(増補版)703E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年9月~1898年9月)

題:(増補版)703E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年9月~1898年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なものにする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆様の、そして、
  人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切なこと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・だからこそ、
  正しいことを言って正しい関係を作らなければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはならない・・正しい
  ことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解することにつとめなけ
  ればならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならない・・民の選択
  を受けない指導者たち・・民主化が達成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
 ☆声を上げ続けることで社会は変えられる。
 ☆NHKは国を守る大事さを放送しない放送局。
  愛する人たちを守る話を放送しない放送局=NHK。
 ☆1264年、モンゴルの元に襲われてアイヌが日本に逃げて来た・・『北
  の元寇』と言われる元に追われたアイヌの日本への逃亡移住・・当然、
  日本の先住民ではない・・
  しかし、アイヌを先住民と書く法律が日本にある・・
 ☆世界の若者たちよ!、世界の不正に対してインターネットなどで正義
  の声を上げよう!
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1898年9月10日、オーストリア皇后のエリーザベトが暗殺された。
  エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバ
 ッハ(1837年12月24日~1898年9月10日)は、オーストリアハンガリー
 帝国の皇帝(兼、国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。
  「シシィ」が愛称・・ドイツ語表記ではエリーザベトが正しいが、日
 本ではエリザベートとも表記される。
  在位:1854年4月24日~1898年9月10日
  戴冠:1867年6月8日
  別称号:バイエルン女公爵
  バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マク
 シミリアンとバイエルン王女ルドヴィカの次女として生まれた。
  (参考)バイエルン:ドイツ南部にある地域。
      バイエルン王国:1806年~1918年まで存在したドイツの王国。
  幼少の頃、父・マクシミリアンと共に街に出かけて、チターを演奏し、
 奏者に扮した父の傍らでチップを貰う少女に扮した・・
  もちろん住民の人たちは、王家に連なる極めて身分の高い公爵と公女
 であると知っていたが、知らぬそぶりで歓迎した・・
  また、狩りに行くなどして、王位継承権からは遠く、公務とは無縁で
 あった・・自由を満喫していた・・
  しかし、この様な彼女・シシィは、1854年4月、16歳で結婚、オースト
 リア皇后となった・・が・・
  1898年9月、旅行中のスイスのジュネーヴレマン湖のほとりで、イタ
 リア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のよ
 うなヤスリで、心臓を刺され、殺害されてしまった・・
  その生涯を閉じ、スイスは、世界中から怒りを買った・・
  女王が刺されたのはレマン湖の蒸気船に乗ろうとした時だった・・
  女王は即死ではなく、静かに地面に崩れ、近くの者が体を支えた・・
  女王は助けてくれた者に礼を言い、すぐに立ち上がる・・そのまま
 10分ほど歩き、船に乗る・・
  この時、女王はろっ骨を砕かれ、8.5cmの深さで心臓に傷は到達
 していた・・
  傷が細いため出血は抑えられていた・・女官は「皇后陛下、ホテルに
 戻られた方がよいのではありませんか?」と・・すると女王は「いえ、
 何でもありませんよ。男に刺されたのは胸のあたりだけです。私の時計
 を狙っていたのでしょう」と言われた・・
  ブタペストの国立博物館に、その時、女王が着られていた服が展示さ
 れているが、刺し傷が細いためか、その穴はほとんど見ることが出来な
 い・・
  女王は蒸気船に乗って、その後、女王が意識を失ったので、慌てて女
 官が服をゆるめ、そこで初めて血がにじんでいることを発見した・・
  身分を明かして医師を呼んだ・・船は岸に戻り、女王をホテルへ・・
  女王の最後の言葉は、船で「私に何が起きてしまったの?」だった・・
  逃げる男は、馬車の御者二人に追われ取り押さえられた・・
  警察に自分はアナーキストであると告げ、アナーキストの義務感から
 の行為だと言い、ブルジョア層との不平等も無くなると言った・・
  皇后は、必死の医師たちの救命処置を受けた・・皇后は意識を失って
 いた・・宿泊先のホテルの部屋に運ばれたあと、まもなく息を引き取っ
 た・・
  この頃、度々、欧州の王族に対する暗殺が起きるという状況で、世界
 を震撼とさせていた・・
  スペイン王、イタリア王、ドイツのヴィルヘルム皇帝(負傷)、ロシ
 アのアレキサンドル2世・・
  アナーキストの矛先は、政治家、裁判官、検察官へも向けられていた・・
  フランス大統領暗殺、イタリア首相暗殺未遂、スペイン首相暗殺未遂・・
  皇后へ最後の賛辞を贈るため、政治家と外交官は棺が安置されたホテ
 ル・ボーリヴァージュへと急いだ・・
  当時、ヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、
 ウエスト51センチで体重は生涯43〜47キロという驚異の体形の持ち主だ
 った・・
  しかし、年を取るにつれて皺とシミだらけになった顔を分厚い黒のベ
 ールと革製の高価な扇や日傘で隠すようになり、それが彼女の晩年の立
 ち居振る舞いを表す姿として伝説となった・・
  また、彼女の最大の悲劇は、1889年、息子ルドルフ皇太子の自殺であ
 った・・
  暗殺説もあったが、のちに、自殺の根拠の遺書が発見された・・
  エリーザベトの贅沢ぶりは凄まじく、宝石・ドレス・名馬の購入、若
 さと美しさを保つための桁外れの美容への出費・・
  また、ギリシアのコルフ島に絢爛豪華な城「アキレイオン」の建設・・
  彼女個人、あるいは、皇室の所有するあらゆる宮殿・城・別荘の増改
 築、彼女専用の贅を尽くした船や列車を利用しての豪華旅行などを税金
 で行っていた・・
  だが、生来の気まぐれな性質から一箇所にとどまることができず、乗
 馬や巨費を投じて建てたアキレイオンなどにもすぐに飽きてしまった・・
  皇后でありながら君主制を否定した「進歩的な女性」と評されること
 もあるエリーザベトだった・・が、一方で尊大、傲慢、狭量かつ権威主
 義的であるのみならず、皇后・妻・母としての役目は全て放棄し、かつ、
 拒否しながら・・その特権のみ、ほしいままに享受し続け、皇后として
 の莫大な資産によってヨーロッパ・北アフリカ各地を旅行したり、法外
 な額の買い物をしたりするなど、自己中心的で傍若無人な振る舞いが非
 常に多かったとされる・・
  ただ、ハンガリーの統治に関しては、非常な関心と情熱を傾けたため、
 過去に近隣の大国に翻弄され、分割・被支配とさまざまな苦難の歴史を
 たどって来ていたハンガリーが、現在、平和な独立国家となった礎を築
 いた人物として、今もハンガリーの人々には慕われている。
  そして、彼女が嫌ったウィーンにおいても、観光のシンボルとして肖
 像画を見ることができる。
  犯人・ルキーニは、1873年、パリでイタリア人の母から私生児として
 生まれ・・北イタリアの孤児院で育った・・
  その後、養父母を転々とし、たった二年間通った学校も、庭師や下男
 の仕事と掛け持ちし、国からの養育費や稼ぎは、養父母に渡っていた。
  10歳で学校を去って、石工の下で働き、16歳で独り立ちし、鉄道工夫、
 港湾労働者、道路工事などの仕事をしつつ、その日暮らしが続いた・・
  少しでもましな仕事を、条件の良い仕事を求めて、裸足同然でアルプ
 スを超えてスイスへ・・そして、オーストリアへ・・ハンガリーへと仕
 事を求めて、捜し行き、二年間、各地を転々とした・・
  戦争にも参加し、無政府主義の思想にも触れ、社会の見方も変わり、
 兵役後、軍隊時代の上司だったイタリア貴族の召使となった・・
  ここで貴族階級の豪華な快適な暮らしぶりを見た・・
  暗殺までの半年間、ルキーニは、また、アルプスを越え、スイスへ、
 工事夫などの仕事を転々とした・・
  この頃、世界中でアナーキズム運動が台頭していた・・多くの国家元
 首に対して暗殺がくわだてられていた・・
  この流れにルキーニも入って行った・・
  ルキーニのターゲットは、最初、労働者蜂起を激しく鎮圧していたイ
 タリア王・ウンベルト一世だった・・
  運悪く、こんなルキーニの居るジュネーブへシシィは行ってしまった・・
  そのことをルキーニが知った・・
  ホテルを偵察した・・ボーイが荷物を船に積むところを目撃した・・
  待ち伏せした・・そして、事件は起きた・・
  ルキーニは死刑を希望した・・死刑のある州へ移送された・・が、終
 身刑となった・・
  このルキーニの犯行までの経過が、事の成り行きではなく、組織の手
 引きだとする説もある・・
  逮捕から11年後の、1910年10月19日、独房内で、ルキーニは首をつっ
 て自殺をはかった・・
  彼の遺体はホルマリン漬けにされ、「狂人の塔」と名付けられた精神
 病棟へ、そして、解剖病理学博物館で保管された・・
  ・・が・・2000年・・ウィーン中央墓地の解剖者墓地に埋葬された。
  このジュネーブでの暗殺事件後、この暗殺の年に、ローマで「国際反
 政府主義会議」が開催され、21か国が参加し、再発を防ぐための討議
 がなされた・・
  監視、取り締まりのための「国際刑事警察機構」の結成の最初のきっ
 かけにもなった。
  女王の愛したモンブランが見えるレマン湖には、事件があったことを
 知らせるプレートがある・・
  この様な被害に会った女王と、恵まれない生い立ちと共にあった労働
 者の加害者の出来事が知らさている・・
  死に至った被害者・女王と、牢獄内に生きたが、自ら命を絶つ行為を
 するに至った加害者・・二人の死を知らせている・・
  (参考)夫のフランツ・ヨーゼフ1世:(1830年8月18日~1916年11月
     21日)、オーストリア皇帝(在位:1848年~1916年)
      ハンガリー国王などを兼ねた。
      全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク
     =ロートリンゲン
      68年に及ぶ長い在位と、国民からの絶大な敬愛から、オース
     トリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも
     称された。
      晩年は「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在・・
      3月革命によって伯父のオーストリア皇帝フェルディナント1
     世が退位したため、18歳の若さで即位する。
      ヨーゼフ1世は、君主は神によって国家の統治権を委ねられた
     とする王権神授説を固く信じて疑わない人物であり、自由主義
     国民主義の動きを抑圧した。
      イタリア統一戦争に敗北、北イタリアの帝国領を失う・・
      また、ドイツのビスマルクの罠にかかり、また、1866年の普
     墺戦争では消極的作戦で大敗する・・首都ウィーンに迫られ不
     利な講和をする・・
      また、やむなく1861年に二月勅許をする・・自由主義的改革
     を一部認める・・
      また、1867年にはハンガリー人と妥協し・・オーストリア
     国領とハンガリー王国領とを分割・・
      第一次世界大戦の勃発にもからむ王・・
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1898年9月13日、「線路保安方及非常警戒心得概要ノ件」を通達(鉄工第1958
 号)
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1898年9月14日、フィリピン奠都・・アメリカ軍が迫り、マロロスに首都
 を移転した。
  マロロスは、今、フィリピン・ルソン島中部のカサブランカ州・・
  1899年~1901年まで、フィリピン第一共和国の首都・・
  (参考)フィリピン第一共和国:1899年1月21日、ブラカン州マロロス
     市で宣言された『マロロス憲法』によって公式に設立し、1901
     年3月23日に、イサベラ州パラナン市でエミリオ・アギナルド
     アメリカ軍に拘束され、事実上解体されるまでの期間に正式に
     存在したフィリピン政府。
      当時の正式名称の訳語は「フィリピン共和国」であり、政府、
     および、議会の所在地にちなむ「マロロス共和国」という通称
     も世界に公式に知られている。
      1898年6月12日、フィリピン独立宣言がなされ、6月23日に、
     フィリピン大統領エミリオ・アギナルドを首班とする革命政権
     が独裁支配に取って代わった。
      1899年、アメリカ合衆国は、一方的に不法にフィリピン共和
     国を廃した・・そして、1946年に、独立を付与するまで占領し
     た。
      この様な事態を解放した日本・・第二次世界大戦中の1943年
     から1945年にかけて、日本軍は、強い影響下にあったアメリ
     からフィリピンを解放した・・フィリピン第二共和国としての
     再独立を支援した。
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1898年9月15日、マロロス議会が開会された。
  ペドロ・A・パテルノを議長に選出した。
  1899年にフィリピンで最初の憲法・・正式名称はフィリピン共和国
 法が制定された。
  フィリピンにおいて、すでに、1896年8月からスペインの植民地支配を
 打倒する独立革命が開始されていた・・
  アギナルドを大統領とする革命政府は、1898年9月のこの時、ルソン島
 中部のブラカン州マロロス町で革命議会(通称:マロロス議会)を開催し、
 アメリカの帝国主義的な横暴行為に対抗した。
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1898年9月16日、関西鉄道の木津駅~新木津駅間が開通した。
  加茂駅~新木津駅間、加茂駅~奈良駅間の開通に伴い、1934年1月、木
 津駅~新木津駅間の使用を休止した。
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1898年9月16日、アメリカの25代大統領のマッキンリーは、フィリピンの領
 有が、「アメリカの当然の正義の行動だった」ことを世界に認めてもら
 いたいため、声明を発した。
  心の底では、世界が思っている様に、「アメリカは不正義だ」の心情
 があったから、この様な声明を発する必要性を感じた・・
  マッキンリーの言い訳は、それは「商業的機会だったので無視できな
 かった」と言った・・
  また、「アメリカの貿易を『合法的なあらゆる手段を利用』して拡大
 するのだ」と言った・・
  そして、マッキンリー・アメリカ大統領は、「(アメリカは)他国の
 様にアジアにおいて権益を求めるものではない」と、暗に、イギリスを
 筆頭として、フランス、オランダなどが、陰湿に権益を求めて悪どい行
 為をアジアで行なっているのとは違うのだと言った・・そして、批判し
 た。
  そして、マッキンリー大統領は、「(アメリカは)門戸開放を求める」
 と言った・・そして、「(アメリカは)他国にも門戸を開放する用意が
 ある」と言った。
  しかし、アメリカは、心底では、「アメリカは、アメリカ国民を喜ば
 す事だけをやっている・・武力を使って、勝者として求めている」とい
 う世界からの批判を恐れていた。
  まさしく、誰が見てもその行為をやっていた・・だが、アメリカは、
 その見方を否定したかった。
  そして、世界を欺(あざむ)くように、「アメリカは領土的野心を否
 定し、道徳的責任を持つ」と言った・・
  「これが重要なのだ」とも言った。
  しかし、アメリカがやって行く事は、まさしく、この行為だった・・
 すぐに、アメリカの本心が、世界に露呈した。
  1898年12月10日、アメリカは、この日に、スペインとパリ条約を締結
 した。
  そして、このパリ協定を行なったことによって、アメリカは、合法的
 にフィリピンの主権が、「アメリカへ移る行動が行なわれた」と自己満
 足的に納得した。
  そして、フィリピンが、アメリカのものとなったとして、世界にアッ
 ピールした。
  「アメリカは領土的野心がない」と言った舌の根が乾かぬ間に・・と
 いう感じだった。
  「主権が移る」とアメリカ大統領は言った・・「これは友愛的同化だ」
 と・・
  この後、この「友愛的同化」が、フィリピン支配のスローガンとなる。
  しかし、このスローガンによる行動によって、多くの死がフィリピン
 の方々へ降りかかる。
  因みに、友愛の意味は、「友人に対する親しみの情」とある・・が・・
  そしてさらに、1899年1月4日に、アメリカ高官は、「アメリカの使命
 は、友愛的同化であることを証明する事だ」と言った。
  あまりにも、このスローガンの友愛的同化が、自分に都合よく筋書き
 を作って行っているということに対し、アメリカは、厚顔無恥に、そう
 であることをアメリカは証明して行くと、そのあまりにも都合よく言っ
 ていることを、このアメリカ高官は上塗り発言した。
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1898年頃、この年の頃から、アメリカは、日本を警戒し始めた。
  そして、日露戦争の時までは、アメリカは、日本寄りに居たが・・
  日露戦争終結は、アメリカの仲介が関係してできたが・・
  いつの頃から、アメリカは、「日本潰しのアメリカ」となったのか?
  櫻井よしこ氏は、「日清戦争日露戦争の中間で、1898年の米西戦争
 の後だ」と言われる。
  「アメリカのその様な気持ちが、日露戦争の日本勝利で、一層強まっ
 た」と言われる。
  ルーズベルト大統領は、ロシアを破った日本を小さいながら注意しな
 ければならない国だと思いはじめた。
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1898年、アメリカのウィリアム・マッキンリー大統領の元で、国務長官
 ったジョン・ヘイは、短期間で大きな収穫をあげた米西戦争を「すばら
 しい小さな戦争だ」と言った・・商売感覚で戦争を語った・・
  自分の持つ巨大な武力で、弱い者いじめで奪った事を何とも思ってい
 なかった。
  キリスト教の「有色人種への蔑視観」と「免罪符の嘘」と「金で解決
 する自分さえよければ良い」の教義そのものだった。
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1898年9月19日、ファショダ事件
  アフリカを貪(むさぼ)り食うヨーロッパ諸国で・・この事件は、ア
 フリカ分割の過程でイギリスとフランスが軍事衝突しかけた事件だった・・
  フランスは、紅海沿岸のジブチ(仏領ソマリランド)を領有し、東部
 アフリカに橋頭保を築いた。
  イギリス領であるカイロとケープタウンを結ぶ直線と、フランス領で
 あるダカールセネガル)とジブチを結ぶ直線は、スーダンのファショ
 ダ付近で交差していた・・ここが紛争発生の地となった・・
  故に、この様にファショダは、両国ともに、アフリカ戦略上極めて重
 要な地点に位置していた。
  キッチナー率いるイギリス軍の船隊は、ナイル川を南下し、1898年9月
 18日、ファショダ村に到着した。
  フランス外相のテオフィル・デルカッセは、この場面で、イギリスと
 の軍事衝突を選ぶことは得策ではないと判断していた。
  当時、急速に勢力を拡大していたドイツ・・アフリカへの欲の魔手を
 伸ばしていたドイツとの衝突に備えて、イギリスとの関係を悪化させる
 ことは避けるべきである・・と判断していた。
  また、フランスで起きたドレフュス事件をはじめとする不祥事で、当
 時のフランスの軍部は国民の信頼を失っていた・・その為、遠くスーダ
 ンで戦争を遂行することは世論の賛同を得られないと判断されていた。
  (参考)ドレフュス事件:1894年、フランスで起きた、当時、フラン
     ス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ド
     レフュスがスパイ容疑で逮捕された・・無実であるのに犯罪者
     として扱われた冤罪(えんざい)事件
  結局、フランス軍が譲歩した・・そして、翌1899年ファショダから撤
 退した・・最も緊張した出来事だった・・
  ドイツの台頭で、アフリカでの英仏の軍事衝突などという余力は無く
 なっていた・・
  このアフリカ諸国が解放されるのが第二次世界大戦の後・・
  第二次世界大戦後、アフリカ諸国は、次々と独立し、解放されて行っ
 た・・
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  (今日の言葉)
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  題:第二次世界大戦中の1943年から1945年にかけて、日本軍は、強い影響下にあったアメリカから
   フィリピンを解放した・・
    また、この第二次世界大戦後、アフリカ諸国も次々と独立し、解放されて行った・・
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1902年1月30日、日英同盟協約が成立した。
  日清戦争の後、中国・清は、日本へ報復をしようとロシアと密約を締
 結した・・
  そして、その露清密約問題の頃、英独を相手に執拗に繰り返された日
 本の加藤外相の外交交渉・・そして、その交渉を背景として、その後、
 日・英・独の三国同盟の構想が持ちあがった。
  ここにおいて、日本外交は、日露協商か日英同盟かという基軸選択の
 岐路に立たされることになった。
  このような政情不安の中、伊藤首相が辞表を提出した・・
  その後1ヶ月の難産を経て、第1次桂内閣が成立(1901年6月2日)した・・
  日本が、イギリスとの同盟を本格的に考え始めたのはこの内閣におい
 てであった。
  安全保障上で重要な韓国問題は、日本の死活問題であるにもかかわら
 ず、日露両国の間では満足のいく解決を見られないのが現状であった・・
  加えて、領土欲のあるロシアの政策は、満州占領をもって最後とする
 ものではなく、満州が手に入れば、その次は韓国へとその手を伸ばすの
 は必然のことだった・・
  その様な政府の見解の下で、「満韓交換」の原則に基づく日露協商が
 成立し、日本がロシアの満州権益を尊重したとしても、それによって朝
 鮮半島の安全と日本権益の保証は得られないだろうという見通しだった・・
  その様な見通しから、日露協商を捨てて日英同盟を採ろうという結論
 に向かった。
  一方、イギリスにおいても、ヴィクトリア女王が死去(1901年1月22日)
 し、ソールズベリ首相が静養中であるなどの不安定要因に加え、日本が
 ロシアと結ぶ危険性を憂慮していた。
  というのも、元老の伊藤博文井上馨は、かねてからロシアとの協調
 しての安定に熱心であった・・
  特に、伊藤は、井上と相談のうえ、みずからペテルスブルクを訪問し、
 ロシアとの妥協の可能性を打診したいとまで考えていたからだった。
  続く伊藤の訪露が、日露妥協の可能性を示すとして英国政府に非常な
 刺激を与えた・・日本と条約を結ぶ決意を固めさせた・・
  日露協商論者の伊藤の行動が、日英同盟の締結を促進することになっ
 ていた。
   この様な事態の進展で、日本政府は、日英同盟問題についての最終態
 度を決定しようと元老会議を開いた・・
  そして、日露協約と日英同盟の利害の得失を比較し検討した。
  まず、日露協商による場合は、
  ①一時的な東洋平和を維持するにすぎない・・今までの状況から、ロシ
  アは、やがて全中国を勢力下におこうとしている。
  ②経済上の利益が少ない。
  ③清国人の感情を害し、また、その結果、少なからず我が利益も損なう。
  ④イギリスとの海軍力の均衡を保つ必要が生ずる。
  これに対し、日英同盟を結ぶ場合は、
  ①比較的恒久的に東洋の平和が維持できる。
  ②日英同盟の直接の目的は、清と韓の保全と、清国通商上の門戸開放に
  あって、同盟に対して列国の非難を受ける恐れがなく、日本の方針と
  も一致する。
  ③清国において我が勢力を増進させる。
  ④韓国問題の解決に有効である。
  ⑤財政上の便益を得る。
  ⑥通商上の利益が少なくない。
  ⑦ロシアとの海軍力の均衡を保てばよく、これは比較的容易である。
  この結果、元老会議は、日英同盟締結方針を採択して、1902年1月30
 日、日英同盟協約が成立した。
  この二つの大きな外交上の対立の一層深い意味での真相は・・
  日露協商か日英同盟か、といった表面的な二者択一よりも、日本の安
 全保障上の韓国を確保し、日本の勢力下におこうとする点では一致しつ
 つ、そのために満州をロシアの自由処分に委ねようとする従来的なバラ
 ンス・オブ・パワーに基づく外交政策と、満韓の交換ではなく、韓国確
 保のみならず同時に満州を含めた清国保全・清国門戸開放の基礎に立ち
 つつ、清国に対する経済的機会が得られるとする大きな観点からの日本
 外交を乗せようとする政策だった。
.
1903年パナマ運河開削のための条約
  1898年に起きた米西戦争の中で、アメリカは、太平洋と大西洋を結ぶ
 運河の必要性を感じた・・
  そして、戦後、イギリスと交渉し、単独でパナマ運河を建設する権利
 をアメリカは得た。
  パナマを所有するコロンビア政府と交渉し、1903年、運河開削のため
 の条約を結んだ。
  しかし、ルーズベルトアメリカ大統領が、強圧的な態度をとった・・
  アメリカが、圧力を掛ける態度をとったため、コロンビア議会が反発
 し、批准を拒否された。
  これを、アメリカは怒った・・これに怒ったアメリカは、パナマ地方
 の住民を扇動した・・そして、この地方を独立させようとした。
  アメリカは、軍艦を出動させ、コロンビア西部に圧力を掛けた・・
  アメリカは、この独立運動が成功する様に支援した・・その結果、パ
 ナマの独立がなり、認めさせた。
  アメリカは、独立したパナマ政府から、運河建設のための租借権・工
 業権を得て、1904年に着工した・・そして、1914年に開通させた。
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1904年2月8日、日露戦争(~1905年9月5日)
  レーニンは、日露戦争に反対していた。
  レーニンは叫んだ・・「ロシア政府(ツァーリ政府)は、他国人が住み、
 遠く離れた他国の新しい土地を奪うための、破滅的で無意味な戦争に、
 貧しく飢えた人民を引きずり込んでいる」・・と・・
  1903年夏、社会民主労働党は、実質的な結党大会にあたる第二回大会
 を、ブリュッセルとロンドンで開催した。
  この時、レーニンが率いる多数派(ポリシェビスキ)と、マルトフが率
 いる少数派(メンシェビッキ)が、党組織理論をめぐって対立した。
  マルトフ派は、「ロシア官僚が満州を文明開化するのに反対」と言っ
 た・・
  また、「金持ち(ブルジョワ)の日本が韓国を文明開化するのにも反
 対」と言った。
  レーニンは「日露が戦う理由などない」という論理を展開していた。
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1904年2月8日、日露戦争時のロシアのパンフレットなどの言葉・・
  (その1):
  「文化的で自由な日本との困難な戦争は、ロシアにとっては巨大な力
 の緊張を必要とする」(メーデーリーフレット草案)
  (その2):
  「この犯罪的な恥ずべき戦争は、われらの大衆にこのようなはてしな
 い犠牲を要求している・・
  専制国家のロシアは、立憲国の日本にすでに打ちやぶられている」(専
 制とプロレタリアート)
  レーニンは、日露戦争が、ロシアの専制の政治体制を決定的に弱める
 働きをして、そして、崩壊に至ったと注目していた。
  (その3):
  日本人の吉野作造も次の文を書いた・・
  「露国は実に文明の敵なり。
  今、若し、露国日本に勝たん乎、政府の権力一層強く圧制益甚しから
 ん。
  幸にして日本に敗れんか、或は自由民権論の努力を増す所以とならん。
  故に、吾人は文明のために又露国人民の安福のために切に露国の敗北
 を祈るもの也」
  (露国の敗北は世界平和の基也)
.
1905年7月29日、アメリカ合衆国ウィリアム・タフト陸軍長官が来日し、
 内閣総理大臣兼臨時外務大臣であった桂太郎と、アメリカは韓国におけ
 る日本の支配権を承認するとした・・
  そして、日本がアメリカのフィリピン支配権を承認する・・という内
 容の桂・タフト協定が交わされた。
  桂・タフト協定は、1902年の日英同盟をふまえていたもので、以下の
 三点が確認された。
  (1)大日本帝国は、アメリカ合衆国の植民地となっていたフィリピン
    に対して野心のないことを表明する。
  (2)極東の平和は、大日本帝国アメリカ合衆国、イギリス連合王国
    の3国による事実上の同盟によって守られるべきである。
  (3)アメリカ合衆国は、大日本帝国の韓国における指導的地位を認め
    る。
  桂の主張を聞いたタフト特使は、韓国政府が日本の保護国となること
 が東アジアの安定に直接貢献することに同意した・・
  また、彼の意見として、ルーズベルト大統領もこの点に同意するだろ
 うと述べた。
  1905年7月31日、この協定は、電文で確認したセオドア・ルーズベルト
 大統領によって承認された。
  1905年8月7日、タフトは、マニラから大統領承認との電文を桂に送付
 した。
  翌8月8日、桂は、日露講和会議の日本側全権として米国ポーツマス
 いた外相の小村寿太郎に知らせている。
  その後も、フランスが、1907年の日仏協約で、日本の韓国における優
 越的地位を認めた・・
  ・・など、日本の朝鮮半島に関する立場が欧米列強の協調外交に組み
 込まれた。
     ・
     ・
1970年代、この頃から従軍慰安婦という語が作られ、使われ始めた。
  朝鮮のゼゲン(商売人)が、勝手に慰安婦を連れて来て、日本軍にく
 っ付いて歩き、商売し、金を儲けていた・・
  その様な事実があるのに・・朝鮮・韓国は、戦後も戦後、何年も時を
 経たのちに、戦後の何十年も経た後に、従軍慰安婦という言葉を使って、
 さも日本軍が指示して軍に従軍した様にプロパガンダ(嘘宣伝)をした。
  (参考)ゼゲン:뚜 장이、女衒、女を遊女屋に売る周旋を職業とする
     者。
  朝鮮・韓国は、その様な従軍慰安婦をデッチ上げた・・日本軍がした
 様に作り話を作って言った・・
  卑劣にも像まで作って日本を貶(おとし)めた・・
  そしてさらに、非礼にも、韓国の日本大使館前にまでその様な像を置
 いた・・
  さらに、世界中のあちこちにも像を置く行為をしている・・
  日本軍が従軍させた様に言って、その様に思わせ、また、挙げ句は、
 日本軍が強制して朝鮮の娘さんたちを連れて来て、従軍させ、従軍慰安
 婦にした様にプロパガンダした・・(今もしている)・・
  朝鮮・韓国の商売人のゼゲンが行なったことをひた隠しにして、その
 様に捻じ曲げて言った・・
  そして、その賠償をせよと朝鮮・韓国の国を上げて嘘から出た話で日
 本を貶(おとし)めて金を盗ろうとする。
  日本軍は、勝手に日本軍に付いて来るゼゲンの慰安婦たちに、「衛生
 に注意せよ!」「衛生的にせよ」と言っただけだ・・
  なのに、その様なでっち上げ資料を戦後の遅くなった時期に示して、
 何があったか何も知らない世界の人々に、朝鮮・韓国は、嘘で日本を貶
 (おとし)めて金を出せと言う。
  最近になって、この様な卑劣な自分の国の恥ずかしさに気付いた正義
 の朝鮮の方たちが、真実の声を上げ始めた。
  日本の政治家が謝罪したではないかと朝鮮は言うが、これも引っ掛け
 だった・・
  今まで、しつこく日本を貶めて来た朝鮮が、「もう言わないからと、
 謝罪の言葉だけは表明してくれ」と、「元慰安婦であった年老いたオモ
 ニのために言ってくれ」と、日本の優しさに付け込んで日本を引っ掛け
 た。
  (参考)オモニ:어머니、母
  日本の政治家は、非生産的な貶め行為がこれで終わるならと、そして、
 これから前向きな日韓関係が築けて行けるならと謝罪の言葉を言った。
  しかし、朝鮮・韓国は約束を守らなかった。
  少し、時が経つと、朝鮮・韓国は話を蒸し返した・・
  前と同じ様にに日本を、再び、貶め始めた・・
  そして、今度は、「日本は謝ったではないか」という言葉まで付け足
 して日本を貶めた・・金をせびった。
  また、日本軍が、日本軍に付いて来るゼゲンと慰安婦たちに衛生的に
 しなさいと言うのは当たり前で、兵士たちが性病にかかるのが恐ろしか
 ったので指導したまでだった・・まったく当たり前のことだった。
  従軍し、また、町でも店(慰安所)を開業している朝鮮のゼゲンの店に、
 日本兵たちは貰(もら)った給金を持って通った。
  今・現在の朝鮮・韓国のでっち上げは、日本を貶めるプロパガンダ
 ある。
  日本政府は道義的には責任があるとし、逃げた姿勢はとっていない・・
 世界中で軍と共に居た慰安婦の存在であったが、政府としてその責任か
 ら逃れず、「道義的に責任がある」と日本政府は明示した。
  道義的には世界のどの国にも責任がある・・日本以外の国で道義的責
 任を表明している国は無い・・
  ここに出ている国・韓国でさえ、ベトナム戦争でこの問題を発生させ
 ている・・しかし、韓国はこの問題で知らない振りをしている・・謝罪
 もしていない・・
  日本については、嘘による貶め行為をするが、自国の責任はまったく
 とっていない。
  (参考)道義的:人として踏み行なうべき正しい道に関するさま・・
.
1995年12月11日、国連総会で、旧敵国条項の削除を求める決議が採択され
 た。
  第二次世界大戦終結50周年にあたる1995年・・日本国やドイツ連邦
 共和国などが、国際連合総会において、第53・77・107条を憲章から削除
 する決議案を提出した・・
  1995年12月11日の総会において、賛成多数によって採択された・・
  賛成155、棄権3(北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)、キューバ、リ
 ビア)。
  そこでは、条項が時代遅れ(obsolete)であることが認識され、削除
 (deletion)に向けて作業を開始することが決議された。
  また、戦争終結60周年にあたる2005年の国連首脳会合においても、削
 除を決意することが確認された・・
.
2017年、アメリカのキリスト教宣教師が言う・・
  「アメリカ人だってキリスト教会へ行くのは、大半は、単なる見栄と
 習慣のためにすぎない」・・と・・
  また、「日本へキリスト教の宣教のために行った先輩が、何人も脱落
 して、途中でアメリカに帰ってくる」・・と・・
  織田信長の頃から日本へ来たキリスト教宣教師たち・・日本への領土
 的野心を見破られて、禁教にされた豊臣秀吉の時代と江戸時代・・
  この頃も、禁教であるのに、法を犯して、日本に居残ったキリスト教
 宣教師たちも、多くがキリスト教を棄教し・・キリスト教を棄てて離れ
 た。
  この事を記した遠藤周作の著書「沈黙」・・
  しかし、あまりにも棄教したということが「気まずかったのか?」・・
 そのところをうまく言い逃れをした映画が作られた。
  公開されたが・・その棄教を、屁理屈で正当化した・・
  そして、そのアメリカについての話・・
  アメリカの町が、プロパガンダ(嘘宣伝)がなされて伝えられている。
  善意のあるような社会の様に・・だが、善意と裏腹な悲惨さに、むし
 ろ至る所でぶつかっているという。
  奉仕団体の内部も複雑な問題・事情があると伝わる・・
  精神病院へ行く人も多い。
  アルコール中毒の人も、かなり多いことは事実だと・・。
  また、恐ろしいことだが・・アメリカのキリスト教会の牧師で・・「
 マッカーサー元帥に、朝鮮戦争で、原爆を使わせるべきだった」と説教
 を言うような者が居る・・と・・
.
2019年12月9日、この時、すでに、中国・武漢で、肺炎の死者が出ていた・・
  中国の習近平は『これを隠した』・・
  そして、世界に大流行した・・
  パンデミック(広範囲な大流行病)が起きた・・
  そして、今・・「怖い」「怖い」と庶民は脅されている・・
  特に、テレビのワイドショーが、コロナウイルスを「怖い! 怖い!」
 と必要以上に脅し過ぎている。
  怖そうな、そして、病気とは関係のない音楽や映像を交えて煽ってい
 る・・
  また、科学的に検証もしないで、裏付けも言わないで煽っている・・
  感染者数が増えたのも、過去最多だと煽っているのも「PCR検査数
 が激増しているから」なのに、この事を報道しない・・検査数が増えれ
 ば感染者数も増えるのだ・・
  一時の陽性率31.7パーセントが6パーセントぐらいとかなり低いの
 も報道しない・・
  東京都知事がテレビで脅している・・累計の感染者数のみを強調して、
 増加する様子を強い印象的にして与え続けている・・累計して行けば上
 昇カーブになる・・
  日本は、抗体保有率が欧米の感染拡大国と比べて極めて低い・・この
 事にも無視している・・ただただ怯(おび)えさせている・・
  煽られた庶民は、巷で「コドモ、アツメルナ」「オミセ、シメロ」の
 張り紙が貼られる状況・・
  マスクをしていない人と言い争いとなる巷の輩たち、テレビに影響さ
 れた者たち・・
  ゼロリスクを求めれば、際限なく対策は広がり、人々は、ますます神
 経質になって行く・・
  人間関係の関わりが無くなったり、差別が生じたりして行く・・
  店を閉じる閉店事例が多発したり・・肺炎ウイルスにやられるのでは
 なく、その対策で命を落とすという状況となっている・・
  社会的弱者の廃業や抹殺が、今、起きている・・
  ワイドショーの感染症専門家の罪は大きい、煽る犯人たちだ・・
  週刊新潮の記事で、7月13日放送の高視聴率ワイドショー番組で、
  根拠が不明なコメント記事が記載されていた・・
  その1例・・
  「医療現場もあと2週間したら大混乱になる可能性もありますよ」と
 予言者か占い師の様な発言をする専門家として出た者の発言・・
  実際はその様なことは起こらず、混乱にも至らなかった・・
  故に、ワイドショーの専門家と称する者の「脅しの言葉」と化した・・
  当然、批判は集中した・・これ幸いと政権批判につなげて書く新聞や
 週刊誌の記事・・その程度の悪さ・・フェイクニュースまがいの記事を
 垂れ流すメディア・・
  「ポピドンヨードが効く」となれば煽られた消費者が買いに走り・・
  「うがい薬、品切れ中の張り紙」という状況・・
  「誠実に改善点を言う」というより「視聴率狙いの脅し」の方向の放
 送となっている・・
  「改善されました」「良くなりました」では視聴率は稼げないという
 えげつない姿勢となっている・・
  感染者数の累計数が増えて行くのは当たり前のことで、退院者数も公
 表して、現在数を知らせるのが公平で科学的・・
  PCR検査が誰でも受けられるようになったのも、そして、検査数が
 増えているのも報道しない・・
  脅す一方のマスメディア・・1000人超えたとか、毎日、こんな数
 字ばかりを報道する報道機関・・
  「今日、最多となりました」の文言を決まり文句の様に嬉しそうに放
 送し、言いたがる報道・・正しく情報を伝えているとは言えない状態・・
  過剰に危機を煽るコロナ報道・・
  インフルエンザでは、感染者数が1週間に40万人以上になった時に
 警戒報道するとなっている・・
  また、40人学級で6人が休んだ時に1週間休校するなどとの基準が
 ある・・
  コロナ報道もこの様な基準を作って過度な脅し報道はしないこと・・
  インフルエンザなら9万人まで報道しないのに、コロナウイルス
 300人で報道している・・
  高齢者と基礎疾患がある人が死にやすいというより、ほとんどの人が
 免疫治療をしている人だった・・
  免疫治療をしてほとんど白血球が無い人とかの事例とか、白血病の人
 とかの事例だった・・
  基礎疾患と言っても、高血圧の高齢者がバタバタ死ぬと言う事ではな
 い・・
  老人の人たちは、「間違った脅し報道・放送でおどおどしている」が、
 「そうではない」と言うべきだ・・
  連日、ワイドショーは脅してばかりしていないで、視聴率稼ぎに意識
 を集中し過ぎるな・・
  煽(あお)りばかりの新型コロナ・ウイルス流行の報道・・
 「安心してくださいね」という報道姿勢はとれないという内部事情が罪
 である・・その様な報道では視聴率が稼げない・・
  視聴率を稼いで広告を取りたいとなっている・・これでは駄目・・
  また、ニュース番組もワイドショー化して、ワイドショーに引っ張ら
 れて、報道番組の品位のレベルが落ちている・・
  ニュース番組の品の低下となっている・・
  ワイドショーというのは「自らは知識が無く」「分析力も無く」、政
 府などのデーターをそのまま面白おかしく報じているだけの番組・・
  それしかできないレベル・・
  意味ない数やデーターをそのまま垂れ流し、取り扱うだけ・・
  自分で分析し、そして得た、その分析結果や知見を報道するべきなの
 に、「その様なことはしない」・・
  各所の学者などが正しい分析結果を報告しているので、それを見て報
 道すべきだ・・
  昔は間違った情報で悲劇が起きた・・
  キリスト教に洗脳されたヨーロッパの人たちは、ユダヤの方たちを「
 イエス殺し」と言って差別し、その様な状況の中で「黒死病(ペスト)が
 流行して、多くの人たちが死ぬと、その責任をユダヤの方々にかぶせて、
 ユダヤの方々が意味も無く殺され、虐殺された」・・
  まちがった情報はこの様な怖ろしいことを引き起こす・・
  人類は、この様な悲惨な経験をし、この様な長い歴史の中で経験を得
 て、その積み重ねの中で生きて来ているのだが・・
  今、コロナウイルスの惨禍の中で「視聴率狙い」で正しい報道がなさ
 れていない・・むやみにセンセーショナルな仕立て方をしている・・
  その様な状況にあるコロナウイルスに対して、マスコミで煽り発言の
 甚(はなは)だしい迷惑発言をした者たちの事例・・
  ①テレビ朝日報道局員・玉川徹「羽島真一モーニングショー(4月2
   8日)で土曜、日曜は保健所は検査をしていない、休んでいる」と
   か
   同じく(7月27日)には「東京の重傷者数は1週間後、94人増
   える」とかの煽り発言・・実際は15人で大きく数字を外し罰金も
   のの発言だった・・
  ②白鴎大学教授の岡田晴恵は「羽島慎一モーニングショー(4月13
   日)で「ニューヨークの今の惨状は2週間後の東京だ。地獄になる」
   とか、
   同じ番組で(7月13日)「医療現場も、あと2週間したら大混乱
   になる可能性もありますよ」と煽った・・
  ③朝日新聞編集委員の小滝ちひろは、3月13日のツイッターで「あ
   っという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が
   恐れ慄(おのの)く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在
   かもしれない」と卑劣な書きよう・・
  ④夕方のニュース番組のキャスターは、岡江久美子さんの遺骨帰宅の
   生中継(4月24日)で「これがコロナの恐ろしさです」と意味な
   く無責任に脅す・・
  そして、ずぶの素人(しろうと)の放送局側が「この様に言ってくれ」
 と専門家に注文を付けるという始末・・正しく報道するという報道姿勢
 は無い・・
  そして、放送局側に迎合する専門家は、芸人の様に言われたように言
 い、そして、動く・・その様な人間の専門家が「専門家として出演して
 いる人」しか出演させないという状態・・
  岡田晴恵のように・・芸能事務所に所属しているという話もある・・
  「恐ろしい怖ろしいと言われるけど、風邪の20パーセントはコロナ
 ウイルスだ」と言ったら、この岡田晴恵は「その通りですとすぐに謝っ
 た」・・そしたら、テレビ局の司会者が、番組の想定ストーリー通りに
 行かないと驚いて「えーっ、先生、風邪なんですか?」とびっくり発言
 をする。
  (注)8月26日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症の位置づ
    けを「2類相当」からの見直しを検討することを発表した・・
  「ポビドンヨード」のうがいが効果あると某知事が言ったが・・医師
 らが大反発するという怪(あや)しい発言だった・・
  愛知県知事の大村秀章は、「東京と大阪で医療崩壊が起きている」「
 医療崩壊したら大変だ」「行政としては負けだ」などと起きても居ない
 ことを言いたてて大騒ぎした・・
  大阪知事は、きっぱり「医療崩壊など起きていません、何を根拠にし
 て言うのか?」などと、愛知県知事の大村秀章の軽薄発言をたしなめた・・
 こんなレベルの嘘発言の始末・・
  また、この軽薄な知事は、「うつって治るのが感染症だ」などの無神
 経発言もしている・・
  ワクチンが開発されて使用されれば回復は早まる・・また、国民の精
 神的な支柱ともなって「精神的効果もある」・・
 この様な状況をひき起こした根底にいる原因者は?・・「その原因者の
 大犯人は中国」・・
  中国・武漢感染症の菌を発生させてしまった・・
  中国主席の習近平は最悪行為となる「情報隠蔽をした」・・
  また、初動のミスをした・・
  発生の重大性を、その発生事実を知らせようとした善意の医師を弾圧
 した・・この最初期の善意の行動に対して、「軽々しくそんなこと言う
 な」と拘束して、口封じをした・・
  それらの大きな罪と誤りを他国に一切謝罪しない習近平・・逆に、マ
 スク外交をしたたかにするという病原菌発生国の振る舞い・・検査キッ
 トを提供しても、中国製品の不良品でイギリス首相も病気に感染すると
 いう始末・・中国は、国際貢献をしているとアピールしても空回りの逆
 効果・・戦狼外交をするという始末・・
 (参考)戦狼外交:中国の外交官の過度に強硬な発言や態度が相次ぎ、
    注目を集めた・・特に、新型コロナウィルス感染症の世界的な蔓
    延の中で、中国の外交官たちは、中国の責任に関する議論やその
    発生起源をめぐる議論に対して、強い 口調 で反撃を加え、時に
    は、およそ外交とは思えない言葉を用いて欧米の政府を非難した。
     その代表的人物が趙立堅・外交部報道官。趙立堅は、2020年3月
    に、新型コロナウィルスの起源に関して、米陸軍が武漢に持ち込
    んだとツイッター上で発言した。当然、アメリカから激しい反発
    を買った。
     こうした外交官たちは、中国映画「戦狼」を文字って 「 戦狼
    外交官 」 と呼ばれた。
  こんな中国をかばいい続けるおかしな国連機関のWHO(世界保健機
 関)・・事務局長のテドロスは、中国とズブズブの関係・・というより、
 中国が送り込んだ人物・・中国への忖度(そんたく)ばかりしている・・
  2019年12月の流行最初期に、情報をいち早くつかんだ立派な台湾が、
 また、大変なことだからといち早くWHOに通報しても、デドロスのW
 HOはこれを無視した・・最悪の対応をした・・最大の大変なことなの
 に、何とその職務を果たさないという大失策・大失敗(中国に忖度した)・・
 習近平が「人から人への感染しない」と嘘も言う・・台湾の助言を黙殺
 したテドロスのWHO・・
  逆に、テドロスは、「中国は疫病の感染予防に対して行っている努力
 とその措置は前代未聞なほど素晴らしい」と讃美する始末・・中国礼讃
 のテドロスが、アメリカやブラジルなどの惨劇の原因である・・世界の
 判断を誤らせた・・最大に重要な最初期の判断を誤らせた・・その措置
 や対応が良かった台湾と対照的に世界は悲惨となった・・
  このWHOの責任を追及するべきだ・・被害の賠償請求をすべきだ・・
  このテドロスは、中国礼讃に続いて「あまりに多くの国が間違った方
 向に向かっている」とまで言った・・各国政府を批判するという無能さ
 のあるWHO事務局長テドロス・・責任を取って退陣せよ!・・新型コ
 ロナウイルスの猛威は世界に加速している責任を取れ!・・世界に満ち
 溢れる死者に頭を下げよ!・・責任が取れないならWHOを解体せよ!・・
 役に立たないWHOを作り直せ!・・こんな国連機関なら不必要だ・・
 その存在自体が逆効果だ・・まず、中国は信用するな!・・
  日本の最適任者のWHO事務局長候補者を引きずりおろした中国とい
 う経緯もある・・そして、テドロスを事務局長に据えた中国の責任は重
 大!・・
  SARSの時はWHOは中国に入ってやるべきことをしている・・
  病原菌発生の常習者の中国は、これに懲(こ)りてテドロスを据えた・・
  病原菌発生地も「名称に付けるな」まで言っている、だから、一般的
 に言われている発生地の言い方は出来ないことにした中国、「武漢コロ
 ナウイルス」とか「中国コロナウイルス」とは言えない、「新型コロナ
 ウイルス」と言わせている・・どこの発生ウイルスかは分からなくして
 いる・・実態は「中国武漢コロナウイルス」・・
  情報を各国から集める権限がある世界のWHOが中国だけに忖度した
 という偏向姿勢が大問題・・この度の現在のWHOが極悪人で原因者と
 なっている・・前のWHOの様に「中国に調べに行こう」ともしない現
 在のWHOの姿勢?・・今・2021年、言っているが遅い、おかしい?・・
 オーストラリアが「調べに行くべきだ」と言うと大反発する中国・・そ
 して、中国のオーストラリアへの復讐行為が始まるという始末・・国の
 主権を振りかざす中国となっている・・そして、中国のWHO組織とな
 っている・・
  アメリカ首脳が、イギリスへ赴(おもむ)いての発言に「テドロスが
 中国に買収されている」というのがある・・アメリカは、この情報の証
 拠を持っていると言っている・・これが、アメリカのWHOの脱退する
 理由の一つとなっている・・バイデンが復帰したが・・
  アメリカは、中国での伝染病発生の情報を早くに掴んでいたのだが、
 検査キットも手当てする手回しの良さだったが、そして、アメリカの人
 口の3分の1まで用意するほどだったが、その検査キットが中国製でダ
 メな製品だった・・イギリス首相も、中国の検査製品に入っていた肺炎
 ウイルスにやられて肺炎になってしまったが・・最初の中国のPCR製
 品もグダグダでダメ製品だった・・用をなさない製品だった・・中国製
 品らしい低レベルの大迷惑の大失敗製品だった・・
  アメリカは使用を中止にした・・しかし、中止にするまでアメリカは
 中国製品を使い続けて大混乱してしまっていた・・賠償をしっかり中国
 に求めるべきだ!・・
  スウェーデンのやり方は良かったのか?・・当初は死亡者があまりに
 多かったが?・・批判もされたが?・・しかし、今・現在、第二波がヨ
 ーロッパで起きていない唯一の国となっている・・
  マスクもしないで、自然に任せたそのやり方は、今・現在、ほぼ収束
 しかかっている・・この様な状況は、スウェーデンだけに起きている状
 況となっている・・オランダでも、誰もマスクなんてしていない・・
  一方、ニュージーランドは厳格すぎるほどロックダウンもしたが、感
 染者が増加している・・経済学者の研究では、ロックダウンの感染抑制
 効果は「ほとんどない」となっている・・極めて薄いという結果となっ
 ている・・ロックダウンが厳しければ厳しいほど感染が再増加するとい
 う結果の報告がある・・だから、成功したと言われる韓国、台湾もあぶ
 ない・・再拡大をするのか?・・
  スウェーデンは、人口密度が少ないなどの特殊な要因があるのかもし
 れない・・しかし、スウェーデンのこの政策を計画した人は「失敗した
 かもしれない」とも言っていた・・が、しかし、今・現在は良かったか
 もしれないと言える・・しかし、科学は、全体が終わるまで理由や結論
 を問わない、また、「問うな」となっている・・科学的思考は謙虚でな
 ければならない・・ことが終わるまでその理由を問うなとなっている・・
  BCGとか、初期感染があったとか、靴を脱ぐ生活パターンだからと
 かの「ファクターX」は嘘である・・アメリカで言われたのだが?・・
  100年前の大正時代のスペイン風邪も2年間が経過したら収束した・・
 違うインフルエンザの型になって行った・・この度のコロナウイルス
 弱毒化する・・
  人間に共生するウイルスの生態からも弱毒化はして行く過程は必然・・
  (参考)
  https://www.youtube.com/watch?v=gDzymQujXXU
  【9/1(火) 22時00分〜配信】『ニュース女子』 #281(〜ニュース女子
 「コロナ大反省会」〜 マスコミが反省すべき点/政治家が反省すべき点/
 世界が反省すべき点)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://stff2010.blog29.fc2.com/
または
  https://32983602.at.webry.info/
または
  https://hanachan28.exblog.jp/