(増補版)666E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年3月)

題:(増補版)666E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
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1897年2月、来日したアメリカ人のモールスとの間に京仁鉄
 道の譲受け交渉が進められる。
  1897年5月8日、京仁鉄道引受組合とモールスとの間に
 正式契約が成立した。
  京仁線は、大韓民国のソウルにある鉄道路線で、朝鮮
 半島最初の鉄道。
  経緯・・
  1894年8月20日、日朝暫定合同条款。
  1895年3月30日、日本銀行と朝鮮政府間に300万円の借
   款(年利6分。租税抵当3年据置後2年で償還。銀貨と
   紙幣半額ずつ)。
  1896年1月、朝鮮政府が経費不足300万円と鉄道建設費
   200万円の借入の申入れ
  1896年3月29日、京仁鉄道敷設権をモールスに売る(日
   朝暫定合同条款の違反行為)
  1896年4月17日、朝鮮駐在公使・小村寿太郎、朝鮮政府
   に対し、アメリカ人モールスに京仁鉄道敷設権を与
   えることは暫定合同条款違反と抗議をする。
  1896年1月、モールスが、建設資金を本国で募集するも
   出資者がなく日本に出資をもとめる。
  1897年1月、モールスが、大川平三郎経由で京釜鉄道発
   起委員長の渋沢栄一へ京仁鉄道敷設権の譲渡を申し
   出る。
  1897年5月4日、京仁鉄道引受組合が成立する。
  1897年10月21日、アメリカ人モールスが、価格を5万ド
   ルから30万ドルに要求する。
   モールスに百万円貸与で解決する。
  1897年10月13日、朝鮮から大韓帝国へ。
  1898年3月8日、モールスが三百万円でフランスシンジ
   ケートに転売を計画する。
  1898年10月31日、京仁鉄道敷設工事の紛議が頻出。
   モールスは困り、現状で京仁鉄道引受組合に引渡し
   を提案する。
   百八十万円で買取る。
  1899年1月31日、渋沢が、横浜正金銀行によりモールス
   と会見後、京仁鉄道譲受の手続を完了する。
  1899年5月15日、京仁鉄道引受組合は鉄道敷設工事を直
   営とし、京仁鉄道合資会社設立した。
   渋沢は取締役社長。
  1899年9月18日、仁川から鷺梁津間の一部開通を祝して
   仁川停留所にて開通式を行った。
   山縣総理や各国大使が参列した。
  1900年11月12日、京仁鉄道全線営業開始、全面開通式。
  1903年11月1日、京仁鉄道が京釜鉄道へ合併吸収され、
   京釜鉄道京仁線となる。
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1897年3月2日~3月5日、鉱毒被害民、第一回大挙押出し。
  足尾鉱毒被害者の2000人が農商務省に鉱山の創業停止
 を訴えた。
  足尾鉱毒被害者800名が上京して請願運動
  経緯・・
  1896年9月、大洪水が起き、その直後・・
  1896年10月5日、田中正造は、鉱毒事件の基本的解決を
   をめざして栃木・群馬両県下10ヵ町村有志とともに、
   同盟を結んだ・・この同盟は拡大されて行った。
   運動が被害民を包含する地域の鉱毒反対闘争となっ
   た。
   今までは、個別に県知事や鉱山監督署、農商務省
   どへ請願を行なっていた行動が変わった。
   組織も固められて行った。
   担当官庁である農商務省も対応が変わって行く・・
  1896年11月、農事試験所・技師を群馬・栃木両県へ出
   張させて、鉱毒被害調査報告の提出を求めた。
  1896年12月、省内に足尾銅山鉱毒調査委員会を設けら
   れ、そして、委員5名を任命した。
  1897年2月、第10議会で田中正造は、藩閥政府の責任
   を追及し、鉱業停止を要求した。
   これが新聞に報道されると、組織化されつつあった
   被害農民らの2000余名は,第1回大挙東京押出しを決
   行した。
   憲兵や警官の阻止行動を突破して上京した800余名は、
   関係省庁等に陳情・請願して世論に訴えた。
  1897年3月2日~3月5日、鉱毒被害民、第一回大挙押出
   し。
  1897年3月18日、四県鉱業停止請願事務所を東京に設置
   した。
  1897年3月18日、樺山内相と榎本農商務相による田中の
   質問に対する「答弁書」に、「将来鉱業ト農業ト衝
   突スル場合ニ適用スベキ方針ヲ確定スルノ必要ヲ認
   メ、之ニ関スル各般の調査ヲ)」とした。
  1897年3月24日、榎本農商務相の現地視察する。
   また、この日、被害農民3000余名が官憲の阻止行動
   を突破して、第2回大挙東京押出しを決行した。
   被害農民の直接行動と鉱毒世論の高揚を背景に、こ
   の日政府は,足尾銅山鉱毒調査会(第1次調査会)を設
   置した。
   法制局長官の神鞭知常(かみむちともつね)を委員長
   とする委員18(含追加)名を発表した。
   その直後、榎本農商務相は、辞職した。
   外相の大隈重信が兼務した。
   だが、この第1次調査会は、世論の鎮静化と、被害農
   民の直接行動抑制への狙いを秘めて設置されていた。
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1897年3月6日、大谷駅~京都駅間の複線開通する。
  下り線が増設された。
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1897年3月20日、ハワイ移民のうち上陸拒否にあった463人
 が送還された。
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1897年3月20日貴族院議員の谷干城(たにたてき)や津田
 仙・栗原彦三郎らが、足尾鉱毒の被害地を視察した。
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1897年3月22日、「The Japan Times」の創刊。
  日本で初めて日刊英字新聞の「ジャパンタイムズ」が
 創刊された。
  日本人が初めて経営・編集した日刊英字新聞だった。
  伊藤博文福沢諭吉などの支援を受ける。
  山田季治を社長、頭本元貞を主筆
  1865年に創刊された前身となる英国人のリッカビーに
 よるジャパンタイムズと合併した形だった。
  因みに・・
  1918年には、ジャパンメール(1870年にW.G.ハウェル
 とH.N.レイが創刊した親日派の英字紙)と合併し、「ジ
 ャパンタイムズ&メール」となる。
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1897年3月23日、農商務大臣の榎本武揚が、鉱毒事件の被害
 地を視察した。
  鉱毒被害民、第2回大挙押出し(~3月30日)
  足尾鉱毒被害者が、農商務省に鉱山の操業停止を訴え
 た。
  1890年後半頃より、渡良瀬川の河川魚の大量浮上など
 で目にとまるようになり、また、農作物への被害で流域
 周辺住民を鉱毒反対運動に立上がらせた。
  地元からの数次の建議や、上申にもかかわらず、改善
 がみられなかった。
  そのため、1897年以来、たびたび農民方が、大挙して
 上京し、抗議行動を起こした。
  警官と衝突もし一大社会問題となった。
  1891年、代議士の田中正造は、議会に訴えて、世に被
 害の惨状を知らせた。
  1901年、その訴えが、中々、受け入れられず天皇陛下
 への直訴(じきそ、直接、天皇陛下へ訴える)に至った。
  1897年3月23日、内閣に足尾銅山鉱毒事件調査委員会の
 設置が決定された。
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  (今日の言葉)
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  題:韓国が、元徴用工が虐(しいた)げられたというのは嘘。
    日本人も韓国・朝鮮人も、皆が、一生懸命、働く時代だった。
    「職業に就けて良かった」という時代だった・・感謝する時代だった。
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紀元前427年、プラトンが生まれた(~紀元前347年)
  プラトンは、古代ギリシャの哲学者である。
  ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師である。
  そのギリシャに奴隷が居たが、ギリシャはこの奴隷を
 アジアから奪い取って来ていた。
  ギリシャを、「ヨーロッパの理知の世界」として誇り
 として存在しているが、アジア人蔑視観がこのギリシャ
 にあり、また、その影響でヨーロッパにもあった。
  (ヨーロッパの蛮行はこの観念から生まれている)
  古代ギリシャは、そこから派生して「アジアに数多く
 の怪物が住んでいる」と考えていた。
  (ヨーロッパの大航海時代の者たちも怪物に会うこと
 を恐れながら航海していた)
  知的哲学者とされるプラトンの国家論は、当然の如く
 奴隷制度を前提としている。
  だから、プラトンは、ギリシャ市民に「働くことを禁
 じた(奴隷にさせよ・・と・・)」。
  今・現代でも働かないギリシャで、EU(欧州連合
 のお荷物になっている・・その大赤字がEUの大問題と
 なっている・・
  このプラトンも「ギリシャ市民が、商業に携わること
 を禁じ、また、手工業さえ市民が携わらずに奴隷にさせ
 よ」とした。
  プラトンは、「法律」という彼の著作にしっかりとこ
 のことを書いた。
  しかし、この様なことは隠されて、美しいことのみが
 プロパガンダされている。
  そして、この様な迷信と共に、キリスト教がローマへ
 伝わって行く。
  大プリニウスは「博物誌」で「怪物たちのカタログ」
 さえ書いている。
  そして、「類似の人類」などの表現と共に記されてい
 る。
  「キリスト教の教父」と言われるアウグスティヌス
 さえ「怪物たちについて色々と論じている」。
  そして、「アダムから出た」と言い・・
  ローマ時代は、「アジア(アフリカを含む)は、一段と
 劣った人間たちが住む」とする世界観の中に居た。
  (参考)大プリニウス古代ローマの博物誌家。
      イタリアのコモに生まれ、
      かなり若くしてローマに出て、文学、法律、
     雄弁術を学び、軍人としての訓練も身につけた。
      ネロ帝(在位:54年~68年)の治世初期まで、
     およそ23歳から10年あまり騎兵大隊に所属し、
     ドイツに駐留した。
      帰国後は、10年間おもに文人として活躍した。
      次の皇帝のウェスパシアヌスの信任があつか
     った彼は、スペインやアフリカ北部に財務官と
     して赴任し、博物誌的な見聞も広めた。
      晩年は、ナポリ湾ミセヌム基地の海軍提督に
     なったが、おりから79年のウェスウィウス(ベス
     ビオ)火山の大噴火に際し、知的な探索意欲から
     現場に急行したが、ポンペイの近くで噴煙に巻
     かれ遭難死を遂げた。
      彼の著書「博物誌」37巻は一級の百科全書的
     な古典である。
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紀元前146年、ポエニ戦争
  ローマの歴史家であるアッピアノス(2世紀の人)が伝え
 るところによると・・
  紀元前146年に、徹底的に破壊され、滅亡したカルタゴ
 を見たスピキオが、涙を流しながら・・
  「アッシリア人とメディア人の国々、当時とりわけ巨
 大だったペルシャ人の、そして、つい最近、目もあやな
 登場を果たしたマケドニア人の諸国」と数えあげながら、
 これらの国々もカルタゴと同じ滅亡の憂き目を見たと言
 って嘆いたという。
  (参考)目もあやに:目が吸い寄せられるまでに美し
     く・・
     ・
     ・
354年、アウグスティヌスが生まれた(~430年)
  彼は、キリスト教から「教父」と呼ばれている。
  彼は、キリスト教には無かった「人を救う」という教
 義を作った。
  キリスト教には元々「人を救う」という教義が無かっ
 た・・今、当然のようにそのことを言う・・
  彼は、「終末が訪れて、審判を受け、そして、救済さ
 れ、神の国に行ける」と、そして、救済されるとした。
  これが人類の至る終着点だとした。
  アダムとエバで始まる始点を持つキリスト教の人類の
 始点に対して、今まで無かった終着点を作ったのは彼だ
 った。
  楽園を追われた人類が、キリスト教の神に関わって至
 るところの終着点を彼は示した。
  また、彼は、キリスト教の神を浮き立たせるために「
 悪魔の国」を作った。
  「地上の国」を「悪魔の国」とした。
  そして、ヘブライ人=ユダヤ人の一民族からなる「神
 の国」と、その他のすべての民族が属する「地上の国」
 との対立・抗争として描いた。
  こうして彼が始めたキリスト教の歴史が引き継がれ、
 キリスト教史となりはじめた。
  そして、18世紀以後、科学が発達してその理知的判断
 から、キリスト教普遍史として怪物も登場させて発展し
 て来たそのキリスト教歴史観は完全に否定されて消滅し
 た。
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476年〜10世紀、中世ヨーロッパ前期。
  西ローマ帝国が、476年に滅亡した後、ゲルマン人諸国
 の興亡、7世紀に興ったイスラム勢力、古代ローマ時代に
 実現していた「地中海世界」が崩壊、
  また、東部では、東ローマ帝国を中心として「東ヨー
 ロッパ世界」が形成される。
  西部では、フランク人による統一が進められ・・
  800年、カール大帝の「西ローマ帝国復興」によって
 ローマ皇帝ローマ法王(教皇)という二つの焦点を持つ
 「楕円ヨーロッパ」=「西ヨーロッパ世界」が成立した。
  キリスト教は、この頃、北欧の一部を除いて西欧に広
 がっていた。
     ・
     ・
     ・
1193年、北方十字軍
  クレメンス教皇ローマ法王)が、この年、呼びかけ
 て北方十字軍が始まった。
  キリスト教の教義である「異教徒は殺せ」の教義どお
 りの行動だった、
  1154年、フィンランドの南西部が、すでにスエーデン
 によってキリスト教化されていた(1155年説と1157年説
 がある)
  「異民族のキリスト教化」という名目上の目標を掲げ
 て、バルト海沿岸地域へ進出した「北方十字軍」は・・、
 遠征の当初から本来の宗教的な目的を失っていた。
  その実際の実態は、「北方諸国の植民地化」だった。
  ローマ教皇からお墨付きをもらって・・、
  世俗の最高権力者である神聖ローマ皇帝の思惑とも重
 なって、キリスト教による征服事業での拡大を続けた。
  その先端に立ったのが「ドイツ騎士団」だった。
  そして、13世紀には、ハンガリー王国から追放された
 ドイツ騎士団だったが・・
  この武力集団は、異教徒征伐の命を受けてプロイセン
 の地(現在のカリーニングラードからポーランド北部)
 に活動拠点を移した。
  そして、その武力の威力によって、先住民であるプロ
 イセン人を殺戮の限りを尽くして制圧した・・そして、
 その地のすべてを掠奪し、収奪した。
  その後も・・略奪と搾取を重ねながら、莫大な富を築
 いた。
  「ドイツ騎士団領」という軍事国家まで作った。
  しかし、乱逆なこのキリスト教集団は、周辺諸国の貴
 族を集めて「人間狩りツアーを開催する」という卑劣さ
 だった。
  その残虐きわまりない性質と傍若無人ぶり・・
  ドイツ騎士団は、リヴォニア(現在のラトヴィア西部
 からエストニア南部)を征服していたリヴォニア帯剣騎
 士団も吸収した。
  そして、さらに、現在のリトアニアの地へと侵攻した。
  それに対し、ミンダウカス王の下に諸部族が結集して
 リトアニア大公国が誕生した・・そして、強大な戦力を
 形成し、ドイツ騎士団を押し返した。
  その後、お互いが侵略行為を重ねた。
  拮抗した戦争状態が続いた・・
  同じ様にドイツ騎士団と領土問題で対立を深めるポー
 ランドとの同盟関係を成立させる。
  1385年、ついにリトアニアキリスト教を受け入れ(
 当初は形式的なものだった)、両国は連合国となってド
 イツ騎士団と対立する。
  キリスト教の教義でもある「異教徒は殺せ」の異教徒
 との戦いという大義名分を失ったドイツ騎士団は激高し
 て、互いの存亡をかけた激烈な総力戦をする。
  そして、ポーランドリトアニア連合は、1410年の「
 グルンヴァルト(タンネンベルク)の戦い」で勝利し、
 ドイツ騎士団に壊滅的な打撃を与えた。
  ドイツ騎士団は、徐々に衰退し、やがて消滅した。
  ポーランドリトアニア連合国は、ヨーロッパ最大領
 土の国へと発展する。
  そして、その後、200年に渡る黄金時代を築いた。
     ・
     ・
1247年、モンゴル帝国が4度目の高麗への侵攻をした。
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13世紀半ば、モンゴルの樺太侵攻(~14世紀初頭)
  モンゴル帝国元朝)による樺太(サハリン)アイヌ
 (骨嵬)への攻撃・・
  日本への元寇に対し、「北からの蒙古襲来」「もうひ
 とつの蒙古襲来」「北の元寇」という。
  13世紀半ば~14世紀初頭、アイヌは、ユーラシア大陸
 のアムール川流域に居たが・・中国の『元(モンゴル)』
 に追われ・・その北方の地から、13世紀半ばから14世紀
 初頭にかけて、日本に来た。
  これを、「北の元寇」と言い・・また、「北からの蒙
 古襲来」「モンゴルの樺太侵攻」「もうひとつの蒙古襲
 来」と言うが・・
  この様に、アイヌは、北方(アムール川流域、そして、
 樺太)に住んでいた。
  日本には、すでに、紀元前に、南方から日本に来たり、
 朝鮮半島から来たり、太平洋を渡って来たり、紀元前と
 いう遠い昔に、あらゆる方向から日本に来ていた。
  アフリカから発した人類移動の大きなうねりの様に、
 アイヌ以前のこの先住民たちは、北海道を含めて日本中
 を歩きまわり、そして、移動して、日本人が形成された・・
  この人たちが日本人の先住民であって・・アイヌは、
 明らかに先住民ではない。
  人類の起源のホモ・サピエンス(新人)が、アフリカ
 に登場したのが紀元前20万年である。
  ホモ・サピエンスが、全地球的な拡散を始めたのが紀
 元前5万年前(紀元前5~6万年説や、紀元前6~7万年説や
 紀元前10万年説もある)
  そして、岩手県遠野市の金取遺跡の人類の足跡は、紀
 元前8~9万年・・この頃の人類の足跡は、すでに、日本
 の各所で数千ヶ所ある・・当然、アイヌではない。
  そして、現代人の祖先であるホモ・サピエンスが東ア
 ジアにまで到着したのが紀元前5~6万年である。
  そして、紀元前4万年に、日本に、旧石器時代の遺跡が
 急に増えることから、研究者の多くが、現代の日本人に
 つながる人々(日本の先住民の人々)が、少なくともこ
 の頃に、日本で暮らしていたとしている(この頃にも、
 当然、アイヌは居ない)
  日本列島には、あらゆる方向から日本人の祖先となる
 人々が来たのが紀元前6万~紀元前4万年で・・アイヌ
 紀元後13世紀~14世紀である。
  因みに、ホモ・サピエンスの前にアフリカを出たデニ
 ソワ人も、紀元前12万年に、日本には居た(島根県の砂
 原遺跡)
  日本の法律に圧力をかけて「先住民」と書かせたアイ
 ヌの人々は、汚点を作っている。
  アイヌの人々は、日本の先住民ではないのに「先住民
 だ」との嘘の主張をして、先住民とさせた。
  日本政府に圧力をかけ、日本の法律の中に「先住民」
 だと記載させた。
  しかし、そうはなっても事実は事実、事実は変わらな
 い・・アイヌは、鎌倉時代の末期に蒙古(モンゴル)に
 追われて日本に来た人たち・・日本の先住民ではない。
  日本の先住民は、縄文の人たちであることは変わらな
 い・・アイヌの人たちは、嘘を言っている。
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14世紀〜1453年、中世ヨーロッパ後期。
  中世的な政治秩序も、また、社会秩序も揺るぎ始めた。
  皇帝権に続いて教皇権も没落した・・全ヨーロッパ的
 な権威が衰退した。
  かわって王権が力を伸ばし、国王を中心とした新しい
 体制に移り始めた。
  黒死病(ペスト)などの疫病や争乱が続いた。
     ・
     ・
1716年、伊藤若冲が生まれる。
  江戸時代中期に活躍した絵師・伊藤若冲(じゃくちゅ
 う)(1716年~1800年)が、39歳代で手掛けたとみられ
 る彩色画「蕪に双鶏図(かぶにそうけいず)」が見つか
 ったと2019年11月5日、収蔵する京都市の福田美術館が
 発表した。
  これまで存在が知られていない作品で、専門家は、「
 若冲の初期作品は数点しかなく、後の代表作の特徴がう
 かがえる貴重な発見」としている。
  若冲は、主に、動植物を描き、30歳代には「景和(け
 いわ)」を名乗ったとされる。
  代表作に40歳代で制作した極彩色の「動植綵絵(どう
 しょくさいえ)」がある。
  今回見つかった作品は、縦1.11メートル、横0.68メー
 トル。
  首を下に向けた鶏の雄と、うずくまった雌の周りに葉
 が傷んだカブが描かれている。
  関西在住の所有者の依頼で鑑定したところ、若冲の最
 初期の作品とされる「雪中雄鶏図(ゆうけうず)」(細
 見美術館増)と同じ景和の印章がある事や、鶏の羽の精
 密な表現などから、初期作品と推定された。
  福田美術館の岡田季之学芸課長は・・
  「雪中雄鶏図に比べ、色遣いや地面の表現などにやや
 未熟さがあり、さらに若い時期の作品かもしれない」と
 している。
  彩色画は、来年3月20日に同館で始まる特別展で展示す
 る。
  美術史家・辻惟雄さんの話・・
  「手慣れた筆致で鶏を描いている一方、カブの葉など
 は懸命に写生したような初々しさがのぞく。
  葉が鳥に見えるだまし絵の要素もあり、動植綵絵の原
 型が詰まった重要な発見だ」。
     ・
     ・
1906年10月、アメリカで「日本人学童隔離事件」が起きる。
  日米関係が急速に悪化して行く。
  日露戦争後に、アメリカで何か仕掛けが働いている。
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1945年4月30日、ヒトラーが自殺する。
  1945年4月23日、ヒトラー自殺の7日前にソ連軍が、ベ
   ルリン市内に突入していた(ベルリン市街戦
  1945年4月29日、ドイツ親衛隊全国指導者・ヒムラーが、
   独断で英米に対し降伏を申し出たことがBBCで放
   送され、ヒトラーに最後の打撃を与えた。
    ヒトラーは激怒した・・ヒムラーを解任するとと
   もにその逮捕命令を出したが、もはやドイツ国内は
   その執行すらできない状態であった。
    終末が近づいたことを悟ったヒトラーは、個人的、
   政治的遺書の口述を行った。
    この政治的遺書の中で、戦争はユダヤ人に責任が
   あるとしたほか、大統領兼国防軍最高司令官職にカ
   ール・デーニッツ海軍元帥、首相にゲッベルス、ナ
   チ党担当大臣にボルマンをそれぞれ指名した。
    さらに「国際ユダヤ人」に対する抵抗の継続を訴
   えた。
    個人的遺書では、愛人エーファとの結婚と、自殺
   後に遺体を焼却することを述べた。
    この遺書をタイプした秘書トラウドル・ユンゲに
   ヒトラーは「ドイツ人は私の運動(ナチズム)に値
   しないことを自ら証明した」と語り、自らの政治活
   動が終焉したことを認めた。
    遺書をタイプした後の午前2時、エーファと結婚式
   を挙げた・・そして・・
  1945年4月30日、毒薬の効果を確かめるため愛犬ブロン
   ディを毒殺した後、午後3時にエーファと共に自室に
   入り、自殺した。56歳没。
  ドイツには、「ゼロ時」と呼ばれる時がある。
  ヒトラーが地下の隠れ家で「最後を悟って自殺」した
 その時以来、ドイツに政府が無くなった。
  第二次世界大戦のドイツにはその様な時があった。
  この時、ドイツ人は「無権利の状態」にされてしまっ
 た。
  ドイツ人たちは、右往左往した。
  逃げまどった。
  ドイツの最後の地・ベルリンの市民の逃げる先はアメ
 リカ占領地域だった。
  ソ連地区から、民衆は逃げまどった。
  しかし、アメリカ地区に来たからと言ったってアメリ
 カ兵もドイツ人に対して優しかった訳ではなかった。
  婦女暴行などは、ソ連兵でもアメリカ兵でも同じであ
 った。
  だからと言って、ドイツ人女性が、助けを求めたり、
 訴え出たりする法廷などがあるという訳ではなかった。
  アウシュビッツのドイツの蛮行が暴かれ始め、知られ
 る様にもなっていて、「ドイツ国民に対しては、どの様
 なことをしても許される」という情勢が生まれてもいた。
  ドイツ人の発言も完全に封鎖されていた。
  噂が噂を生むという状況で・・
  「何年から何年生まれのドイツの青年は結婚が許され
 なくなる」とか、
  「市町村のドイツ人の長が次々と追放されている、ユ
 ダヤ人に変えられている」という風説が、一斉に広がっ
 たりしていた。
  不安を募らせていた。
  幸い、日本には、天皇陛下終戦の詔(みことのり)を
 発せられて比較的落ち着いた状況の中にあった・・、乱
 れた戦後とはなったが、その中にも早くから戦後復興へ
 の道へと歩み始めた・・
  一例として、教科書に墨を塗るなどして戦後体制へ粛々
 と冷静に判断されながら、教育は続けられ、そして、そ
 れなりに民主的な方向へ向かって行った。
  しかし、アメリカの進駐軍による婦女暴行は多発した、
 その対応に苦慮した。
  アメリカ軍の要請により慰安所が設けられた。
  それに関して卑劣な状況も現れた。
  このことに関しても、アメリカによる人種差別が現れ
 ていた。
  黒人の方々を差別し、白人と黒人とを差別し区分した
 慰安施設とされた。
  また、アメリカの女性士官のための慰安施設も要請に
 より設けられた。
  韓国がやっている様な慰安婦像を国連に建てるべきだ
 と思えるぐらいだった。
  常識ある日本はその様な真似はしないが・・
.
2018年12月20日15時頃、レーダー照射問題
  日本の能登半島沖の日本海において、韓国海軍の駆逐
 艦「広開土大王」が・・
  平素の警戒監視・情報収集の一環として行動している
 日本の海上自衛隊・P-1哨戒機に対して・・
  火器管制レーダー(射撃指揮システムで使用されるレ
 ーダー)を照射した。
  この行為は、「次は撃ち落とします」という戦時以外
 は使用しない、また、ふつう状態の時は「絶対にしては
 いけない行為」を、韓国は行った。
  この重大事項に対して、絶対見逃せない危険行為であ
 るため、日本政府は、当然、毅然と抗議した。
  韓国は、「宣戦布告なしに戦争行為をしようとしてい
 るに値する行為」であった。
  これに対し、また、今後のためにも、また、不測の事
 態が起こらないためにも、日本と韓国の間で事実関係な
 どの協議が開始された。
  日本が、「哨戒機に対するレーダー照射があった」が、
 「どうしてその様な行為をしたのか」と問いただすと・・
  韓国の返事は、ころころと変わった・・
  韓国は、当初は、「哨戒機を追跡する目的ではなかっ
 た」と答えた。
  そして、「北朝鮮の遭難船のためにレーダーを稼働した
 のを日本側が誤解した」などとした。・・しかし・・
  しかし、その後、「レーダー照射はしていない」と前
 言をひるがえし、前言を取り消した。
  韓国の二枚舌発言の為に、話は前に戻った・・
  (参考)二枚舌:前後矛盾したことを言うこと。うそ
     をつくこと。
  日本の哨戒機への韓国のレーダー照射の有無自体の主
 張が対立することになった。
  また、韓国は、韓国海軍艦艇に日本の海上自衛隊機が
 低空飛行で接近し、「威嚇飛行」を行ったと主張し始め
 た。
  日本は、規定通りの飛行で「威嚇飛行を行っていない」
 「その様な事実はない」と説明した。
  日本は、その証拠を示した・・しかし・・
  韓国は、日本からの証拠を示されたことに対して、筋
 が通る正しい返事が出来ない状態になった・・その後も、
 このままの状態のまま・・
  例えば、日本の防衛省の解析した結果を説明した・・
  韓国艦の火器官制レーダー(STIR-180)からのレーダ
 ー波を一定時間継続して複数回照射されていた証拠をは
 っきりと示した・・これによって、韓国が、レーダー照
 射はしていないという発言は崩れた・・
  また、近くの船には、そのような種類のレーダーが搭
 載されている訳もなく、また、ない事も説明した・・
  故に、はっきりした韓国艦の行為なのである。
  その他についても、韓国は、言を左右にして、晴れで
 雲一つない穏やかな環境の中であるのに・・
  韓国は、状況が荒れていて無線が聞き取れなかったな
 どと、事実に基づかない言い訳(いいわけ)ばかりをし
 た。
  また、逆に、韓国は、自分の示した証拠(動画)で無
 線の音声がちゃんと録音されて聞き取れているのに、無
 線が聞けなかったなどと主張したりしている・・
  この様な体たらくの言い訳の韓国となっている。
  韓国は、北朝鮮の船の救助をしていたと言い・・
  日本が、動画でしっかり規定どおりの飛行しているの
 を示していることに対し・・接近したと主張した(その
 証拠を、韓国は、示すことが出来ていない・・ただ近づ
 いた近づいたと言うだけ・・日本は、証拠を示して説明
 していることと大きな差がある)
  この協議において、すべてが、日本側が証拠を示した
 ことによる事実関係がはっきり成立していて、明らかに
 韓国の側に問題点があるとなるのだが・・が・・
  韓国は、その後、口を閉ざして何も説明をしないとい
 う状況となり、また、事実関係を認めて、謝罪するとい
 うことにもなっていない。
  (評)
  韓国よ!! 都合が悪くなったら黙るのでなく、自分の
 非を謝罪をすることをしなさい。
  まず、日本の自衛隊機にレーダー照射をして自衛隊
 を撃ち落とそうとした行為を謝罪しなさい。
  謝罪したくないなら、正々堂々と反論をしなさい・・
 黙ったままでいるのでは君の言いたいことが分からない・・
 それとも反論できないのか?
  「北朝鮮へ物資を渡すところを見られたくなかった」
 と白状しなさい。
  韓国よ! この件以外の、この他の反論できないで黙
 ったままでいる数々の事を謝罪しなさい。
  韓国は、国連の議決違反をしていた・・北朝鮮船へ物
 資を洋上で渡していたのだ。
.
2019年9月13日、韓国の文在寅大統領が「克日」を打ち出す。
  文在寅ムン・ジェイン)韓国政権は「克日」(日本
 に打ち克つ)を掲げた。
  そして、「日本の侵略に対する第二の独立運動だ」と
 した。
  この侵略は、経済侵略を指している。
  この様な過激なスローガンを韓国の文在寅大統領は、
 国民に掲げて、呼び掛け、韓国の国民の方々を煽(あお)
 り、焚き付けている。
  日本商品の不買運動も盛んに行われている。
  しかし、これらのすべてを日本のせいにしているが、
 これは大きく間違っている。
  韓国は、世界を騙(だま)している。
  日本は、誠実に、何から何まで日本は韓国を助け、日
 本は援助をして来ている。
  韓国は、その様に日本から恩を受けている状況にある
 のに、日本の目をかすめて、韓国以外へ戦略物質を渡し
 ている。
  日本にしかできない「貴重な物質」を、韓国名で輸入
 して、その貴重な物質を輸出してはいけない国へ、韓国
 は、隠密裏に、隠れて、その様な輸出禁止国へ手渡すと
 いう不正な事をしている。
  この様な重大違反を韓国はしている。
  そこで、日本は、韓国の「優遇的な位置」に置いてい
 た今までの韓国を、「ただ、その他の国と同じ、普通の
 状態に戻した」。
  普通の状態に戻しただけなのに・・韓国は、日本が制
 裁をしていると過剰な表現で、韓国は世界を騙(だま)
 す発言をしている。
  今、韓国の経済は最悪な状態にある。
  その経済悪化の流れは止まらない状況にある。
  韓国の各種の経済統計の数字がそれを表わしている。
  文在寅大統領は、以前から、中国や北朝鮮の路線に接
 近する行動をとって来た。
  この文在寅大統領の行動は変わらないだろうが、この
 政治の方向性もこの様な経済状態になったことと関係し
 ている。
  2019年9月3日の韓国の新聞は、8月の消費者物価動向に
 おいて前年同月より0.04%落ち、1965年以来の悪化状況
 を示した。
  これは、1999年2月のアジア通貨危機後の0.2%以降最
 も低い水準となっていて、デフレーションへの懸念が広
 がっている。
  同じく、2019年9月12日の中央日報も「景気先行指数が、
 26ヶ月連続的に下落し、過去最長だ」と最悪状態を伝え
 ている。
  文在寅氏が大統領に就任した2017年5月頃から下落傾向
 に転じたことも示された。
  聯合ニュースの9月1日版は「韓国の輸出額が9ヶ月減で
 8月は13.6%減、半導体などが振るわず」と報じ・・
  朝鮮日報の9月13日版は「失業給付が過去最高になった
 ・・韓国政府が雇用保険を23%引き上げざるを得ない状
 況になったことを伝えている」と報じ・・
  韓国企業の格付けが相次ぎ下方修正される可能性を報
 じ・・韓国の政府債務が700兆ウォンに迫ったと報じ・・
 米中貿易紛争の直撃を韓国族船企業が受け、発注・船舶
 価格が不振だ・・などと報じている。
  また、韓国の貧富の格差が6倍から11倍になったという
 昨年に急激に変化した実態も報じられている。
  文政権の政策によって自営業や中小企業が打撃を受け
 雇用が減少したと報じ、貧困層はますます貧しくなる方
 向にあると報じている・・
  また、韓国がおかしいことは・・
  WTO世界貿易機関)へ提訴して、韓国が敗けたの
 に、、韓国は勝ったように言って、世界へ嘘を言ってい
 る。
  2019年9月11日、韓国の文在寅政権は、日本の輸出規制
 が「差別的だ」としてWTO世界貿易機関)に提訴し
 た。
  韓国メディアは、韓国が正義で立ち上がったなどと大
 騒ぎだった。
  日本が悪いから提訴したのだとの見方だけで・・まっ
 たく公平に見ずに、自分の足元を見ていない韓国となっ
 ている。
  また、韓国の卑劣な所は、元徴用工の話とこれは、ま
 ったく関係が無いのに、関係していると言う言い方だっ
 た・・
  これは、輸出してはいけない国へ、韓国は、韓国名で
 日本から輸入したその物質を、不正をして輸出禁止国へ
 渡している・・この問題点をすり替えている・・真の問
 題点が見えない様にしている。
  まったく争うにしても不誠実なやり方だ。
  そして、また、まったく関係のない韓国が過去に勝っ
 た事例まで持ち出して「真の問題点を見えない様にして
 いる」・・日本の水産物放射能汚染しているという問
 題である。
  韓国という国は、問題点の解決へ向けて誠実に努力を
 するという行動をとるより・・、
  あれも、これもと、過去の問題まで持ち出して、問題
 に何でもなすり付けて・・広げて行く国である。
  千一夜物語ではないが・・問題が永久に解決しない。
  問題を解決しようとしない国=韓国となっている・・
  因みに、日韓の間でWTOで争ったもののうち、日本
 は13件に勝っていて、敗けたのは1件だけ・・ほとんどに
 日本は勝っている・・
  そのほとんどにおいて、日本が正しい行動をしている
 と認められ、判決されている・・しかし・・
  韓国メディアが誠実に真実を伝えないから、韓国国民
 の方々は誤解を持つ・・すべてに韓国が勝っていると思
 っている・・日本は酷い国だと思っている・・
  韓国メディアは・・
  「韓国、大部分で勝訴」とか、
  「韓国が『判定勝ち』」とか、
  「韓国、大部分勝訴」など・・軒並み真実を見誤る報
 道の仕方をしている・・勝ったように報じる。
  WTO裁決で(韓国は負けたが)大部分で勝ったとは?
  WTO裁決で(韓国は負けたが)判定勝ちをしたとは?
  上記の()部分を伝えない韓国メディア。
  韓国は、微々たる問題で負けたんではない・・とか・・
  手続き上の問題で負けたんではない・・とか・・
  問題点を良く見れば韓国が勝った点が多い・・とか・・
  日本は重要な点の1点に勝利したに過ぎない・・とか・・
  実質的には韓国が勝利している・・とか・・
  韓国が負けたなどと勝敗を争うところではない・・と
 か・・
  争っている部分は微々たる部分だとか・・と何だかん
 だと判決を韓国は受け入れようとしていない。
  はっきり韓国は負けても、逆に、韓国は勝訴だと言い、
  「怒り心頭だ」と苛立つ(いらだつ)韓国となってい
 る。
  日本の担当官は・・
  「WTOの紛争解決で、日本に負けたという『不都合
 な真実』を認めたくない韓国国内向けの強弁だ」と冷静
 に見解を述べている。
  駄々っ子の様な行動をとり続ける韓国となっている。
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2019年11月2日、鰻(うなぎ)の完全養殖
  『技術の日本』が鰻の完全養殖へ挑む・・
  この日の読売新聞が報じる・・抜粋・・
  マグロの完全養殖に成功した近畿大学水産研究所(和
 歌山県白浜町)は1日、出荷量が減少しているニホンウ
 ナギの完全養殖を目指すと発表した。
  早ければ4年後に、食用のウナギとして試験的に販売し、
 将来は商品化も狙うという。
  同研究所は今年、中断していた養殖ウナギの研究を再
 開し、9月に人工孵化(ふか)に成功した。
  11月1日までに飼育期間は50日に達しており、これらを
 親魚まで育て、産卵させて卵を得るサイクルの確立を目
 指す。
  ウナギの完全養殖は、2010年に水産総合研究センター
 (現:水産研究・教育機構)が成功したが、コストが高
 く商品化には至っていない。
  同研究所は、稚魚が好む餌の開発や効率的な飼育法を
 研究する。
  完全養殖の実験は、同研究所の浦神実験場(同県那智
 勝浦町)が行なう。
  近大は、昨年・2010年に、完全養殖に成功した田中秀
 樹氏を場長に起用した。
  田中氏は、1日の記者会見で「完全養殖を実現して、
 ウナギを安定的に供給できるようにしたい」と抱負を述
 べた。
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2019年11月18日、元徴用工のこと・・
  日本人は奥ゆかしくておとなしいから、韓国が言う元
 徴用工のことをあからさまに反論しない・・が・・
  本当のことを言えば、可哀想だが、韓国および朝鮮は、
 当時、貧し過ぎるぐらい貧しかった。
  その様な状況であるので、日本へ、韓国・朝鮮の人た
 ちは豊かな日本に来たがっていた。
  また、日本の様な一等国になりたいとしていた。
  そして、多くの韓国・朝鮮の人たちが日本に来た。
  その様な韓国・朝鮮の人たちが、日本には溢れていた。
  その様な韓国・朝鮮の人たちは、日本が、一生懸命、
 韓国・朝鮮の国を良くする努力をしたから良い国になっ
 て行ったが、そして、その様に良くなった国に帰った人
 も多く居たが、日本に残った人たちも多かった。
  その日本に残った方々は、すっかり日本に同化し、今
 では、日本人とすっかり変わらないで、分からないが、
 その様な経過をたどった。
  だから、日本に来て働いた韓国・朝鮮の人たちは、数
 え切れないくらい大勢いた。
  元徴用工と言ったって、日本人を含めて、当時は、職
 業を探すのも、皆が大変だった。
  日本人でさえ、働くところがそうそう無かった。
  元徴用工と言ったって運が良くて仕事に就けたという
 こと・・日本人とて同じ・・仕事に就ければ「ありがた
 かった」・・
  日本は、差別がないから優秀な人は誰でも職業に就け
 た。
  元徴用工が虐げられたというのは嘘。
  皆が、一生懸命、働く時代だった。
  「職業に就けて良かった」という時代だった・・感謝
 する時代だった。
  そして、戦後、戦争の後の復興は大変だった。
  今より数段大変な時代だった。
  この時だって虐げられたなんて言う状態ではない。
  逆に、雇用されれば、助けられて、ありがとうという
 状態だった。
  何を、今さら、隔世の感がある今ごろになって、その
 当時のことが分からない人たちばかりの時代になって、
 今ごろ、虐げられたなんて言い出すのだ。
  それよりも『感謝の言葉』を言うべきだ。
  中国だってそうだ。
  中国が豊かになれば、「民主的になって」「自由な国
 になる」だろうと、中国を国際社会は受け入れて、助け、
 豊かな中国になったと思ったら、手のひらを返して「領
 土拡大主義で、その行動をあからさまにしている」。
  当時、私の家にも、朝鮮の方々が来て、話しを長らく
 して、食事をして帰るというつきあいをしていた。
  その後、その方が、朝鮮に帰ったかどうか?
  帰ったのなら幸せに暮らしているか?・・母は気遣い、
 何度も口にした・・誰でもその様に優しい日本だった。
  差別も無い日本だった。
  今ごろ、元徴用工のことを口に出し、金を出しなさい
 は「言ってはいけないこと」、また、「その様なことは
 言えないこと」。
  基金だ、何だと、韓国は言って、さもあった様に世界
 を騙(だま)す韓国・・その様な世界を騙す行為は止め
 なさい。
  「Hさん(個人名は伏す)元気にしているか?」「幸せ
 な生活をしているか?」「韓国に帰ったのか? 北朝鮮
 に帰ったのか?」と朝鮮に帰ったかもしれないHさんを
 案(あん)じていた母だった。
  ほとんどの日本人が母の様だった。
  韓国よ! 「恩を仇で返す様な行為」は止めなさい。
  日韓議員連盟の議員たちは、変な妥協はしないで下さ
 い・・筋を通して下さい。
  「日本は誠実にやって来たよ」と正論を説いて下さい。
  日韓議員連盟の議員の方々の中には、すっかり日本に
 同化し、日本人とすっかり変わらないで、日本人同様に
 なられた方も多いと思われますが、韓国に良い様にとい
 うことより、真実は何か?という真実を偽(いつわ)らない
 行動をお願いします。
  逆に、日本に救済された徴用工を、悪に仕立てた韓国
 を「たしなめて下さい」。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
  しかし、実態はただの紙切れの人民元・・
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応な振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールは大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めさせた。
  そして、アジア・・
  アジアで大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させて心身を興奮させないよう
 にという政策がとられた・・これに固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いが、とんでもないことになる
 という事態が発生している・・、
  この様な事態は看過できない、見過ごせないと、何と
 かしなければという行動が・・とられ始めた。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていないことにある。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべきだ・・そ
 れが当然だ・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行した)・・
  この図体ばかりが大きい中国は、変動相場制が恐怖で、
 逃げ回ってばかりいる・・
  アメリカの保護下に居た・・しかし、そのアメリカを、
 身分不相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・
  外貨準備も激減している・・
  資金が中国から逃げ、ますます、余計に、中国・人民
 元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊し・・空室ばかり・・株
 安も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減している・・貿易も、事実上、赤字と
 なっている・・もう中国の時代は終わった・・明らかに
 ASEANへ移行している。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 札の増発で、景気を煽るという嘘が「ばれ始めた」・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用して来た。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
  そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いてお
 けない。
  有頂天でやっている「一帯一路」は、当然、しぼんで
 行く・・
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  中国が生き残る道は、真からの自由経済社会と民主主
 義国家への道・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 はない・・
  そして、中国がやれると思っている方法、したいと思
 っている方法は・・
  二国間の人民元の取引の拡大・・
  その方法で、世界通貨の米ドルの国際社会に挑戦しよ
 うとしている。
  中国とA国が中国・人民元で貿易を拡大し・・
  また、別に中国とB国が中国・人民元で貿易を拡大す
 れば・・一帯一路であらゆる国々と貿易拡大して行けば、
 A国とB国も相互に人民元で貿易が拡大していけると考
 えている。
  米ドルの世界通貨圏で貿易が繁栄している様に、人民
 元の通用圏を拡大し、繁栄しようとしている。
  米ドル世界通貨に対峙したいとしている。
  だから、仕切りに中国は以前から「二国間交渉」を主
 張して来ている。