(増補版)670E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)

題:(増補版)670E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
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1897年4月27日、高等商業学校付属外国語学校が設立された。
  これは再興だった(現:東京外国語大学)  
  1857年、日本には、外国語学校の起源として江戸幕府
   によって蕃書調所がこの年に設立されていた。
  1869年、英語と仏語の2学科の「開成学校」(現:東京
   大学)が出来る。
  1873年、東京外国語学校が出来る(英、独、仏、ロシ
   ア、中国語の5語学科)・・1887年、他の学校と合
   併して東京商業学校(のちの高等商業学校、現:一
   橋大学)となる・・語学校として姿を消す・・
  1897年、故に、再興となる。
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1897年4月27日、帝国図書館が開館する。
  東京図書館帝国図書館と改め、整備を行う。
  1872年設立の書籍館(図書館の古称)を起源として、
 この年に設置された。
  1949年、国立国会図書館に統合され、消滅した。
  この歴史ある建物は、国立国会図書館支部上野図書館
 を経て・・
  2000年、国立の児童書専門図書館である国立国会図書
 館国際子ども図書館として再生された。
  現在も、国立の図書館として存続している。
  この図書館は、上野公園にあることから「上野図書館
 と呼ばれ、親しまれた・・
  多くの文豪や学者もこの図書館に通った・・
  日本の近代を作った図書館である。
   尚、1872年設置の書籍館は、旧幕府の昌平坂学問所
 和学講談所、蕃書調所などの所蔵していた貴重な古典籍
 を蔵書の基礎とした。
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1897年4月27日、京都鉄道二条駅~大宮駅間が開通した。
  1893年京都鉄道が、民営鉄道として設立された。
   日本海側の主要都市である舞鶴までの鉄道敷設が課
   題となっていて設立された。
  1895年、京都駅から綾部を経て、舞鶴に至る鉄道免許
   を受けた。
  1897年2月15日、二条駅~嵯峨駅(現:嵯峨嵐山駅)間
   が開業した・・また、この時、二条駅も開業した。
  1900年、京都駅~園部駅間が開業する。
   断崖絶壁に線路を通す難工事だった・・
   また、トンネル8ヶ所、橋梁は50ヶ所を越え、保
   津峡もまた難工事だった。
   しかし、これ以北は、資金難のため工事は進まなか
   った。
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1897年4月28日、九州鉄道が、筑豊鉄道線を自社の延長線と
 することを出願した(8月26日免許)
  筑豊鉄道は、1891年に設立された福岡県に存在した民
 営鉄道創世記における代表的は企業だった・・が・・
  この後、1897年10月1日、筑豊鉄道は、九州鉄道と合併
  し・・
  1907年に、鉄道国有法により国有化された。
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1897年4月、ハワイ移民の549人が、またも上陸拒否にあっ
 た。
  前記のブログに詳しく記したが、ハワイを手に入れよ
 うとするアメリカに影響される傀儡的なハワイ政府が、
 日本人労働者の人口増加と、それに伴う日本の影響力増
 大を警戒した。
  ゆくゆくアメリカはハワイを合併しようとしていた。
  1898年8月、落ち度を認めたハワイ政府は、日本へ賠償
 金を支払うことで決着した。
  1900年、これから3年後のこの年、ハワイはアメリカの
 準州にされてしまった。
  この様なアメリカの行為の延長線上にアメリカの中国
 の利権獲得と日本との確執が第二次世界大戦の遠因とな
 る。
  アメリカは盛んに中国・蒋介石に肩入れした。
  アメリカ本土では、排日土地法などが成立して日本人
 排斥が盛んに行われた。
  1924年に至ると「1924年民法」が成立し、事実上、
 日本人のハワイ準州を含むアメリカ入国が禁止された。
  この1924年、日本の移民に終止符が打たされた。
  そして、ハワイに在住している日本人は永住するのか?
 帰国するのか?の選択を迫られた。
  これが、日本のブラジル移民の切っ掛けとなった・・
  1925年よりブラジル移民が開始された。
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1897年4月、政府が、函樽鉄道株式会社の発起人・平田文右
 衛門ほかに対し、仮免許状を下付した。
  1886年函館駅小樽駅を結ぶ鉄道の敷設について岩
   村道庁長官が開拓事業の一環として取り上げて以来、
   歴代長官によって計画が取り上げられてきた重要事
   項であった。
    しかし、容易に実現する兆しはなかった。
  1895年の日清戦争後に全国的な私鉄に対する投資過熱
   が起き・・
  1895年2月、北海道鉄道や
  1896年1月、函樽鉄道などの各社から相次いで鉄道敷設
   の申請がなされた。
   しかし、いずれも認可されるには至らなかった。
  1896年5月、鉄道敷設の重要性について認識が高まり、
   「北海道鉄道敷設法」が制定された。
   予定6線のうちに「後志国小樽ヨリ渡島国函館二至
   ル鉄道」が明記された・・しかし、計画としては第
   二期に編入された。
   実現は早くとも10年後という状況だった。
  1896年6月、この様な情勢から、有志によって再度なさ
   れた函樽鉄道株式会社の設立認可申請に対して・・
  1897年4月、仮免状が下付された。
   しかし、折からの経済不況のため、株式の募集も予
   定どおりにはかどらず、会社の設立準備も進められ
   ないという状況だった。
   仮免状有効期限延期を二度も出願し、許可を受ける
   という状況であった・・設立が危ぶまれた。
  1899年10月、苦難の中、ようやく会社創立総会が開か
   れた。
  1900年2月、函樽鉄道株式会社が社名を北海道鉄道株式
   会社に変更し、設立されるに至った。
   その後、まだ紆余曲折したが・・
  1902年4月、政府が会社の申請を認め、1マイル(約1.61
   キロメートル)当たり8000円の国庫補助が指令され
   た。
   また、3年半をもって全線を完成するよう命じられた。
  1902年6月、工事は、これ以前の1901年6月から一部が
   直営をもって着手されていたが・・
   1902年6月から本格的な建設に入った。
  1902年11月、工事は、極めて順調に進められ、亀田駅
   ~本郷駅(渡島大野)間は1902年11月に完成した。
  1903年5月、八雲地方を含む森駅~熱郛駅間が完成し・・
  1904年10月15日、箱館駅~小樽中央駅(高島)間の全
   長159マイル余(約255.9キロメートル)がめでたく
   開通した。
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1897年4月、アメリカの第26代大統領になるセオドア・ル
 ーズベルトが、この年、海軍次官に起用された。
  セオドア・ルーズベルトは、アメリカ合衆国の発展は、
 「対外膨張しかない」と考えていた。
  そのため、彼は、ウィリアム・マッキンリー大統領へ、
 「アメリカ合衆国のアジア艦隊は、マニラを封鎖し、出
 来ればフィリピンを占領すべきである」と・・
  そして、「フィリピンの占領をすべき」と口にして進
 言した。
  また、セオドア・ルーズベルトは、上院議員のヘンリ
 ー・カボット・ロッジとアメリカの海外発展を計画して
 いた。
  このロッジ上院議員は、1895年3月発行の「フォーラム」
 誌で、「太平洋におけるアメリカ合衆国の商業的優位を
 保つため、ハワイ諸島を支配しなければならない(占領
 政策)」と・・
  また、「サモアにも影響力を持たねばならない」と主
 張した。
  アメリカの帝国主義占領政策を促(うなが)してい
 た。
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  (今日の言葉)
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  題:1897年、この年、アメリカの第26代大統領になるセオドア・ルーズベルト海軍次官に起用された・・
    彼は、マッキンリー大統領へ、「フィリピンを占領すべきだ」との占領政策を進言した。
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8世紀、「ギリシャはヨーロッパだ」とヨーロッパ人は言い、
 そのギリシャ文明を引き継いでいると言ったって・・
  その古代のギリシャの文明を引き継いで発展させて来
 たのはイスラムの世界であり、ビザンチンの世界だった。
  (ビザンチンは、8世紀以降、バルカン半島、アナトリ
 ア半島を中心とした国家となり、縮小した。
  そして、民族的・文化的にギリシャ化が進んで行く・・
  この様な事から「ギリシャ帝国」と呼ばれた・・
  13世紀以降には、住民自らも「ギリシャ人」と呼んだ)
  キリスト教世界のヨーロッパは、古代ギリシャの文明
 を引き継いだとは言えても、奪って来たものだった・・
  「古代ギリシャ文明を引き継ぎ発展させたイスラム
 界やビザンチンから奪って来た不名誉な文明だった」。
  これが事実であって、文明的にはヨーロッパはイスラ
 ム世界の世話になっている。
  また、ヨーロッパ人は誇りにしていた自国の文明と、
 そして、蔑視していたアジアの文明の比較においても、
 中国の存在を知るや、その鼻はへし折られた。
  キリスト教に洗脳されたヨーロッパは、野蛮に征服行
 為を行なって、奪って来るだけだった。
  ヨーロッパは、この様な歴史的事実を曲げて、自らの
 中に発展の契機を求め、ヨーロッパ自身をゆがめ・・そ
 して、安住した。
  しかし、悲しいかな・・事実は変えられない。
     ・
     ・
     ・
1687年、ヨーロッパ人の意識を変えた事件・・その発端は、
 1687年に起きた。
  ルイ14世が病気快癒し、それを祝うアカデミーの席上
 で、文学者のシャルル・ペローが読みあげた詩だった。
  彼は、ルイ14世を讃美した詩「ルイ大王の世紀」を発
 表した。
  その中に「ルイ14世の時代は素晴らしい、優れている」
 と讃美した。
  これが問題となった。
  「今の時代の方が譲れていて素晴らしいか?」である。
  当時は、キリスト教の教父と言われるアウグスティヌ
 スが生きた「古代の方が優れていた」とされていた。
  古代を高く評価して、今を、その古代より高めようと
 する考え方の時代だった。
  だから「古典主義文学」の全盛時代だった。
  ラテン文学の黄金時代だった。
  古典主義文学者たちは怒った。
  アカデミーでの論争が始まった・・
  議論は、サロンを通じて広く伝えられて、フランスの
 世論が二分される論争となった。
  論戦で最も活躍したのが「サロンの哲人」と呼ばれた
 フォントネルだった。
  彼は、17世紀の科学革命の成果を広く伝えながら、そ
 れを根拠に、「近代を高く評価した」。
  18世紀に入り、「近代派が圧倒的勝利」となって終わ
 った。
  ギリシャ、ローマを古典として手本とする歴史意識の
 退歩主義は駆逐された。
  近代を、古代より高度な文明を有する時代と捉える進
 歩の過程を捉らえることが通念化して行った。
  「科学革命」が人々の中にしっかり意識されて行った。
  古代よ、サヨナラの時代だった。
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1799年、幕府は、北海道の東蝦夷地を直轄とした。
  幕府は、道路の開削に力を入れ、箱館からエトロフ島
 に至る道路を開いた。
  これによって人馬の通交の支障は無くなった。
  陸上輸送もより便利にできる様になり、また、海上
 送も整備された。
  1809年の「蝦夷渡海記」にも・・
  「ヤマサキ河上道に橋有道良、海岸汐時に寄深ヌカシ
 テ(ママ)馬蹄難進ことあり用心いたす所なり」とある。
  また、幕府は、道路の開削と並行して交通の便を図る
 ため、各種の施設を設けた。
  浦河以東の東蝦夷地10か所に会所を設置したりした。
  以後、増設して行った。
  そして、東蝦夷地一帯にわたって宿泊の不便を無くす
 ようにした。
  旅舎は初め会所と同じであったが、後に、宿泊専用の
 別棟が設けられた・・これを旅宿所または通行屋と呼ん
 だ。
  会所および通行屋は、人馬継ぎ立てのことも取り扱い、
 急を要する場合には、早馬・早走・早船などの用意があ
 った。
  また、宿泊地の中間には昼休所が設けられて、幕吏や
 藩吏の便が図られていた。
  また、東蝦夷地の各場所には官馬を備え、請負人に委
 託して飼育し、運搬や人馬継ぎ立て様に供した。
  1861年6月には、山越内の関門が廃止され、通行が自由
 になった。
  この事もあって、交通はますます盛んとなった
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19世紀、西洋人は、満州を「満州人の土地」とした・・今
 は、中国に侵略されているが・・
  満州は、満州語で「マンジュ」の発音を漢字表記した
 ものである・・
  元来は、民族名や国名であって「地名ではない」。
  しかし、19世紀以降、西洋人が、この地を「満州人の
 土地」という意味で使い始めた。
  このことに起因して、日本でも、今のこの中国東北地
 方を満州と称する様になった。
  現在、漢民族中華人民共和国(20世紀中頃に建国さ
 れた)が自国領とし、あえて「中国東北部」と称する様
 にさせられているが・・間違いである。
  日本は、かつて、この地を満州民族の方々の地として
 「満州国の建国を助けたが・・これが正しい」。
  今、「中国東北部」と呼ばされているこの地は、正し
 くは「中国東北侵略部」であり、「満州国」なのである。
  侵略性を持つ中国は、今、この地からロシア領への浸
 透を謀(はか)っている。
     ・
     ・
2015年、人類の終末が訪れると・・
  ニュートンは、キリスト教を信じていた。
  そのニュートンが信じたキリスト教は「人類史は6000
 年と説いていた」。
  ニュートンは計算した、すると「人類の終末が2015年
 と算出された」。
  愚かしいキリスト教の観念を持っていたニュートン
 ったが、彼の自然を見る目から導き出されたニュートン
 物理学、そして、その他の真実が・・、
  結局、キリスト教の架空の教理や論理を崩壊させた。
  キリスト教の間違ったベールが剥がされて行った。
  今、キリスト教は、最早、過去の醜態を曝(さら)す宗
 教の存在でしかない。
  残された歴史には「インディオの方々の絶滅」などの
 弱小の民族の殺戮や、魔女裁判に見る「弱者の殺戮」・・
  「異端審判に見る殺戮」「ユダヤ民族の方々の殺戮」
 など・・殺戮の歴史しかない。
  イギリスの大新聞の世論調査によると・・
  「キリスト教は21世紀中に消滅する」という意見が多
 数の見方になっている。
  大殺戮者のキリスト教が、急に、手のひらを返した様
 に「救済」を叫んでも・・自己の生き残りをかけた偽善
 としか見えない。
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2019年12月3日、中国の習近平氏の国賓訪日・・自民党内か
 ら異論が出る。
  中国の習近平国家主席の来春の訪日について、国賓
 遇で迎える事に自民党内で異論が相次いでいる。
  香港で激化する警察隊とデモ隊の衝突や、尖閣諸島
 辺の日本領海に中国公船による侵入が相次ぐなどの課題
 が山積みするなか、「国民が納得できるのか」と再考を
 求める声が出ている。
  「なぜ天皇陛下が前面に出る『国賓』なのかという説
 明が足りない」。
  3日、参議院外交防衛委員会佐藤正久前外務副大臣
 こう質問した。
  国賓は日本政府が外国から客を招く「公式訪問」の5段
 階のうち最高ランクで、滞在中は宮中晩餐(ばんさん)
 会も開かれる。
  さらに、佐藤氏は香港情勢について「根本的責任は中
 国政府とその政権党にあることは明らか」とする日本共
 産党の声明を読み上げ、「党派を超えて共有する部分も
 多い」と言及した。
  自民党議員らが問題視する背景には、相次ぐ日本人拘
 束事案もある。
  3日の党外交部会などの合同会議でも、複数の議員から
 「(国賓で)国民が納得できるのか」といった声が出た。
  また、11月13日には党議員の有志が「諸懸案に改善が
 無い場合、国賓としての来日に反対する」という声明も
 発表した。
  一方、党執行部は国賓待遇を支持する考えを示してい
 る。
  岸田文雄政調会長は2日、「要人が往来する事で中国と
 の関係をコントロールして行くことは大事な事」と強調
 した。
  二階俊博幹事長も11月の会見で「国賓待遇でお招きす
 るのは当たり前のこと」と述べた。(朝日新聞2019年12
 月4日)
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2019年12月7日、NHKの小会社の余剰金は、「受信料値下
 げに使われるべきだ」と立教大学教授が見解を述べた。
  読売新聞に、服部孝章立教大学名誉教授(メディア
 法)の話があった。
  「NHKの事業原資は受信料であり、その経営は収支
 均衡が原則だ。
  NHKは当然だが、小会社の利益余剰金も本来、視聴
 者に還元すへきものだ」。
  「株式配当を増やしてNHKに戻し、NHKはこれを
 受信料を下げる原資に充てるべきだ」。
  「必要以上に事業を拡大させて来た背景の一環には巨
 額の余剰金の問題がある」・・と・・
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2019年12月7日、中国政府のウイグル弾圧
  中国政府が、新疆ウイグル自治区イスラム教を信仰
 する少数民族ウイグル族らを弾圧している。
  米国などが批判を強めている。
  区都ウルムチの街角には、中国語の宣伝標語や音楽が
 あふれている・・
  中国政府は盛んに中国化への洗脳をしている。
  また、ウイグル人の方々を拘束する行為もしている。
  国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が公表
 した文書には、収容施設で弾圧している実態も記されて
 いる。
  ウイグルの方々の脳へ刻み込むという行為だった・・
  ウルムチの街頭や飲食店に設置されたスピーカーから
 は大音量で童謡調の歌が流されている。
  その中国語の歌詞では・・
  「法治、愛国、誠信・・これらは中国人の宣言だ・・
 私たちの価値観を脳の中に刻み込もう」と歌っている。
  漢民族と55の少数民族の団結の呼びかけである・・
  また民族の「緊密な団結」を訴える横断幕が目に付く。
  その裏は、大きな民族の漢民族が支配する社会の実現
 で・・それに強制的に同調させられる少数民族がある。
  町の声は・・
  「私はウイグル人だ。中国人にはなれない」と、果物
 店の男性店主は本当の気持ちを話した・・
  だが、中国政府は、名目的にテロ対策を掲げて・・町
 中のあちこちに張り巡らされている「監視の目」は、す
 でに住民の思想にまで踏み込んで来ていた。
  ICIJが今年11月、中国当局関係者から入手したと
 して公表した複数の内部文書には、最新技術によって厳
 格に監視を実施する実態が示されている。
  この文書は、自治区共産党委員会が作成したとされる。
  これらによると、自治区で運用されている最新システ
 ムは、監視映像や携帯電話のデータなどを解析し(盗聴)、
 1週間のうちに、思想などが「疑わしい人物」として約2
 万4000人が特定された。
  そのうちの約1万6000人が「職業教育訓練センター」と
 称する強制収容施設に送られた。
  (これでは、まるで第二次世界大戦の時、ドイツが、
 ユダヤの方々をアウシュビッツへ送ったことと同じ行動
 である)
  文書の一つ、訓練センターの運営指針には「思想教育」
 の項目がある。
  (これは、前回、このブログに記した例の中国・共産
 社会が行なう激烈な思想洗脳教育である)
  死角が生まれないように監視カメラが設置された施設
 で個々の収容者が見張られている・・
  そして、その収容者の認識が変わるまで指導するよう
 その文書は求めている。
  収容者に、収容者同士が内部通報させる制度もある。
  『心理矯正が重要なのだ』と位置づけている。
  そして、思想が変わらなかったら自由の身にしてはな
 らない・・施設を出してはならないとしている。
  (日本がされた事と同じである)
  言葉もウイグル語から中国語に変える様に指示してい
 る・・
  頭の中から言葉まで「中国人の漢民族にしてしまえ」
 という指示である・・人権はまったく認められていない
 し、人権無視である。
  中国政府は、自分勝手な中国政府の解釈の主張を言っ
 ているだけ・・
  ウイグルイスラムの過激思想を持っている・・など
 と言っている・・
  アメリカのメディアは、収容中に宗教を強制的に変え
 させられていると指摘している・・
  また、尊重すべき各人の風習まで変えさせられている
 と指摘している・・
  個人のその宗教や風習の強烈な否定が行われている・・
  習近平は、「信仰より党の指導が上だ・・優先される」
 としている。
  国連がしているSDGsなどまったく関係ない・・無
 視している。
  2019年12月3日、アメリカ議会の下院は、アメリカ政府
 に中国に対する制裁を含めた対応を求める「ウイグル人
 権法案」を可決した。
  「香港人権・民主主義法」に続きウイグル人権法案も
 成立すれば、アメリカの中国へ対峙する姿勢もより鮮明
 となる。
  『正義のアメリカ』が腰を上げた。
  日本は、こんな中国の習近平を日本の「国賓」として
 呼ぼうとしている??
.
2019年、習近平が訪日する時にしてもらいたい事・・
  マルクス主義者が、暴力革命を実現しようとしたこと
 は、遠い昔のこと・・
  今・現代は・・
  既存の体制を外から暴力で破壊するのではなく、「体
 制内に入り込んで」内部から秩序の転覆を図る・・とい
 う行為を行っている。
  こんなことは、今や常識、誰もが知っていること・・
  そして、今、かなりの者が日本の国政の中枢へと入り
 込んでいる。
  誰が秩序破壊者なのか?
  それだと意識しないうちに、社会の秩序が乱されて行
 く。
  あらゆる工作がなされている。
  レーガン大統領が偉いところは、ベトナム戦争でアメ
 リカが二分され、分裂されるという危機の時・・、アメ
 リカ社会が分裂するという危機にあった時・・
  首都ワシントン郊外のメモリアル・パークにベトナム
 戦死者慰霊碑を建立して、「国家に殉じた英雄」として
 戦死者の氏名を刻印して・・慰霊した。
  国家として戦死者の氏名を刻印して・・慰霊した。
  国家の行為として行ない、戦死者の遺族の方々は、当
 然、慰霊碑に詣(もう)でて、憚(はばか)ることなく故人
 の霊を慰(なくさ)めることができた。
  一般のアメリカ国民の方々も、ベトナム戦死者の功績
 を感じ、そして、自らの魂を重ねた。
  アメリカ国民の方々の精神的支柱として「大切な絆と
 なった」。
  アメリカ国民の方々の中に「一体感が醸成され、再生
 された」。
  しかし、日本における、この様な行為に共産国家・中
 国が反対する。
  色々と中国なりの理屈をつけて「反対」の「内政干渉
 をする。
  もともと中国の共産主義は宗教を否定している、霊な
 どという概念も疎かで・・その様なものはない。
  この様な自分の主義で、この様な行為である靖国神社
 への参拝行為を反対している。
  勝手な主張であり、行為である。
  この度、習金平・中国国家主席が日本に来るが、是非、
 靖国神社へ参拝して戴きたい。
  自国の好き嫌いを、日本に来てまでして押し付けるな・・
  その様な行為は「内政干渉である」。
  日本に来たら、日本のやり方に従って戴きたい。
  そして、アメリカのレーガン大統領が重視して大切に
 した如く、「この様な行為が大切なのだ」ということを
 実感して戴きたい。
  中国は、日本がこの様な行為をすることによって結束
 が強くなることを、中国は不味(まず)いと感じている。
  また、この様な深い意味を知ってか知らぬか、アメリ
 カの日本大使だったケネディ女史が、軽薄にも日本の靖
 国神社参拝を批判した。
  中国と同じような言葉を吐いた。
  自国のレーガン大統領の例などを知っていたのか?
  日本の行動がこれによって抑制された。
  アメリカ政府は、日本の靖国神社参拝を支援せよ!!
  国に殉じた英雄を敬う行為は大切なのだ。
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2019年、中国のこれからとる戦略は、世界に中国銀行をど
 んどん増やして、また、華僑を増やして行く。
  目的は中国・人民元の流通である。
  中国・人民元信用創造である。
  目的は、世界の基軸通貨アメリカ・ドルの駆逐であ
 る。
  この流れは・・止められることはない。
  アメリカ・ドルの基軸通貨の立場を縮小させて行く。
  世界は・・二つの基軸通貨を持つ世界となる。
  その次に来る世界は、多基軸通貨世界である。
  世界に構築されたアメリカ金融システムは縮小して行
 き・・他の流通通貨がその代替をする。
  金融の多流通世界で、ある意味、グローバル化である。
  中国の勢いは止めることはできない。
  アメリカがした基軸通貨の立場を利用した行為を、中
 国もまた行なう。
  中国は、「世界の覇権を握りたい」と今・現在の行動
 をより一層鮮明にして行く。
  政治システムを中国は変えることなく「進めて行く」。
  アメリカと中国の二大超国家による対決の世界となる。
  経済から始まる対決は必然である。
  中国の政治体制を許して、「そのままの体制のままで」
 民主主義世界に参入させたところからこの道は始まった。
  いい意味も悪い意味もそのまま持って世界に参入した。
  民意の常識による変革ということがない中国、また、
 それが出来ない体制の中国社会が参入して、大きくなっ
 てしまった。
  民主主義社会の中で、発達した美味しいところだけを
 食べる異質の社会が、ブロパガンダも駆使して、人民も
 参加させて、増殖をし始めて、大きくなってしまった。
  その抗生物質は生まれるのか?
  その抗生物質のーつが、長い歴史に育(はぐく)まれて
 そして幅広く、また高いモラルの「日本の考え方」であ
 る。
  これを「世界が知ること」である。
  将棋という子供たちもする遊びでも王というトップが
 取られたことにより終わる。
  その途中において、王以外の臣下たちは命を取られる
 ことはない。
  捕まり、相手の駒となって生き続けることができる。
  チェスの様に殺されることはない。
  また、日本の「もったいない」という言葉でノーベル
 賞を取った方が居たが、もっとこの言葉は世界に普及し
 定着させねばならなかった・・など・・世界は日本に学
 ばねばならない。
  中国が、新たなる国連を作ったなら日本は参加しなけ
 ればならない。
  敵国条項のある今の国連は「過去の用済みの形態だ」・・
  そして、既存の国連は脱退すべき・・
  中国は、自国に合う新たな国際秩序を作るための行動
 をするだろう・・
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