調(作品48)は、フランスの作曲家セザー
 ル・フランクが作曲した交響曲で、
  フランスにおけるこのジャンルを代表曲と言われ、
  19世紀後半における最も重要な交響曲のひとつとして
 高く評価される。
  https://www.youtube.com/watch?v=HKVIMy1y7Iw
1889年5月6日、第4回パリ万国博覧会が開催された(〜1889
 年10月31日)
  1889年3月31日、パリのシャン・ド・マルスの広場に立
   つ鉄塔「エッフェル塔」の落成式が行なわれた。
    第4回パリ万国博覧会にあわせて建設され、フラ
   ンス人技師エッフェルが設計した。
   基部を含める高さは、312.3メートルで、世界一高
   い建造物だった。
    展望台は3つで、高さは57.6m、115.7m、276.1
   mにある。
    第2展望台までは、階段でも昇ることが可能で、
  1889年 5月15日、エッフェル塔が一般に公開された。
   (開場5月6日説あり)
  1889年 5月26日、エッフェル塔のエレベーターが運行
   開始した。
1889年6月3日、カナダ太平洋鉄道が、太平洋〜大西洋間で
 全通した。
  およそ14,000マイル(約22,500キロメートル)におよ
 ぶ路線網が、カナダ中、そして、アメリカ合衆国内に開
 通している。
  岩盤を通してトンネルを建設するために爆発物を扱う
 など、危険な建設作業も多かった。
  しかし、建設作業で亡くなった人の遺族には、一切の
 補償がないばかりか、死亡通知すら送らないこともあっ
 た。
  中国人と契約を結んだ業者(その業者を許可したカナ
 ダ政府)は、自身の責任としての責任を果たさなかった。
  中国への帰還を約束していたにもかかわらず、建設作
 業を無事に終えて、生き延びた人々の中に、中国に帰る
 のに必要な金さえ持っていない者も多いという、劣悪な
 作業環境だった(奴隷と同じような状態)。
  多くの者たちは、人里をかけ離れた土地で、お金も使
 う所のない所で、この劣悪な賃金の中に置かれた。
  そして、しばしば、貧困のうちに、年月を過ごさなけ
 ればならなかった。
  中国の方たちは、とてもよく働き、鉄道の西側区間
 建設するのに重要な役割を果たした。
  わずか12歳の少年すら、給仕として働いていた。
  2006年、カナダ政府は、中国系カナダ人の方たちに対
 して、カナダ太平洋鉄道の建設中、および、建設後の中
 国人に対する人種差別などの扱いについて、多々あった
 不都合・卑劣な行為を『公式に謝罪した』。
  また、1885年3月〜5月には、インディアンの方々が、
 ノースウェストの抵抗行動を起こした(北西部サスカチ
 ュワン河流域を舞台にした叛乱)
  (カナダでは卑劣にも反乱という言葉を使っている・・)
  土地所有権上の問題で・・、
  また、インディアンの方々にとって大切な食料のバッ
 ファロー絶滅行為に対しての抗議行動だった。
  バッファローを必要もないのに、不要に殺戮して、イ
 ンディアンの方々を餓死に至らしめようという卑劣な行
 為で、
  インディアンの方々の生存を脅かす大問題を、常識で
 してはいけないと・・分かる様な卑劣な行為を・・カナ
 ダは起こしていた。
  インディアンの方々の窮状を訴える請願(願い出る行
 為)も、カナダ政府は無視した。
  逆に・・カナダ政府は・・F・Dミドルトン将軍の7000
 人の軍隊を派遣し・・武力によって鎮圧(5月15日に降伏)
 した。
  『欲の塊』の白人政府は・・この後に、東部カナダを
 イギリス系とフランス系両勢力の、政治闘争の場と化せ
 しめた。
1889年7月14日、第二インターナショナルが、パリで結成さ
 れた(〜1914年)
  各国の社会主義政党・労働組織などが参加し、ドイツ
 社会民主党が中心であった。
  第1次世界大戦の際、愛国主義階級闘争理論を圧倒し
 たため分解した。
1889年10月6日、パリで、ムーラン・ルージュが開業した。
  フランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレー。
  フランス語で「赤い風車」という意味で、実際に屋根
 の上に赤い風車がある。
  歌やダンス、フレンチカンカン、大道芸を組み合わせ
 たショーで有名。
  また、画家のロートレックがここに通いつめ、踊り子
 たちをモデルに数々のポスターを描いた。
  第一次世界大戦第二次世界大戦下でも営業を続け、
  第二次世界大戦中、パリがドイツ軍の占領された時に
 も営業し、多くのドイツ軍将兵でにぎわった。
  ここで活躍した著名なミュージシャンは、エルビス
 プレスリーフランク・シナトラなど・・多数いる。
  現在もパリを代表する観光スポット。
  1日に2回のショーがあり、19時(ディナー付)と、
  21時(19時の回のディナーが終わったころに入場し、19
 時からいる人と一緒にショーを楽しむ。ドリンク付)、
  23時(ドリンク付)が開演時間。
  約840名を収容できる。
1889年11月20日グスタフ・マーラー交響曲第1番(初稿が
 )初演された(ハンガリー国立歌劇場)
  交響曲第1番ニ長調は、グスタフ・マーラー(オースト
 リアに生まれる)が作曲した最初の交響曲
  1889年11月20日に、マーラー自身の指揮、ブダペスト
 フィルハーモニー交響楽団によって初演。
  しかし、成功しなかった。
  「ブダペスト稿」とも呼ばれるこの稿は、現在は失わ
 れている。
  当初、マーラーはこの曲を交響曲でなく、「交響詩
 と呼んでいた。
  全体は2部構成、5楽章からなり、第1楽章と第2楽章を
 第1部として「若人、美徳、結実、苦悩のことなどの日
 から」、第3楽章以下を第2部として「人間喜劇」という
 標題が付けられていた。
  https://www.youtube.com/watch?v=4R0g5gez1oE
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  (今日の言葉)
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  題:一極支配をしたいと、歴史上、何度もなされたが・・一度も、一極支配は実現しなかった・・
    世界制覇をしたいという、強者の・・人間の欲は・・歴史上・・実現したためしはなかった・・
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紀元前5億4000万年〜紀元前4億5000万年、全ゲノム重複
  この頃に、全ゲノム重複が起きた。
  「2R仮説」「大野仮説」と呼ばれるゲノミクス、およ
 び、分子進化上の説であり・・、
  脊椎動物では、進化の初期段階で、全ゲノムの重複が
 1回以上起こり、その結果、その後の脊椎動物ゲノムは、
 始原ゲノムの多倍数体となっていると考える説(全ゲノ
 ム重複)
  人類は、進化の過程で、この様な全ゲノム重複を起こ
 した。
  何らかの原因で、魚類以上の脊椎動物で、染色体が倍
 加したという説・・、
  すべてが・・一斉に、卵精子が倍数化した。
  半世紀前に・・日本人によって説明された説で、日本
 人には、比較的自然に受け入れた・・が・・、
  外国で認められたのは、2000年頃という最近になって
 から・・、
  多くの魚類のゲノム解析が進んで、多くの遺伝子が重
 複していることが発見された。
  日本で、自然に受け入れられた理由は、キンギョ(マブ
 ナ=ギンブナ)には,2倍体、3倍体、4倍体が存在する。
  魚類に、そのような倍数体が普通に存在することは、
 日本では、よく知られていた。
  染色体が、倍になり、倍数化が起こると、一セットの
 遺伝子は使用されない。
  その使用されない遺伝子に、突然変異が蓄積して行き、
 やがて、新しい遺伝子として機能し始め、多様な遺伝子
 を獲得したという考え方・・、
  この説は、1990年代になって、改めて、研究者の興味
 を引き、
  最近になって・・重複の時期、および、回数について、
 示唆を与える研究結果が見られはじめている。
  木村資生氏などの、世界が認める日本の遺伝学者の多
 くは,大野の仮説を支持した。  
  国立遺伝学研究所のホームページにも・・、
  素晴らしい報告が記されていた・・以下に記すと・・、
  さまざまな生物の全ゲノム解読は、全遺伝子の解明を
 通じて、広く生命科学に寄与するとともに、
  生物進化の研究に多くの知見をもたらしてきました。
  多くの動物は、父方と母方からの同一のゲノムをもつ
 「二倍体」ですが、アフリカツメガエルは、異種交配と
 全ゲノム重複により一つの生物の中に異なる2種類のゲ
 ノムをもった「異質四倍体」とされていました。
  そのため、非常に有用なモデル生物であるにもかかわ
 らず、全ゲノム解読が非常に困難と諦められ、主要モデ
 ル生物の中で唯一行われていませんでした。
  しかし、日本とアメリカを中心とする国際コンソーシ
 アムは、アフリカツメガエルの全ゲノム解読に挑み、見
 事その全貌を明らかにしました。
  得られた情報は、今後、生物学から医学に至るさまざ
 まな研究分野に大きく貢献すると期待できます。
  加えて、アフリカツメガエルのゲノムの中にある2種類
 のゲノム(サブゲノム)が、別々の染色体のセットに分
 かれて存在するという重要な発見をしました。
  それにより、このカエルは、約1800万年前に、2つの種
 が異種交配と全ゲノム重複を起こして誕生した異質四倍
 体であること、その後、2つのサブゲノムが一つの生物の
 中で異なる進化を辿ったことが明確に示されました。
  今日の地球上には、実に多様な種類の脊椎動物が生息
 し繁栄していますが、その最大の要因と考えられるのが
 約5億年前の古生代カンブリア紀に起きたとされる「2回
 の全ゲノム重複」です。
  その謎を解くための重要な鍵、いわゆるロゼッタスト
 ーンとしてアフリカツメガエルのサブゲノムの進化の仕
 組みが役立つことになります。
  これは、生命科学における画期的な成果です。
  国立遺伝学研究所 先端ゲノミクス推進センター・生命
 情報研究センター比較ゲノム解析研究室の藤山秋佐夫・
 豊田敦グループは、本国際プロジェクトにおいて、
  当初から共同研究を推進し、BAC、fosmidライブラリの
 構築と両端および全長配列決定、ゲノムブラウザ構築、
 および、提供による国内における情報共有、FISH用BAC、
 fosmidクローンの調製、RNA-seq解析など多岐にわたる
 過程で本プロジェクトに貢献しました。
  また、本プロジェクトは、主に科研費新学術研究「ゲ
 ノム支援」(国立遺伝学研究所東京大学、国立成育医
 療研究センター)、科研費・基盤(A、B、C)による支援
 のもとで進められました。
  ・・以上・・
 「キリスト教の神の創造説は完全にこの説でも破綻した」
.
16世紀、ハプスブルグ王朝は、この頃、スペイン、オース
 トリア、オランダ、フランス(一部)、イタリア(一部)
 を支配していた。
  この頃のヨーロッパの4分の1を支配下に置いていた。
  これに対し、オランダが反乱を起こし、反抗した。
  この反乱を、イギリス、フランス、トルコ、ドイツが
 助けた。
  ハプスブルグ王朝のヨーロッパの『一極覇権の確立』
 はうまく行かなかった。
  この例の様に・・世界史上で、一極支配が確立したこ
 とはない。
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1643年、フランスの「太陽王」と言われたルイ十四世が、
 絶対君主の座についた(在位1643年〜1715年)
  この時のフランスの国力は、イギリスの4倍あった。
  ルイ十四世は、ヨーロッパの覇権獲得を目指したが、
 イギリス、ドイツ諸侯国、スエーデン、オランダなどが
 連合して、このフランスに対抗した。
  フランスによる『一極支配は、確立しなかった』。
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1871年プロシア(後のドイツ)のビスマルクが、宰相の
 地位に就いた(任期:1871年〜1890年)
  鉄血宰相と言われたビスマルクは、ドイツを世界一の
 陸軍国にした。
  また、ドイツ工業力も、世界第二位に躍進させた。
  ビスマルクは、腰の低い、タフで、巧妙な外交政策
 行ない「リアリスト外交の天才」と言われた。
  ビスマルクは、ドイツの国力を飛躍的に向上させなが
 ら、周囲の諸大国が、「対ドイツ包囲網」を作る事を阻
 止した。
  抜群なバランス感覚で、タフと、謙虚さで、また、周
 辺諸国のブライドや嫉妬、そして、猜疑心に気配りを行
 なう「外交の達人」だった。
  ビスマルクは、「勢力圏を一方的に拡張しようとする
 外交政策は、短期的に成功しているように見えても、
  長期的には真の国益にならない」・・ということを、
 熟知していた。
  今・現在のアメリカの強権の一極支配的行動も・・結
 局・・敵を作る行動となっていて・・長期的に、アメリ
 カの為にもなっていない・・
  アメリカは、これを知るべきである・・
  そして、その道を・・今・現在・・中国も・・その道
 を進んでいる・・
.
1888年、ウィルヘルム二世が、この年、前王が亡くなると、
 ドイツ国王の座についた。
  前の国王・ウィルヘルム一世は、ビスマルクを重用し
 たが、若いこの王は、ビスマルクの良さを理解できなく
 て、ビスマルクの地位を剥奪(はくだつ)した。
  ウィルヘルム二世は、周囲の媚びへつらいに乗って、
 「歴史に残る英傑王になる」ことを目指した。
  ウィルヘルム二世の外交は、「大国ドイツの覇権外交」
 となった。
  この結果、ドイツの周辺国のロシア、フランス、イギ
 リスは敵国の様に挑発外交を進めた。
  そして、この行動が、第一次世界大戦へつながって行
 く。
  若い王の浅薄な夢・一極支配は・・結局・・戦争とな
 った
.
1991年、ソ連が崩壊し消滅した。
  「アメリカだけの一極」の世界となった。
  それは、相手の消滅による一極の出現であった。
  ソ連の消滅を・・世界はびっくりした。
  アメリカ政府は、「世界を一極化して、アメリカだけ
 が世界覇権を握る」という『一極覇権戦略』を実行して
 行こうとした。
  日本は、アメリカによる一極支配の時代だと「対米依
 存を続けていれば安泰だ」となった。
  安易なバンドワゴンを追従した。
  国際政治学者たちは、見抜いていた。
  「アメリカの一極支配など、短期間で終わる」と・・、
  「21世紀の国際構造は、必ず、多極化して行く」と・・、
  そして、実際、その通りに、アメリカの国際政治指導
 力は、次第に弱体化して行った。
  しかし、アメリカ首脳部は、『一極化したい』と、ブ
 ッシュ大統領(父)が、「NATOを東に拡張しない」
 と、
  ロシア政府に「何度も約束していたにもかかわらず」、
 その約束を破って・・NATOを東方に拡張し、
  「ロシア包囲網」を形成して行った。
  (ブッシュという大統領の親子は、キリスト教の体質
 が染みついていた大統領で・・この様な裏切り行為をよ
 くしていた)
  当然、米ロ関係は悪化した。
  また、クリントン政権(ルービン財務長官とサマーズ
 財務長官)は、アメリカとイスラエルの金融業者に、ロ
 シアで一攫千金の荒稼ぎをさせた。
  さらに、クリントン政権のペリー国防長官らは、「中
 国の大軍拡と人権弾圧政策を容認する」政策をとった。
  (今、その反動を受けている)
  そして、日本の『自主防衛政策を阻止する』という政
 策をとった。
  クリントン政権は、1996年に、「北朝鮮が濃縮ウラニ
 ウム生産のための活動を始めた」という重大情報を得て
 いたが・・、
  『同盟国の日本には秘密にした』・・日本に隠した。
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2017年3月、中国のマンション建設(過激な供給過剰状態)
  中国国内には、34億人分のマンションが建設済みだと
 いう。
  当然、中国の人口(14億人)を上回っているこのマン
 ションの建設の実態に於いて、空き室ばかりのマンショ
 ンが、街中にスラリと並んでいる。
  中国は、この様な「架空の需要」を作り出している。
  この様な事は、共産圏国家ゆえに、国策として、国と
 して「箱モノづくり」をしている。
  これらのマンションは、何もしなければ朽ちて行く・・
  そして、無価値なものとなり・・借金だけが残る・・、
  この様な状況で、経済の回転がうまくいくのか?・・
  うまく行くはずがない・・、
  早晩、破綻する時が来るのは必定・・、
  すでに・・「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、
 2014年4月16日の記事で・・
  この中国の異常を伝えていた・・、
  「中国の住宅供給過剰・・小規模都市で深刻化」との
 表題で・・すでに、中国の住宅受給の危うさ、異常さを
 伝えていた。
  不動産の異常さについては、かつて、日本でもあった。
  1990年9月の日本の地価は、ピークに達した。
  数字上では、東京都の地価が、米国全土の地価と同等
 になった・・帳簿上の話である・・、
  また、中国の国内総生産(GDP)は、このマンショ
 ン建設の例の様に「架空の需要」によって生産が行われ
 ている。
  それ故、中国のGDPも作られた数字となっている。
  その様な・・架空の話で・・中国経済が回転している・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive