(増補版)685E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)

題:(増補版)685E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
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1898年1月12日、第2次松方内閣が終了する。
  進歩党と提携して党首・大隈重信を外相に迎えて松隈
 (しょうわい)内閣と言われた第2次松方内閣は、伯爵の松
 方正義が第6代内閣総理大臣に任命され、1896年9月18日
 から1898年1月12日まで続いた。
  主なポストは薩摩閥が占めていた。
  大隈重信の主張を入れて言論・出版・集会の自由の尊
 重を掲げた。
  1896年11月に雑誌「二十六世紀」に宮内省長州閥
 支配されていると書き立てられ、その処分が問題化しも
 めた。
  日清戦争の償金をもとに金本位制度を採用した。
  その後、財源に窮して地租増徴案を提出して進歩党と
 対立し、大隈外相は辞任した。
  その後、野党連合の内閣不信任案にあい総辞職した。
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1898年1月12日、第3次伊藤博文内閣が成立した。
  第3次伊藤内閣は、元老・伯爵の伊藤博文が第7代内閣
 総理大臣に任命され、1898年1月12日から1898年6月30日
 まで続いた。
  西園寺公望が文相となった。
  藩閥官僚を中心にして組閣がなされた。
  自由党と進歩党の両党の提携が失敗したが、その後、
 自由党との提携には成功した。
  しかし、1898年4月、自由党党首の板垣退助の入閣交渉
 が実現しなかったため、自由党は政府との提携を断絶し
 た。
  1898年5月からの第12議会に、日清戦争後の財源を安定
 させるため地租増税法案を提案したが、衆議院で自由・
 進歩両党を中心に圧倒的多数で否決された・・この反対
 を受けて議会を解散した。
  政府党を組織しようとしたが失敗し、自由・改進両党
 合同による憲政党の成立をまえにして総辞職した。
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1898年1月12日、松方正義元勲優遇。
  国家に対して大きな勲功があったので元勲優遇の栄誉
 を受けた。
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1898年1月12日、市町村立学校に学校医を置く旨が公布され
 た。
  1891年、文部省普通学務局は、我が国の学校衛生につ
 いての実態を把握しようと、文部省学校衛生事項取調嘱
 託の制度を設けた。
  次代を担う児童生徒の健康が国家的な観点から重視さ
 れ始めた。
  調査内容は、校舎、教室、校具、遊戯体操場などに関
 する設備衛生の調査、換気法、飲料水の適否、児童生徒
 の発育状況、疾病の状況・・全国的な調査で、統計資料
 も作成された。
  西洋資料の示唆を受けたが、独自に地道に行われた。
  ドイツ学校衛生のあり方が模範となった。
  これが、後の我が国の範となり端緒となった。
  1896年5月、勅令で学校衛生顧問会議の制度が発足し、
 12月に、第一回会議が開かれた。
  同時に、学校衛生主事が任命された。
  この会議の建議によって・・
  学生生徒身体検査規定(1897年3月)
  公立学校に学校医を置く(1898年1月21日)
  学校医職務規定(1898年2月26日)
  学校伝染病予防および消毒方法(1898年9月28日)
  未成年者喫煙禁止法(1900年3月7日)
  学齢未満児童就学禁止(1896年)
  柔術撃剣を体操術として生徒に課することの可否につ
 いて(1896年7月)
  近視予防の見地より教科書用の文字印刷等に関する標
 準の制定(1898年10月)・・などがある・・
  現在の学校保健に至るまでの基本的事項になった。
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1898年1月13日、スパイ行為はなされたか?・・冤罪事件・・
 卑劣な人種差別・・
  エミール・ゾラが、ドレフュス事件に関する激しい弾
 劾文の公開質問状を掲載した("J'accuse")
  「私は弾劾する(わたしはだんがいする)」(フラン
 ス語: J'accuse )は、この日に発行された新聞「オーロ
 ール」に掲載された。
  公開質問状で、文豪のエミール・ゾラは、フランス大
 統領のフェリックス・フォールへ、政府の反ユダヤ主義
 や、スパイ容疑で終身懲役に処せられたフランス陸軍参
 謀本部将校アルフレド・ドレフュスの不法投獄を告発し
 た。
  裁判は誤っていると、重要証拠が不足していると指摘
 した・・
  これは大きな反響を呼んだ・・
  ゾラは告訴された・・そして・・
  1898年2月23日、名誉棄損で有罪判決となった・・
  ゾラは投獄されるのを逃れてイギリスに渡った・・
  ゾラがフランスへ戻ったのは、翌年・1899年6月だった。
  1896年11月に、「誤審:ドレフュス事件の真実}ベル
 ナール・ラザール著が出版され、ドレフュスの無実が表
 明されている。
  1894年、フランス参謀本部の砲兵長だったドレフュス
 が、ドイツ政府へ軍事機密情報を提供しているとされた。
  1896年に真犯人が現れたが、軍部がこれを隠匿した。
  ドレフュスは、フランス北東部アルザス地域の裕福な
 ユダヤ人家庭に生まれている。
  ドレフュスは終身流刑にされたが、軍部内で別の真犯
 人が居ることが分かったが、軍の威信と反ユダヤのため
 に、事件の真実が白日の下に公開されることは無かった。
  再審要求運動が家族・知人を中心にあったが、次第に
 拡大し、後の首相のG・クレマンソーらにも支持を受け
 た。
  世論は高まった・・様々な世論・・左翼、反ドレフュ
 ス派、右翼、対ドイツ愛国者、反ユダヤ人主義者、保守
 主義者などが形成された。
  1898年、事件に関わったH・アンリ大佐が文書の一部
 偽造を告白して自殺したため、再審が確実となった。
  1899年、ワルデック・ルソーの共和政防衛内閣が成立
 し、レンヌの軍法会議の再審で減刑された。
  しかし、依然、有罪だった・・大統領特赦で刑も免じ
 られ・・ドレフュスは釈放された。
  1903年、また、新たに有利な証拠が提出され、再審は
 確実となった。
  1906年7月、民事の破毀院(はきいん)はレンヌの判決
 を全面的に破棄した・・議会も復権法案を可決した。
  1906年7月22日、ドレフュスも正式に復権し無罪が確定
 した。
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1898年頃、展望・・日露協商・・
  ロシアは領土を求め、不凍港を求め、ロシアは武力を
 背景に強引に南下して来た。
  日清戦争(~1895年4月17日)の後、下関条約(1895年
 4月17日、調印)から三国干渉(1895年4月23日)を経て
 日英同盟(1902年1月30日、調印)の締結にいたるまでの
 時期・・日露協商・・日本とロシアの間に結ばれた一連
 の協定・・
  三国干渉によって、満州への足場である遼東半島の還
 付を余儀なくされた日本を含め、満州から朝鮮にまで勢
 力を伸ばして来たロシアに、東アジアにある国々、およ
 び、この地域に関係するヨーロッパ列強諸国とアメリ
 なども、そのロシアと厳しく関係することとなった・・
  日本も、この様なロシアと色々と安定策を模索し、講
 (こう)じることとなった・・
  朝鮮における日本とロシアの勢力関係を一時的に均衡
 にすべく、両国間に小村=ウェーバー覚書 (1896年5月14
 日、調印) 、山県=ロバノフ協定(1896年6月9日、調印)
 が取りかわされた。
  これによって中国・清および朝鮮における東アジアに
 おける両国間の対立は一時小康を保つかにみえた・・し
 かし・・
  1898年3月、ロシアは、旅順・大連の租借を得た・・租
 借に成功した。
  そしてまた、卑劣な事に秘密裏にロシアと韓国・朝鮮
 の間に「露韓合同条約」が締結され、韓国の財政権をロ
 シア人顧問アレクセーエフが掌握するに及んで、山県=
 ロバーノフ協定は空文化された。
  この強硬策は、韓国内の反感もかい、排露主義を胚胎
 させることとなり、その結果、ロシアは日露間に新たに
 西=ローゼン協定(1898年4月25日、調印)を結ばざるを
 えなくなった。
  (参考)アレクセーエフ:1843年~1917年、ロシアの
     軍人。提督。
      1899年、遼東半島のロシア租借地に関東府が設
     けられると、その守備隊および太平洋艦隊司令
     官に就任した。
      1900年義和団事変の際、鎮圧に従軍し、満州
     を占領した。その戦功により中将に昇進した。
      その後、対日強硬派の属し、中国だけでなく
     朝鮮も支配できると主張した。
      ニコライ2世も強硬派の影響を受け、朝鮮を手
     入れる価値があると考える様になる。
      1903年、大将に昇進、新たに創設された極東
     総督に任命された・・日本に対して敵視政策を
     採用した。
      1904年2月、日露戦争勃発と同時に極東ロシア
     陸海軍総司令官に任命されたが、沙河会戦の失
     敗ののち陸相 A.N.クロパトキンと交代、本国へ
     召喚された。
  西=ローゼン協定で、日露両国とも、韓国に対する内
 政不干渉、韓国政府より軍事教官や財政顧問派遣を要請
 されたときは相互に協議すること、朝鮮における日本の
 経済的地位の優越と日本・朝鮮間の商工業の発展を妨害し
 ないことをロシアが認め、承認することなどを規定した・・
  一方、日本は、ロシアの旅順、大連租借を黙認するこ
 ととなった。
  しかし、この協定も満州や朝鮮における両国の利害対
 立を解消するものとはならなかった・・
  1900年夏、北清事変に際し、ロシアは強硬な行動に出
 た・・満州全土を占領した・・
  この行為を境に、ロシアの無分別さに決別した日本は
 日英同盟の締結によるロシアとの対決へ傾いて行った。
  その後も日本国内では、伊藤博文井上馨らが日露協
 商論を唱えた・・
  国論が二分した・・山県有朋らの日英同盟論と政策的
 に激しく対立した・・だが・・
  ・・日本の方向は・・ロシアの領土的侵略主義、武力
 侵攻を認めざる方向へ行く・・ロシアの排撃・・
  大局的に、英、米との提携を選択する立場が、結局、
 選ばれ・・日英同盟の締結にいたる。
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  (今日の言葉)
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  題:彼等(清国を指す)は頑迷不霊にして普通の道理を解せず、
    文明開化の進歩を見て之を悦ばざるのみか、反対に其進歩を
    妨げんとして無法にも我に反対の意を表したるが故に、
    止むを得ずして事の茲に及びたるのみ。(中略)
    幾千の清兵は何れも無辜(むこ)の人民にして
    之を鏖(みなごろし)にするは憐れむ可きが如くなれども、
    世界の文明進歩の為めに其妨害物を排除せんとするに
    多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、
    彼らも不幸にして清国の如き腐敗政府の下に生まれたる其
    運命の拙なきを自から諦むるの外なかる可し
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1873年、ヨーロッパの不況(~1895年)
  1873年から1895年の22年間、中部ヨーロッパに不況が
 続いた。
  それは、北アメリカの小麦が、この地方に流入し、市
 場を圧倒し、また、過剰な生産設備が拡充されて工業の
 成長を停滞させたからだった。
.
1894年6月23日、日本が、やむなく中国・清へ絶交書を送っ
 た。
  いくら、中国・清国を説得しても駄目だった。
  また、朝鮮が、中国・清に地続きという事情があった
 とは言え、清の冊封体制下の支配を受け、干渉を受け、
 さらに、中国・清の朝鮮の関わりが大きくなり、日本へ
 の脅威が増す中、日本が朝鮮へ問えば「独立国としてあ
 りたい」と返事が来る。
  清は、自国に都合良く変え様とする朝鮮の状況・・
  その事について、日本が清へ朝鮮の状況を伴に改革し
 て行こうと提案しても拒否する清国だった。
  両国の軍事的衝突が次第に時間の問題と見られる様に
 なって行く。
  この様な状況の時の1894年7月16日、イギリスが、幕末
 以来の不平等条約を変える日英通商航海条約に合意して
 調印した。
  日本の懸案だった問題の一点が解決した。
  領事裁判権が廃止になるなどが取り決められた。
  (参考)日英通商航海条約:1894年7月16日に日本の駐
     英公使である青木周蔵と、イギリス外相キンバ
     ーリーによって調印された。
  この様な時、日本の代表的知識人の福沢諭吉は、以下
 の様に言う・・1894年7月29日「時事新報」・・
  「彼等(清国を指す)は頑迷不霊にして普通の道理を解
 せず、文明開化の進歩を見て之を悦ばざるのみか、反対
 に其進歩を妨げんとして無法にも我に反対の意を表した
 るが故に、止むを得ずして事の茲に及びたるのみ。
 (中略)幾千の清兵は何れも無辜(むこ)の人民にして
 之を鏖(みなごろし)にするは憐れむ可きが如くなれど
 も、世界の文明進歩の為めに其妨害物を排除せんとする
 に多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、彼
 らも不幸にして清国の如き腐敗政府の下に生まれたる其
 運命の拙なきを自から諦むるの外なかる可し」。
  おおよそ・・進歩を妨げるようなことを中国・清国側
  が行ない、また、行った・・だから、清国兵士には何
 の罪はないが、日本は文明の進歩のために清国と戦争す
 るのはやむを得ない選択になる・・と言っている。
  朝鮮の治安を、清国に依存させる様にしているなど清
 国へ批判をしている。
  (参考)日清戦争の宣戦布告の比較:1894年8月1日、
  清国ニ対スル宣戦ノ詔勅・・現代語訳・・
  天の助力を完全に保ってきた、万世一系皇位を受け
 継いだ大日本帝国皇帝(明治天皇)は、忠実にして勇武
 なる汝ら、国民に示す。
  余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。
  余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜(よろし)
 く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清
 国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的
 を達成するよう努力すべし。
  いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場
 と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちると
 ころの無いように心を定めよ。
  余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、
 文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構える
 ことは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対
 して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。
  幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに
 親密さを加えてきた。
  どうして、予測できたであろうか。
  清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すとこ
 ろのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出よ
 うとは。
  朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の
 仲間となした一独立国である。
  しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国で
 あると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱
 が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対
 し出兵した。
  余は、明治十五年の済物浦条約により、朝鮮に兵を出
 して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、
 将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平
 和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)
 協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え
 続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。
  帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪
 政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には
 独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既
 にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は
 終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、
 それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をも
 うけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、
 それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服
 の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵
 し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本
 海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。
  すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の
 責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先し
 て、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記
 した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没
 させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な
 平和を保障できなくすることにある。
  これは疑いようがない。
  よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとの
 ありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじ
 め東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を
 遂げようとしていると言わざるをえない。
  事は既に、ここまできてしまったのである。
  余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国
 の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念して
 いるのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せ
 ざるをえない。
  汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみや
 か)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に
 取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。
  (参考)
    清国政府の宣戦布告文:1894年8月1日、
  朝鮮ハ我大清ノ藩屏(ハンペイ:直轄の属領)タルコ
 ト二百余年、歳ニ職貢ヲ修メルハ中外共ニ知ル所タリ近
 ク十数年、
  該国時ニ内乱多ク朝廷ハ小ヲ宇ムヲ懐ト為シ、
  畳次兵ヲ派シテ前往勘定セシメ竝ニ員ヲ派シテ該国都
 城ニ駐紮セシメテ時ニ随ツテ保護セリ
  口語訳
  朝鮮は我々大清の属藩たること二百年あまり、年々朝
 貢をしていると内外に知れ渡って十数年。
  内乱が多いので、兵を派兵して平定し、また都城に駐
 屯させて保護している。
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1897年、海上権力史論・・邦訳が出版される。
  アメリ海軍大学校の戦史および戦略の教官・マハン
 の著書=「海上権力史論」が水交社により邦訳されて出
 版された。
  この本は、制海権と通商支配の保持が海上権力の目標
 とする考え方を示した・・艦隊決戦を制海権の柱とみる
 見方を示していた。
  これは、1907年から海軍大学校の教官だった佐藤鉄太
 郎により、日本では、すでに教えられていた。
  日露戦争時の東郷平八郎連合艦隊司令長官の作戦参謀
 の秋山真之もよく知るところだった。
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1900年8月、ロシアは、義和団事件に乗じて南満州を占領し
 た・・ロシアはこの様な行為を良くする・・
  そして、アメリカが、中国の門戸開放宣言(1899年と
 1900年)をしていて、「門戸開放の流れにあるこの様な
 中国」で、ロシアは占領した南満州を門戸閉鎖した。
  また、ロシアは、1902年4月、中国・清と「満州還付に
 関する露清条約」を結び、「撤兵します」と約束をして
 おきながら、約束を守ろうとしないロシアだった。
  歴史の中で、ロシアという国は、この様に約束を破っ
 たり守らなかったりが非常に多い国・・
  まったく信用ができない国・・
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1937年、紡績工場の女性寄宿労働者
  表記のように書くと何か堅苦しい(かたぐるしい)が
 当時、日本を支えていた主要な輸出品の生糸、その蚕の
 繭から糸を紡ぎ出す仕事をした女性の方たち・・企業戦
 士の方々・・
  当時の輸出の花形商品を作っていた女性方たち・・
  しかし、この女性の方々を最初に取り上げた作家が「
 女性哀史」と題名を付け、自虐的に非劇的に表現をした
 ところから誤解が生まれてしまった。
  トランジスターラジオなどで日本の輸出を支えていた
 時も若い女性の方たちだったが、工場の中に入って作っ
 てくれて日本の発展を支えてくれた。
  これと同じである・・女性哀史とネガティブにとらえ
 てイメージが作られ、始まったので生糸を紡ぐ女性たち
 に労働の締め付けなどがあったように「暗いイメージが
 作られた」・・小生も、その仕事をした女性に、直接、
 話を聞いているが、何もその様な虐げる根性の悪どい工
 場経営者なんて日本にはいない・・
  確かに、進んでいる今・現代よりも労働環境は時代を
 思わせるが、また、女工哀史も読んだが、ことさら悪く
 書いている小説だと言える・・
  蚕の蛹(さなぎ)の臭いは嫌だったとは聞いた・・そ
 の程度である・・
  当時のある女工の方が書いた文が以下・・
  「正門を出ると築山の植木の陰に男の子が四、五人い
 ました。
  社宅の子かなあ、元気のよさそうな子だなあと見てい
 ると同じ年頃の弟の顔を思い出しました。
  「こんにちわ」と声をかけますと私の顔を見るなり「
 や一い、紡績の豚、紡績の豚」とはやしたてました。
  そして、「親ぶたや」と言うとさあ一っと逃げていっ
 てしまいました。
  多分、私の袴姿を見て言い直したのでしょう。
  一瞬、私の浮き浮きした気分は消滅してしまいました。
  宝塚のむこうをはってこれから杭瀬の町を闊歩しよう
 と思っていたのに頭の血がすう一と下がっていくのが分
 かりました。
  (中略) が、紡績というものに対しての蔑視をもろに
 うけた私の心は深く傷つきました。
  この屈辱をかてにして寮生をこの蔑視から守らねば、
  という正義感のようなものがそのとき、私の身体じゅ
 うをかけめぐりました」
  これは東洋紡績の元従業員の回想の一部であり、彼女
 は昭和12年 (1937年) 2月、19歳で寄宿係として神崎工場
 に入社した。
  入社後まもないある日、来客接待の準備で杭瀬 (尼崎
 市小田地区) に出かけることになり、「はじめてつける
 袴がうれしくて、鏡の前をいったりきたり、似合うて、
 似合うてと誰れかれなく聞いて」、「どこかに出かけた
 い」弾む気持ちで工場の敷地から足を踏み出したとたん
 の出来事だった。
  (その2)
  フランスのストラスブール大学准教授、京都大学特任
 教授のサンドラ・シャール氏が「女工哀史を再考する」
 という本を書いた。
  その本の書評を加藤聖文氏(研究資料館准教授)が書か
 れた(読売新聞2020/3/15)
  表題に「人間らしい姿明らかに」とある。
  この表題の如く、今までの「女工哀史」のキーワード、
 そして、「逃げられれない悲惨さを背負い込んだ」「富
 国強兵を目指した大日本帝国の影」「苛酷な労働を強い
 られた貧しい農村出身の女工たち」のイメージはわずか
 な人たちの作った最初のイメージから始まったと説明し
 ている・・
  この様にして固有な特別なイメージが作られたと・・
  続く「ああ野麦峠」は、女工へのインタビューをした
 りして実像に迫り、ステレオタイプ化された女工像の見
 直しに迫った。
  (参考)ステレオタイプ:本来は同じ鋳型から打出さ
     れた多数のプレート (ステロ版) の意味である
     が、社会学政治学の用語としては、一定の社
     会的現象について、ある集団内で共通に受入れ
     られている単純化された固定的な概念やイメー
     ジを表わすものとして用いられる。
      通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「で
     きあい」の概念、あるいは「紋切り型」の態度
     というふうに訳される。
      ステレオタイプは、複雑な事象を簡単に説明
     するには役立つが、多くの場合、極度の単純化
     や歪曲化の危険を伴い、偏見や差別に連なるこ
     とになる。
      特に、支配者が、社会統制の手段としてそれ
     を意識的に操作する場合には、ナチスユダヤ
     人に対する迫害運動、アメリカの「赤狩り」の
     ような、大きな社会的弊害を引起す。
  しかし、映画化がされると最初のイメージで作られ、
 実像から離れた悲劇性を強調したものになってしまった。
  このため実像から離れた「女工哀史」の本と映画の「
 ああ野麦峠」の作った悲劇が強調されたイメージが定着
 してしまった。
  歴史学において・・「残された多くの記録は、社会的
 強者によって作られたもので、社会的弱者が残した記録
 はほとんどない」・・と・・
  この女工たちも同様で、自らの体験を記録にする術(す
 べ)を持たなかった。
  著者は、フランスの社会史学の手法の応用と言葉に対
 する感性の鋭さでその実像に迫っている。
  「糸ひき歌」や元女工の聞き取り、文字にされない記
 録・・実像へ・・方言がちりばめられた女工たちの言葉・・
 女工たちの多様な人間らしい姿が明らかに・・
  女工哀史は感じられない書評に、やはり作られたイメ
 ージ、ある目的を持って作られたものと感じた。
  親孝行の娘たちが、それでも、それなりに青春の年頃
 の彼女たちに、あまり描かれない日々の楽しさはあった。
     ・
     ・
     ・
2020年3月12日、WHOは、新型コロナウイルスのパンデミ
 ックを宣言した。
  この犯人は中国である・・中国の武漢から流行が始ま
 ったのである。
  中国の武漢から流行し始めた新型コロナ・ウイルスの
 肺炎は、初期の中国での流行を押さえることに失敗し、
 世界へ流行し蔓延することになった。
  今日(2020年3月12日)の新聞は、世界保健機構(WHO)
 が「パンデミックを宣言した」と報じている。
  前のSARSの世界的流行も中国、そして、新型のイ
 ンフルエンザ流行の始まりも多くが中国。
  こんなに多くの悪性な病気の流行を起こす中国に何ら
 かの問題点がある・・直さねばならない。
.
2020年3月14日、「米軍が武漢にウイルスを持ち込んだ」と
 中国が言い出した。
  新型コロナウイルスと呼ばれる今回の肺炎球菌が、中
 国の武漢から流行(はや)りだした当初、中国・武漢市場
 で売られている様々な自然に居る野生生動を食するから
 だと言われた。
  動物から動物へと感染している病気(病原菌)が、動
 物から人間へ感染することが起き・・
  まだ、その段階で止まっていれば良いが、その時、恐
 れられたのが「人間から人間へ感染する様になる」こと
 だった。
  人間から人間への感染で病気が流行することが起きて
 しまうからだ。
  中国発の様々な新型インフルエンザの時も、中国の市
 場で売られている鶏(ニワトリ)が持つ新型のインフルエ
 ンザ・ウイルスだと言われた。
  このインフルエンザが流行して、ある年にはパンデミ
 ックになるのではないかと世の中は「はらはらした」。
  ワクチンが無いと騒がれがれた。
  医療関係者の様な重要な役割をしている人からワクチ
 ン投与をしようと言われた。
  そして、次は次世代を担う人たちだと言われた。
  老人は最後だと言われ、人間の重軽が人知れず語られ
 た。
  この時のこの様な新型のインフルエンザの大騒ぎも中
 国発だった。
  また、何度かの新型インフルエンザの流行も香港型や
 ソ連型などがあった。
  この度の肺炎球菌は、中国の武漢が流行発生地だとは
 っきりしている。
  武漢市の閉鎖が遅かったと言われた。
  そのため、新型肺炎球菌は世界へ飛び火して行った。
  この問題の重要性を気づいた中国人医師が公表すると、
 中国公権力は世間を騒がせたとして、この医師を拘束し
 た。
  そして、この事を中国は隠ぺいした・・公表を押さえ
 させた。
  一刻も早く公表し、かつ、一刻も早く早期の対応が大
 切なのにである・・放置させたため保菌者は、他人へ感
 染させ続けた。
  武漢市の1月の行事などで、皆と会食する場などで広ま
 ってしまった。
  これは大変だと中国の公権力が動き出した時は、完全
 に手遅れの遅い状態だった。
  新型コロナウイルスの肺炎球菌は、世界へと拡大の一
 途の状態となっていた。
  流行発生地の武漢の患者数はみるみる多数となって医
 療崩壊した。
  その事を報じるネットを、また、中国政府は抑え込ん
 だ・・隠そうとした・・秘密にしようとした。
  この様な段階になって、やっと・・中国・武漢市の閉
 鎖がなされた。
  流行拡大を始めた後だった。
  今、中国が、アメリカから武漢に来たグループが広げ
 たのだと言い出している。
  その根拠は説明されてない。
  中国は、当然、その大切な根拠を示して言うべきなの
 をその責任を果たしていない。
  言われなき責任を擦り付けられたアメリカは・・責任
 はお前だみたいなことを言われたアメリカは、当然、国
 の威信を掛けて抗議している。
  韓国の日本に対する「言われれ無き擦り付け発言」「
 根拠無き発言」の様に、アメリカは中国に濡れ衣を着せ
 られている。
  読売新聞(2020年3月14日)の報道では・・
  中国外務省の趙立堅(ジャオリ―ジェン)副報道局長
 が12日、自らのツイッターで、新型コロナウイルスは「
 米軍が武漢に持ち込んだ可能性がある」と主張した。
  中国政府がウイルスの発生源は「中国とは限らない」
 との立場を鮮明にしている中、趙氏の根拠不明な主張が
 波紋を呼んでいる。
  13日の定例記者会見には趙氏は姿を見せず、米メディ
 アなどが同僚の耿爽(グォンシュアン)福報道局長に、
 趙氏の主張の根拠や政府を代表した見解かどうかを問い
 ただした。
  耿氏は質問には直接答えず、「武漢ウイルス」と呼ぶ
 米政府高官らを非難した上で「ウイルスの発生源につい
 ては、中国は科学的かつ専門的な意見が必要と考える」
 との立場を繰り返した。
  中国本土ではツイッターは利用できないが、趙氏は2010
 年に開設したアカウントを駆使して国外からの中国批判
 に反論し、「戦う外交官」と呼ばれる。(以下略)
.
2020年3月17日、厚生労働省は、15ヶ所の新型コロナウイル
 スの感染拡大の原因を作ったクラスター(小規模な感染集
 団)を発表した。
  中国の武漢に発生し始まった今回の新型コロナウイル
 スの肺炎の伝染病は、この日本の15ヶ所のクラスターへ
 伝染され、日本の感染拡大が始まったのだった。
  経済的にこんなに打撃を与えられている新型コロナウ
 イルスの感染がこの様な限定されたヶ所から始まってい
 る。
  初期に、今、行っているレベルの行動を起こしていれ
 ば拡大を押さえる可能性が十分にあったと感じさせる。
  早期に、発生国からの入国規制や、15日間の経過観察
 の措置をとれば、日本の感染拡大は押さえられた。
  国内に入ってからでは遅い。
  いつも、この類いの伝染病は中国が発生国となって、
 無策で卑劣な再発が繰り返されている。
  これだけ繰り返したのなら、次回も中国発の迷惑伝染
 があると思わなければやらない。
  次回に同じ様なことが発生したら中国が何を言ようが
 「入国禁止措置をすぐ取るべきだ」。
  まったく無策な繰り返しを中国は行っている。
  東京オリンピックパラリンピックも延期しなくては
 ならないだろう。
  日本の元自衛隊の将軍の提言・・
  コロナ対処に見る日本の欠陥
  2020年1月の春節(過去最高の訪日者)など中国から
 の旅行者の流入を止めず!(局地のみ)
  日本の各所(中国人旅行の痕跡大)に浸透を許して、
  3月、本格対処へ(ただし、要請で強制力なし)
  これが戦なら、水際で侵入を止めず、さらに全域に渡
 って敵の侵入を許した後、やっと全般作戦計画を発表す
 るという対処で・・緒戦で勝負あり!
  何を学ぶか!
  ①国境警備・緊急事態法もない欠陥国家!
  ②調整型危機管理の破綻!
  ③感染拡大は国防動員法による内部蜂起と同じ!
   中国頼みは致命的
  ④尖閣衝突でも局所しか防衛出動はかけない危惧
   (危機管理の中枢に自衛官経験者を)
.
2020年3月18日、感染源について米中が応酬する
  アメリカに責任転嫁する・・防疫努力を中傷する
  読売新聞によると・・
  米国のポンペオ国務長官と中国外交トップの楊潔篪
 よう・けつち)共産党政治局員は16日、電話会談し、新
 型コロナウイルスに関する両国政府高官らの言動を巡っ
 て激しく非難し合った。
  米国務長官によると、ポンペオ氏は「中国が新型コロ
 ナウイルスの責任を米国に転嫁しようとしている」とし
 て、楊氏に「強い異議」を伝えた。さらに「今は偽情報
 や常識外れのうわさを流布させる時ではない」と強調し
 たという。
  中国政府は「ウイルスの感染源は特定できていない」
 との立場で、外務省報道官は、米軍が中国にウイルスを
 持ち込んだ可能性に言及した。
  米政府はこうした中国の態度に強く反発している。
  「武漢ウイルス」との言葉を使ってきたポンペオ氏に
 続き、トランプ大統領も16日のツイッターで「中国ウイ
 ルス」と表現した。
  一方、中国外務省の発表によると、会談で楊氏は「米
 側の一部は、中国側の防疫に向けた努力をいつも中傷し、
 中国に汚名を着せている。
  断固として反対し、強く非難する」と述べた上で、「
 米側は中国に対するいわれなき非難を即刻やめるべきだ」
 と主張した。
.
2020年3月22日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
   (1)80,881(3,226)3.99%...④
    (1)80,894(3,237)4.00%...
     (1)80,928(3,245)4.01%...
      (1)81,008(3,255)4.02%...⑦
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0.89%...⑪
   (5)8,320(84)1.01%...⑪
    (5)8,413(84)1.00%...
     (7)8,565(94)1.10%...
      (8)8,799(104)1.18%...⑲
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
   (2)27,980(2,158)7.71%...①
    (2)31,506(2,503)7.94%...
     (2)35,713(2,978)8.34%...①
      (2)47,021(4,032)8.57%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
   (3)16,169(988)6.11%...②
    (3)17,361(1,135)6.54%...
     (3)18,407(1,284)6.98%...③
      (4)20,610(1,556)7.55%...③
 (5)フランス1.126(19)1.69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
   (6)6,633(148)2.23%...⑧
    (7)7,730(175)2.26%...
     (6)9,134(244)2.67%...
      (7)12,612(450)3.57%...⑧
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
   (7)6,012(13)0.22%...⑭
    (6)8,198(12)0.15%...
     (5)10,999(20)0.18%...
      (6)16,662(47)0.28%...25
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
   (4)11,178(491)4.39%...③
    (4)13,716(588)4.29%...
     (4)17,147(767)4.47%...⑤
      (3)24,926(1,326)5.32%...⑤
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
   (8)4,482(86)1.92%...⑨
    (8)5,881(107)1.82%...
     (8)8,317(147)1.77%...
      (5)17,962(239)1.33%...⑯
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
   (14)880(29)3.30%...⑥
    (14)918(31)3.38%...
     (14)961(33)3.43%...⑧
      (15)1,054(36)3.42%...⑩
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
   (9)2,269(14)0.62%...⑫
    (9)2,269(19)0.84%...
     (9)3,438(33)0.96%...
      (9)6,133(56)0.91%...⑳
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
   (10)1,543(55)3.56%...⑤
    (10)1,950(60)3.08%...⑧
     (10)2,626(103)3.92%...⑦
      (10)3,983(177)4.44%...⑥
 (12)シンガポール160( )%...
  (20)200(0)0.00%...
   (20)266()%...
    (21)266()%...
     (21)345()%...
      (21)432(2)0.46%...23
 (13)マレーシア117( )%...
  (21)197(0)0.00%...
   (15)673(2)0.30%...⑬
    (15)790(2)0.25%...24
     (15)900(2)0.22%...26
      (14)1,183(8)0.68%...21
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
  ()
   (25)162(4)2.47%...⑦
    (26)181(4)2.21%...⑫
     (26)208(4)1.92%...⑭
      (27)273(4)1.47%...⑭
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
   (16)452(5)1.11%...⑩
    (17)565(6)1.06%...⑯
     (16)692(6)0.87%...22
      (16)1,068(7)0.66%...22
 (16)バーレーン77()%...
  (24)189(0)%...
   (22)221(1)0.45%...
    (22)242(1)0.41%...22
     (23)256(1)0.39%...23
      (24)287(1)0.35%...24
 (17)カナダ62()%...
  (22)193(1)0.52%...
   (17)424(4)0.94%...
    (16)569(8)1.41%...⑮
     (17)690(9)1.30%...⑯
      (17)971(12)1.24%...⑰
 (17)クウェート62()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (18)イラク55(6)10.91%...
  ()
   (28)124(10)8.06%...
    (27)154(11)7.14%...③
     (29)164(11)6.71%...④
      (28)208(17)8.17%...②
 (19)タイ50(1)2.00%...
  ()
   (24)177(1)0.56%...
    (23)212(1)0.47%...21
     (22)272(1)0.37%...24
      (22)411(1)0.24%...27
 (20)エジプト48()%...
  ()
   (25)166(4)2,41%...
    (25)196(6)3.06%...⑨
     (25)210(6)2.86%...⑩
      (25)285(8)2.81%...⑪
 (21)台湾45(1)2.22%...
  ()
   (29)77(1)1.30%...
    (29)100(1)1.00%...⑰
     (30)108(1)0.93%...⑳
      (30)153(2)0.13%...28
 (21)アラブ首長国連邦45()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (23)インド43()%...
  ()
   (27)137(3)0.22%...
    (28)147(3)2.04%...⑬
     (28)167(4)2.40%...⑬
      (26)283(4)1.41%...⑮
 (24)イスラエル39()%...
  (25)161(0)0.00%...
   (19)324()%...
    (19)427()%...
     (18)529()%...
      (19)883(1)0.11%...29
 (25)ブラジル25()%...
  (27)151(0)0.00%...
   (21)234()%...
    (20)290(1)0.34%...23
     (20)428(4)0.93%...⑳
      (18)904(11)1.22%...⑱
 (26)フィリピン20(1)5.00%...
  ()
   (23)187(12)6.42%...
    (24)202(17)8.42%...①
     (24)217(17)7.83%...②
      (23)307(19)6.19%...④
 (27)アルゼンチン12(1)8.33%...
  ()
   (30)65(2)3.08%...
    (30)79(2)%...
     (31)97(3)3.09%...⑨
      (29)158(3)1.90%...⑬
 (28)マカオ10()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (29)メキシコ7()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()オランダ
  (12)804(10)1.24%...
   (11)1,413(24)1.70%
    (11)1,705(43)2.52%...⑩
     (11)2,051(58)2.83%...⑪
      (11)3,003(107)3.56%...⑨
 ()オーストリア
  (17)504(1)0.20%...
   (13)1,132(3)0.27%...
    (12)1,471(3)0.20%...25
     (12)1,843(5)0.27%...25
      (13)2,664(7)0.26%...26
 ()ベルギー
  (16)559(3)0.54%...
   (12)1,243(10)0.80%...
    (13)1,243(10)0.80%...⑳
     (13)1,795(21)1.17%...⑰
      (12)2,815(67)2.38%...⑫
 ()カタール
  (18)320(0)0.00%...
   (18)401()%...
    (18)442()%...
     (19)452()%...
      (20)470()%...
 ()ノルウェー( )%...
  (10)996(1)0.10%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()スウェーデン( )%...
  (11)814(1)0.12%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()デンマーク( )%...
  (13)804(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()ギリシャ( )%...
  (23)190(1)0.53%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()フィンランド( )%...
  (26)155(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()スロベニア( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()チェコ( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 (参考)上段は読売新聞2020年3月9日
     中の上段は日本経済新聞3月15日
     中の中段は読売新聞2020年3月18日
     中の下段は読売新聞2020年3月19日
     下段の上は読売新聞2020年3月20日
     下段の下は読売新聞2020年3月22日
      WHOおよび各政府発表データー
     感染者数(死亡者数)死亡率
      3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
  (評)
  ・中国の感染者数が極端に多すぎる。
  ・台湾が少なくて素晴らしい。
  ・イラン、イタリア、韓国の感染者数の多のは中国人
   が多く入ったから・・日本の北海道・兵庫がこれ・・
   兵庫県はマスクを100万も中国へ送った。北海道は
   中国に多く土地を売り、多くの港が寄港の契約を
   している親中ぶり・・
  ・イタリア、イラン、スペイン、スイスの感染者の増
    加率が大きい。
  ・日本・シンガポールの感染者数の増加率は極端に低い
  ・イタリアの死亡率の増加が著しい。
  ・イランスペイン、日本の死亡率が増加傾向
  ・アメリカ、オーストラリアの死亡率が低下傾向
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/